ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2006.01.23 Mon
ハチ公の最後の恋人
吉本 ばなな
なんとなく手ごたえの無い感じだったな。
あ、変な意味でなくて。読まなきゃ良かったとかそういうんじゃなく。
読後感がずっしり残る感じなじゃなかったな、と。
透明な液体のような感じがした。
あんまりさらさらしてなくて、どっちかっていうとジェル状みたいな
そこまでいかなくてネバネバもしてないんだけど、
すぐには流れていかないで
光に透けて泡を包みながら漂ってる感じ。
そんな小説でした。
って随分抽象的な感想ですが。
感情に任せて追いかけようと思うとすっきりするけど、
翌朝やっぱりやめようと思うとすごく痛くなる感覚、なんかものすごい分かった。
なんにも嘘が無いんだろうな。
きっとこういうことは ばななさんの周りでは
だからこう淡々と、透き通って見えるんだろうな。
PR
2006.01.22 Sun
恋人はスナイパー 劇場版 プレミアム・エディション
テレビ版を一度くらい見た覚えがあったんで、
単にウッチャンが好きという理由だけで見てみた。
水野さんやウッチャンのアクションシーンは良かったけれど、
ラストがどうなのかなあ…。
水野さんが上司を撃ち殺してしまったというのは、
ウッチャンの気持ちが分かった、というためとして致し方ないと
百歩譲ったとしても、結局ウッチャンはあれは死んでしまうの?
別に死ぬまでのこともないと思うし、
日本の警察はあそこで撃てないと思うんだけど。
分からないけどご想像にお任せ、にしてはちょっとお粗末かなあ。
2006.01.22 Sun
ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
去年の末にBAMに買い与えたドラクエ8、毎日毎日かなり細かく
やりこんでたんだけど、今日やっとクリアしました。最後まで。
正直、がっかりでした。
ネタバレですが。
面白いか面白くないかどっちかと言われたら、まあ面白いかなと思うけど、
話がとても浅いなあと思いましたね。
それがドラクエのいいところでもあるんだけど、今回はちょっと
話自体がおかしいもの。
善悪にぱっきり分かれていて、人はじゃんじゃん死ぬし、
意味不明に巻き込まれて最後は大団円。
主人公が絶対ミーティアと結婚するよなあ。
絶対賢者より上のポジションのなんかすごい人がいて、その子孫なんでしょう。
っつーか、サザンビークの王様の兄の子供なんでしょう?
ってかなり最初の頃に思っていたら、寸分違わず裏切られずそんなラストだった。
大体、ラストだって一端クリアしたデータでもう一度クリアすると
ラストが変わるっていうのも、なんだかなー。
プレイヤーに手間を踏ませる割には、ラストもちょこっとしか変わってないし。
サザンビーグの跡取云々の話だって、突然結婚前夜に言い出す主人公も主人公だし、
揉めるから困る、って言っておきながら、いざ殴りこんできたら
あっさり結婚相手って主人公とミーティアを認めてしまう王様も変だし。
チャゴスには後を継がせないと言っておきながら挙式する自体が可笑しいし、
それで主人公を正当な後継ぎにするわけでもなく、
今後の発展性がよく分からないよね。
世界を救っておきながら、それは知る人ぞ知るなのかと思っていたら、
周知の事実なのに主人公が親衛隊長っていうのも、
その程度しか昇進しないのですか?っていう気がするし。
ニノさんとも、一ケ月だっけ?必要以上に長い期間、臭い飯食った仲なのに
名前しか出てこないのも可笑しいしね。
トランクスの兄貴もどこへ行っちゃったんだかだしさ。
キャラに思い入れが全然出来なくて、もうラストに近いところでぼんやりと、
ああちょっとククールいい奴かなと思えたくらいで
キャラの魅力が無いし、ストーリーも筋が通ってないしで、
変なゲーム、と思った。
FFと差別化したい気持ちは分かる。
だから飽く迄鳥山さんのイラストに拘ったとかいうのは理解できるんだけども。
無意味に取りあえず勇者だとかなんとかの子孫とか、
で、善悪はっきり分けていて浅いながらも分かり易いストーリーっていうのは
いいと思うんだよ。DQとして。
でも今回のは浅すぎるし、その割に人が死に過ぎるし
安易な展開だったからちょっと許せないなあ。
DQって、4の後天空がぼんやり記憶に残っているくらいで
あと全然6、7と記憶に残ってないんだけど、もう無理なのかもね。
少なくとも自分には合わないんだなあと思う。
分かり易いストーリーが駄目とは言わない。むしろそれはそれでよいけど、
分かり易いだけにきちんと筋を通して作ってくれないと。
2006.01.20 Fri
ドクター・ドリトル
自分が動物が好きなもんで。
結果、笑えなかった。
アメリカンジョークってことなの?
これで笑える人もいるのかもしれないけど、
本当に生き物が好きな人だったら
絶対に笑えないと思う。
笑いあり涙ありの方向性で作っているつもりらしいことは分かるけど、
笑いのためなら何やってもいいという感じで
本当にこの動物がこう言っているとしたらもう見てられない
っていうシーンばかりだった。
2006.01.20 Fri
ハネムーン
吉本 ばなな
読んでいで怖かったりすることもいっぱい書いてあるのに、
なぜだか幸せだった。
不思議だった。
それと、たまらなく知っていることばかりが書いてあるような気がして
涙が出た。
多分、裕志くんの気持ちが分かるからだと思う。
別に全く同じ境遇なんかじやないけど、理解し合えない肉親、
自分のせいじゃないのに背負わされている業、その重たい感じ。
それと、唯一救ってくれる犬の柔らかさ、ミルクみたいな匂い。
生きてる、大丈夫、そう思える温かさ。
自分を明るいところへつなぎとめていてくれる存在,
そういうことが、分かるからだと思う。
私は、人より犬が好きだしね。(笑)
最初は、オリーブの飼い主のまなかちゃんの気持ちが分かるんだと思った。
それと、ばななさんの気持ち。
でも、多分裕志くんに共感しているんだろうなと、最後まで読んで気付いた。
私は裕志くんほど強くないし、逃げられるものなら逃げたいから
遠慮もせずに喚いて逃げようと今は思っているけど、
ある意味昔は裕志くんみたいに遠慮していて、
だけどどうしてもここは駄目っていうときに家出するパワーみたいなのが
すごく自分と近く感じるんだろうな。
余談ですが、図書館で借りてきている本なので、
カバーの表しか見られず、カバーの裏、表紙の絵について
扉に書いてあるのに見られないのが残念。
まあ図書館の本ではままあることですが。
仕方ないよね。買うか本屋さんで見ろって話ですね。
2006.01.20 Fri
日本人はなぜ切腹するのか
千葉 徳爾
丁度17日の夜に、前再放送していた新選組!を私が録画しておいたのを
BAMが見て。丁度山南さんの切腹とかが入ってた奴だったので、
なんで切腹ってするんだろうって話になって。
武士の誉れとか潔白を示すとか誠意を示すとか、
腹を切って詫びるとかそういうなんとなくしか私も知らなくて、
で、翌日図書館へ行ったらたまたまこの本を見つけた。
これはもう、本の方が呼んでくれたんだなーと思って
素直に借りてきた。
この著者、なかなか面白い。
解剖学も知らないくせに、と批評家に言われたので、一年問解剖学実習を
やってしまうような人なのだ。
『読者はこう思われる方もいらっしゃるかもしれないが』
とわざわざ疑問をあげて断って説明してくれるので、
論じている割には読みやすい本だったと思う。
ちょっと写真が載っていたのにはどきっとしたし、
いろんな驚く統計も載っていたけれど
全体的には参考になった。
切腹の起源とか意味とか、全然私は分かっていなかった。
分かったところでやっぱり出来るだけ切腹なんてしたくないけど。
でも武土に生まれてどうしてもそうしないといけないとなったら
立派に切腹を遂げて死にたいなと思う。
2006.01.19 Thu
密告
真保 裕一
いつも思う。
なんで真保さんの小説の主人公の男の人たちは、こんなにも強いんだろう。
ホワイトアウトという映画の前評判を人から、
「踊る警察官の次は、戦うダム職員らしいよ」
なんて聞いて、
「ダム職員がダムと人質を守るためにテロリストとひとりだけで戦うんだって」
と聞いたときには、なんて馬鹿げた話だろうと思った。
無理に決まってる。説得力が無さ過ぎる。
ま、映画は確かに馬鹿げていたんだけど、原作はとんでもなかった。
主人公はとても強かった。
自分の過去の過ちを、辛いながらも認め、償おうという強さがあった。
立ち向かう体力も気力もあった。
その強さと緻密な文章に引き込まれて、一見無茶なことも
この人なら、これならできる、と思い込んでしまって
無茶だよと一歩引くのではなく、主人公の身になってどきどきしながら読んでしまうのだ。
やっぱりこの小説の主人公の萱野さんも、とっても強かった。
ちょっとネタバレ。
人に胸倉を捕まれたり、唾を吐きかけられたり殴られたりして、
冷静でいられるものだろうか?誰にも助けも求めず?
パイプ椅子に座って雑巾で引き出しを拭くくらいなら私にもできるけれど、
逮捕状をとられて脱走劇を繰り広げる勇気ってあるだろうか。
いくら無実の罪とは言え。
窓から飛び降りて。
男たちに囲まれて殺されそうになって、泣き叫ぶんじゃなくて
110番通報をするために、縛られている体を目一杯使って動くなんて。
出来るか?普通。
でも、ありえない!と一笑にふすには、余りにリアルなんだよな。
ただ、今回個人的に初めて、密告者が誰かというのが
大分早くに分かったんで
ちょっと嬉しかった。(笑)
いっも裏の裏のそのまた裏って感じなので。
広永さんがもっと大活躍してくれるのかなーと思ったので、ちょっと残念。
そして、現実にこんなことがあっても、結局は揉み消されちゃう危険性が
ある気がしてしまうんだよな…。
広永さんがいくら頑張っても、萱野さんが命をかけても、駄目かもしれない。
そういう世界ってあるんだよなあ…なんて…。
萱野さんが助かって本当に良かったけれど、矢木沢さんは死んでしまったし、
その死んだ理由もうわー…って感じだったな。
でも、夢はあるっていう終わり方だから真保さんてば大好きだ。
2006.01.18 Wed
新撰組の謎 徹底検証
加来 耕三
私個人としては、半分を過ぎたあたりからは
目新しいこともなく、徹底検証という割には筆者の意見も多く
微妙な感じだなあと思った。
前半部分はなかなか面白く読んだ部分もあったのだけれど。
小説は飽く迄小説なので、ノンフィクションとは違う。
歴史上の人物を取り扱っていたとしても。
だから、小説を取り上げて、史実と違うとか、
何故この史実を書かなかったのかと言うのはナンセンスだと思う。
検証の見解が、私の抱いているものと大きく違う部分も多く、
『根拠が無い』という言葉はよく見受けたものの
筆者が拠っているものが何なのか、ということが私にはいまいち
よく分からない部分もあった。
ただ夏目漱石が大好きな私にとって、斎藤一もとい藤田五郎と
学校で言葉を交わしていたかも?などというのは
なかなか興味深いというか、妄想を掻き立てられた。
筆者はどちらかと言えば永倉さんなどの語り残したことを
信じているように思う。
子母澤さんや司馬さんの書いたものについては細かく否定している割に。
隊土本人だという理由からなのか。
近藤・土方の非をあげて、新撰組研究家や作家が
新選組が好きな故それを避けている
というような記述がいくつかあったけれど、
結局史料がいくつも残っていても、どれを信ずるかによって
『史実』は変わって来る。
多くの史料や証言で同じことが書かれていれば史実と断定もできるけれど、
それが割れた場合、判断はより難しくなる。
隊士本人だからと言って、時間がたてば記憶が薄れる部分もあるだろうし、
立場や事情を重んじて敢えて事実と違うことを書き残したり証言することもあるだろう。
何を根拠とするかというのは、結局は解釈の違いになって、
だからこそそれぞれが事実を知ろうと解釈することに
歴史の面白さがあるのだろうと思う。
2006.01.17 Tue
スノードーム
アレックス シアラー, Alex Shearer, 石田 文子
フリーペーパーで紹介されていて、あまりどんな本なのか把握していないままに
手にとった。
装丁が美しかった。
なまじ紙の値段や種類を知っているだけに、手が込んでいるなと。
締麗なページに並んでいるのでなかなか気付きにくいけれど、
どことなく不穏な言葉たち。
私にとってのスノードームは、多分ハチクロのあゆみたいな良いイメージ。
なんだけど、そういう楽しい綺麗なイメージからはほど遠い。
結構初期の段階で、展開の予測がついてしまった。
あとはもう、どう裏切ってくれるかと期待するしか無い、と言う。
そしてその期待は結局裏切られることのないまま物語は終わってしまう。
物悲しい。
理解はできる。
けど、また読みたいと思う物語ではないな、私にとって。
いろんな愛の形がある。
エツクマンは間違っているけれど、理解はできる。
一番貧乏くじはチャーリーじゃないだろうか。
私だったら、負担に思うだろう。『生き物の世話』なんて。
金魚を預かるのとわけが違うのだ。
世話の仕方だって、費用だって年数だって桁違いだ。
しかし、金魚となぜ違うと思うのか?
と突き詰めると、クリスの言うように、人はサイズで命の重さを
推し量っているのかもしれない、とは思う。
本当はサイズだけでは無いと思うけれど。
私個人は、意思の疎通が出来るか出来ないか、だと思う。
どの時点、どの状況を「出来た」と感じるかが人それぞれなので
うまくいかないけれど。
そして、意思の疎通に必要な言葉や目が合う、ということが、
サイズが著しく違うと難しいという側面は確かにあると思っている。
余談だけれど、こういう話を読んでいて自分の知っている
映画や本のタイトルが出てくると、ふっと我に返ってしまう。
トイ・ストーリーなんて言われると急に魔法がとけたような気になってしまう。
そしてまた、その映画や本を知っていないとわからない記述が結構多かった。
聖書など、日本人のほとんどの人は知らないのではないだろうか。
サマリア人としていくら一応の注釈がつけてくれてあっても、分からないと思う。
正直期待はずれというか、自分の思っていたもの、
欲しい話ではなかった。
2006.01.16 Mon
竜馬がゆく〈4〉
司馬 遼太郎
う~ん…。
どうなんだろうねえ。
いやちょっとねえ…。
坂本竜馬という人は、多分私は好きなのだと思うのです。
が、司馬さんの描く竜馬は微妙かもしれない…。
いくらだらしないと具体的に描いていても、それでも私には、
そんなに凄い人だったんですか、という疑問が湧いてきてしまう。
って、これは坂本さんが実は凄くなかったのでは、
という意味ではけして無くて、
この書き草は馴染めないな、ということです。
文章としてね。
司馬さんの書く小説って、確かに面白いなと思う部分も多いんだけど、
疑問を抱いてしまうところもあったりで。
単純に、新選組が大嫌いというところからスタートしてるから、
この中の書き草ではただの敵って感じだし、燃えよ剣にしたって、どうも可笑しい。
私個人の感覚としては、新選組のファンで、土方さんが好きで、
燃えよ剣が好き、っていうのがどうも分からない。ピンとこない。
司馬さんの新選組の描き方が、はっきり言って好きじゃないので。
司馬さんが新選組が嫌いだったっていうのが、正直に透けて見えるから。
それなりに新選組について勉強してきて、このあたりの時代のことも
なんとなく分かってきた今、読んでいて「これは史実じゃないな」ってのは
もういい加減ぴんときたりします。
ぴんとこなくても、「これは違うのでは?」とか思う。
今回もそれでそう思って、いくつかの真偽をネットで調べていて思ったんだけど、
世の中にはなんて誤解しながら本を読んでいる人が多いんだろう。
作家だからって頭が良い人ばかりではないし、間違ったことを下調べもせず
平気で書く人だっているし、
飽く迄小説なんだから創作なので、史実に拠っていても見てきていないから
台詞とかやっぱり創作なわけで、そこから派生して
事実には全くない出来事や人を登場させることもある。
っていうのが、分かってない人って意外に多いんだなあ、とびっくりした。
嘘を、調べずに怠慢で書いてしまうのは許せないけれど、
作家だって人間だし間違いを書くこともあるし、何より創作なんだから
それは読み手が面白いように、
若しくは作家の良いように、作り事を書き綴るのは当然。
だからこそ面白かったりするんだけど、読み手としては
それと史実をごっちやにしちゃいけないと思うんだよね。
もちろん史実だって、隣で見てきましたって人はもういないわけだから
調べるしかないんで、じゃあ調べられてないけどこうだったかもよ?
って思うのは自由。
なんだけど、あの小説に書いてあったから、
例えば土方はこういう人なんだよ。
っていう判断は違うと思うんだよね…。
まぁ司馬さんの書き方って、
すごくこう私見とか余談を普通に文中に差し挟んで、
視点が当時ではなくて司馬さんのいる現代から見て
書かれる文章が突然割り込んでくるから、
如何にも事実を作家が調べて書いたって感じに読めるので
全て本当だと誤解してしまう読み手が出てくるのも
わからないではないのですが…。
小説を入り口にして歴史上の人物に興味を持つのは
とても良いことだと思うけれど、
調べもせず小説のその人を好きになるのは、例えば土方であれば、
土方歳三が好きなんじゃなくて、
『燃えよ剣』の中の『土方歳三』というキャラクターが
好きなだけなんだよ。
そのキャラを勝手に押し付けて、
例えば新選組のお墓参りに行くとかっていうのは
ちょっと違うんじゃないのかなあ…。
調べていて、
「漫画のキャラの絵を書いた絵馬を納めてくるファンがどうかと思う」
という意見に当って、確かにそれはちょっとなあ、と思ったのでした。
司馬さんの本というのは、燃えよ剣に続いてこれが二冊目なんで
なんとも言えないんだけど、結構好き嫌いのはっきりした人
っていう感じがする。
作者の好きな人は恰好よく書かれるけど、
そうじゃない人は結構そうでもない
というかむしろズタポロに書かれている気がしたなあ…。
これはちっとも史実に詳しくないのでなんとも言えませんが、
岡田以蔵の書き方が今納得いってないので、
そのうち調べようと思っています。
人斬りって言われていても、それは今の世の中で言ったら
シリアルキラーかもしれないけど、
当時の感覚の中で言えば、今みたいなそんな犯罪者で異常者
では無いのではと思うのです。
そんなにもなんの信念も無くて、人を殺すことをなんとも思っていなくて、
殺しすぎて可笑しくなって滅茶苦茶やってた、ものなのでしょうか?
必ずしもなんにも考えてなくて言われるままに、
若しくは殺すことがただ楽しくて人を殺し続けてきたものなのでしょうか?
それは飽く迄今の観点じゃないのかなぁ。
冷血漢のように言われていても、
本当にそうだった人ってそんなにいないと思う。
人を殺した後で、野良犬に餌をやるような、そういう部分ってあると思うし
人間はそういうものじゃないのだろうか。
血も涙もどころか信念も根性も無い、なんていうのより、
個人的にはキャラメルの『我が名は虹』みたいに、
人を殺し続けていて、そのときは恐怖を感じなかったのに、
ふとした瞬間に自分が斬っていたのは命で、
死んだらそれで終わりだということに
気付いてしまって、急に怖くなってしまう。
っていう方がなんだか、納得がいくんだけどな。
必死で走ってるときは周りに目がいかなくて、
だから自分も死んだら終わりなんてそんなこと気付いても無い。
そう、正に嵐なのだと。
思うわけなのです。
まあ、好みの問題なんですけどね…。
このあたりはもう、飽く迄創作に対しての。
しかしこれでまた、自分的宿題が増えてしまった…。
まだ新選組も調べきってないのに…。
(調べきれるものでもないだろうけど)
いやでも、興味もっちゃったんで調べますけどね。
どうもこの、司馬さん版竜馬に今興味がいまいちもてきれないでいるので、
なかなか段々読み進めるのが辛くなってきました…。
やっと半分なんだよね。全八巻らしいので。
まあ、碩張ります。
読みきってからジャッジしましょう。
あと、調べること調べて。
2006.01.14 Sat
バグズ・ライフ
全然お話の内容とかを知らなくて、ただディズニーランドにいったとき
フロートの上で踊っているフリックが凄く恰好良かったんでなんだか好きだった。
当時フリックという名前のキャラだとも知らなかった。
もう今バグズ・ライフのフロートってないよね?寂しいなあ。
まあ、それはさておき。
機会があったら是非見てみたかったので、
テレビでやっていたので嬉しく見ました。
なんていうか、如何にもディズニーアニメだよね。
それにしてもCG綺麗です。
画像とかキャラデザインとかストーリーとか、如何にも如何にもだなあ。
結局なんだかんだ言って心温まるラストでした。
関係ないけど、バッタ対アリの構図を見ていて、
昔NHKかなんかでやっていた蜂の番組を思い出した。
スズメバチが襲ってきて、ミツバチたちがざくざく
あの顎で首を噛み切られたりして凄い凄惨な場面なんだけど、
ミツバチたちは個を捨てて、一は全、みたいな世界で
前列のハチが噛み切られても噛み切られても、
みんなで兎に角スズメバチに覆い被さるの。
そしてその熱でスズメバチを殺すんだって。
スズメバチはもちろん、その回りの仲間だって、
当然温度が上がってスズメバチと一緒に熱で死んでしまう。
それでもミツバチたちの巣は守られるんだよね。
(かなり前に見たので、スズメバチとミツバチじゃなかったかも…)
死んでしまったミツバチはでも、きっとそれを
自己犠牲だとは思っていないんだろうなあ。
死なば諸共の武器を持つハチの人生観?みたいなものを感じました。
って、このバグズライフに蜂って出てこないんだけどさ。
巣を作って共同生活している虫たちってそうやって生きてるんだなーって。
みんなで協力しあっているんだな、という。
この映画ではそんな自己犠牲で死んじやう虫っていないんだけどね。
いろいろと楽しんで見られました。
2006.01.13 Fri
黄金の島
真保 裕一
中々ハードボイルドな、血腥い感じでした。
読む本読む本、いろんな職業の人がいて、いろんな世界観があるのが凄いなあ。
結構作家さんて、自分の考えが入ってどのシリーズを読んでも
似ている世界観や人間が出てきたりするものなのですが。
大体、ぶっちゃけ自分の経験していない職業の人を書こうと思ったら、
その職業のことからまず調べないといけないわけで。面倒くさいじゃん。
それをよくこの人はするなと、本当に真保さんにはびっくりです。
ラストの方はちょっと悲しかったけど、いや、大分悲しかったけど。
でも安易なハッピーエンドじゃない分、これが真実という気もした。
読んだ後もなんとなく、海上で浴びた雨みたいに肌に残る感じの小説でした。
2006.01.11 Wed
ハゴロモ
よしもと ばなな
人の気持ちをハゴロモって表現するのは、
とてもいい言い方だな、と思った。
ばななさんの小説では、きちんと何かが好きな人っていうのが
出てくるなと思った。
洗濯が好きとか。食器がきちんと揃っているとか。
それと、キーワードみたいに出てくるものがある。これでいうと、川とか。
リハビリって、『海が聞こえる』の中でも読んだな。
あれは、スポーツ選手の友達だから出てきた言葉、ってなっていたけど。
不倫の恋から立ち直るのに、リハビリって言葉はやっぱり適当なのかも。
もちろんそれ以外にも、本当の怪我や病気じゃないときでも、
人間ってリハビリが必要だ。
だからこういう言い方は、正解なんだと思う。
ばななさんの小説は、どんなにアプローチが不思議でも、
ああ、分かるな、つっていうことがたくさん散りばめてあるのが
魅力なのかもしれない。
彼がなんでもしてくれることが、
逆にいつもそうやって奥さんにしてあげている、
奥さんが本当に体が弱いんだと生生しく分かってしまう切なさとか。
ずっと点けているテレビの虚しさとか。
普段忘れてしまいそうなさりげない、でも本当のこと。
それに不思議なようでも、人間には第六感っていうものがあって、
そういう精神的な力って実はオカルトじゃなくて普通にあるもので
ただ忘れてしまっていることが多いというだけのことなんだって気がする。
世界は実はちゃんとつながっていて、単純だったりもするものなんだと。
るみちやんが言っているみたいに、ほたるは戻るために戻ってきて、
子どもを産んで、るみちやんの保育園に入れる。
そんな出来すぎみたいに、世の中実はちゃんと、なるようになっていくのだ。
育ちが動作に表れる。
そういうことは、初めてばななさんの作品、N・Pを
読んだ時にも思ったけれど、非常に丁寧に素直に書かれているのが
なんだか好きだ。
心と体の関係についてみつるくんが言っている言葉は
ちょっとどきっとした。
結構自分がそういう考えだから。
精神力に頼って、体をほったらかしていて、
若いうちはそれでうまくいっていたけど、最近気持ちだけじゃ駄目で、
やっぱり体がついてこれなくて、心が焦ってるから。
一人暮らしの頃、やっぱりテレビに頼ったことがある。
でも、何かしながらテレビをつけているのと、
ただテレビをつけているのとでは雲泥の差があって、
ただつけていると本当に時間がただ過ぎていってしまう。
そういうある種の病気に、私もかかったことがあるから、
なんだか思い出してぞっとした。
鳩のエピソードは、さらりと書いてあったけどすごかったなあ。
世界が違う。うん。その通り。
小学生の時学校で見せられた映画を思い出した。
雀を飼っていた小学生が、焼鳥屋のメニューでスズメを見るんだっけ。
食べられちゃうんだっけ。
兎に角そんなような話。世界が違うっていうようなことだったと思う。
ひどい!っていう子どもに、お父さんが諭すようなんじゃなかったかなあ。
土地の夢っていう言葉、なんか凄いな。
全然違うけど、FF-Ⅹを連想してしまった。
みんなの思いが作ったティーダという人格、
みたいな。
気の毒じゃない感じで、母親の看病を続けているみつるくんが、
凄いなと思った。
でもみつるくんはきっと、すっごい頑張って
そうやってるわけじやないんだよね。
所謂幽霊を見ることが、『境がうすくなる』っていう表現も綺麗だなと
思った。
隣り合わせというか、同じものって日頃感じているので。
そういう、現世と死後の世界ってやつ。
「後を追ってももう追いつかない」つていう
みつるくんのお母さんの台詞には、ぐっときたなあ。
すごくなんだか、納得がいってしまった。
もう今からでは、追いつかない。
そうかもしれない。
事故死した人と自殺者の霊は、同じ階層には行けないから後を追っても
一緒になれないとか、そんないじわるで残酷なことじゃなくて、
もう運命が分かれてしまったから、そこから大分経ってしまったから、
追いつけない。
そっちの方が、納得がいく。
あとがきを読んで思ったけれど、この小説自体が、ハゴロモなんだな。
ハゴロモを感じて癒されていくほたるちゃんを見て、
ほわっとした感じになる自分がいるから。
模倣犯を読んでひっぱられたマイナスのところから立ち直りたくて、
必死で一気に読んだんで頭痛くなったけど、良かったです。
良かった。ちょっと癒された。
2006.01.11 Wed
模倣犯〈下〉
宮部 みゆき
読んでない時間も、他の本を読んでいる時間も、
ずっと心の片隅に引っかかって気持ち悪かった。
私は元々本が好きだし、読み出したら読み終わるまで
止められない性質だけど、それとは違う。
ただ、気持ち悪かった。
なんだろう、言うなれば、ずっとストーカーにつけられているような
気持ち悪い気になり方だった。
あ、これはけしてこの本や著者を否定しているわけじやないですよ?
つまりは、よく書けてるってことかもね。単純に言うと。
ピースが気持ち悪くて、被害にあった女の子たちが可哀想で
もうどうにも気持ち悪くて。
下巻のかなり後半の方で、やっと事態が動き出したかなと思って
ちょっとは普通の精神状態で読めるようになったけど。
まあ、登場人物たちに同調し過ぎて、事件が終わるまですっきりしないし、
終わったところで何も失ったものは戻ってこないんだ、っていう気持ちに
漬かり過ぎていた、ということなのかもしれない。
今この人はどこにいるんだろう?とか、何を持っているんだろうとか
細かいことがふと文章の書き方から気になって、
前の方に説明してあったかなと思ってそのシーンの冒頭から読み直しても、書いてないことが結構あった。
これはわざと?それとも主語述語目的語の欠落、
つまりはこれくらい想像で補えるだろう、という作者の意図?
かなりこういうところが多かったな。
それと、事実とは違うことを事実のように言っているところ。
例えば、有料道路を通っていないからオービスにも
監視カメラにも撮られていない、とか。
別に国道にもあるし、Nシステムだろうがなんだろうが色色あるわけで、
警察を舐めるな的にも思う。
この舞台となった場所では有料道路にしか
オービスが無かったのかもしれないし、
網川が、携帯電話は逆探知されないとか、
ボイスチェンジャーなら声紋も変えられるとか
今時子どもでも思ってないことを思っていたように、
オービスは有料道路にしか無いと勘違いしていたってことなのか?
なかなか気になりました。気にしすぎ?
この文章全体の欠落ぶりが、ピースの完璧と思っている割には欠落している
不完全な人間というのを表しているのだったらすごいけど。
サブリミナル効果みたいな。
ここからかなりネタバレです。
ロッキーを連れて塚田くんがピースに会いに行くのは
ちょっと良かったというか。
実際、私にも分かる感覚だし。
散歩しながら見上げてきたりするのは本当に可愛い。
網川に対して吠えたり 唸るなんてのはできすぎな気がするけどね。
犬なんてのは、飼い主に同調するより、飼い主の雰囲気を感じて
悲しくなってしまうんじゃないかなと思うけどな。
少なくともうちの犬を見ていると、私が怒っていたら一緒に怒るより、
しゆんとした顔をするか側に来て顔を舐めるかだけどね。
あと、滋子さんの携帯に昭二さんから電話がかかってきたときは、
不覚にも泣けてきた。
ただ、それで結婚生活がやり直せるかっていうのはまた別問題だと思うな。
シビアかもしれないけれど。
ライターを続けるかどうかとか話していたけど、クビになって
どう生活を続けていくつもりなのかとも思うし、
別に網川が捕まってしまえば
滋子さんは全てを書くこともできるわけで、
ドキュメント・ジャパンをクビになる理由が
あんまりわからない。
不義理をしたからと言ってああいう職業で致し方なく
そうなることは侭あることで、
それを引き摺っているよりも「うちで書いてよ」と人情だけでなく
商売けも込みで言ってくる編集者だっていると思うな。
第一、嘘の本を持ち出して嘘を言った。
それは網川を追い詰めるためだったのか?
当然視聴者の抱く疑問に対して、滋子さんは一種の説明責任があるとも思うしね。
しかし、結末としてはとんだ茶番だ。
映画の批評で、原作は良いのに的なコメントをたくさん読んだけれど、
私には原作がそれほど良いものとは思えない。
役者さんの演技にはとても興味があるけれど。
だって、生放送で問い詰められて、プライド傷つけられて
俺が真犯人だって言って
スタジオたてこもるなんて、とんだ馬鹿じゃん。
二面性とでも言いたい?そんな子どもの部分と冷酷な部分と?
そもそも子どもは残酷なんです?
かなりがっかりした。
もちろん、上巻の感想でも書いたように、
網川をヒーローだなんて思っていないから、
とっとと捕まって欲しかったけど、こんな捕まり方は茶番だ。
しかも、塚田くんに電話をかけてくるなんて。
くだらない。
『模倣犯』のストーリーがくだらないのか、網川がくだらないのか。
どうなんだろうね?
ここも計算ずくなら、すごい作者だと思う。
由美子が死んでしまったのはとても残念だった。
死ぬ必要が本当にあったのかな?
彼女の精神状態云々、と言ってしまえばそれまでだけど。
兄の遺書があるらしい、と警察に伝えてから死んでも遅くないと思うし。
女って、そんなに弱いかな?弱いだけかな?
必死で自分から海へ飛び込んでもがいていたくせに、
浮き輪が投げられたら引き揚げてくれるまで全部お任せ?
体から浮き輪が外れそうになったら悲しい顔で見上げたら、
レスキューの人が飛び降りてはめてくれる?
女ってそんなにどうしても馬鹿かな。
兄は無実だと信じた由美ちやんはどこへ行っちゃったんだろう。
兄の和明だってそうだ。
そんなに殺人を確信していて、いくらヒロミを信じていたとしても、
共犯者は信用できない奴だって分かっていたはずなんだったら、
そんな危険なところへのこのこ、なんの準備もせずに行くか?
由美子に呼び止められてその場で正直には言えないだろう、確かに。
ヒロミの立場が悪くなるから。自分がなんとかしてやりたいから。
だけどせめて、書置きを残しておくとかしないか?
それこそよくある筋書きじゃないだろうか。
『君がこれを読んでいるということは、僕はこの世にはもういないということだ。』
ってやつ。犯人が誰かわからないけれど、そう予想しているから行く、
自分の身に何かあったらこの手紙を警察へ、とか。
そんな下地も無しに殺人犯のところへ行くなんて、まあある意味凄い勇気だ。
そんなに網川らが言うように、和明が『馬鹿』だったという意味なんだろうか?
それを言うなら、網川に会いに行く真一や、別荘を探索する滋子もそうかもしれない。
誰にも相談しないものだろうか。
自分が感じた違和感や疑問について。
もう少し連絡を取り合ったりしないものかな。
作者に対して思うことは、水野久美が滋子に言っていることに近い。
女性である筆者の織り成す殺人劇は、女性にとってあまりにひどい。
読んでいて吐き気がするほどだ。
それを作者はどうやって書き進めていったんだろう。
まあミステリーで人が死なないというのは、
凡庸なミステリーの中ではありえないことで、
そういうミステリーを書いている人にとっては、
自分のキャラを作中で殺すことは日常茶飯事なのかもしれないけれど。
物語の要請上、どうしようもないこともあるし、
登場人物が勝手に動いているのを書き取るだけということもあるけれど。
同じ女なのに、どうしてもっと憤らないの?
結果網川が捕まっているけど、だから?それで救われる人はほとんどいない。
由美子の両親は子どもふたりを亡くしてこれからどうやって生きていくのか。
有馬義男はこの先どうしていくのか。
ヒロミの両親に至ってはほどんど書かれていない。
唯一展望が見えるのは、塚田真一と前畑滋子くらいなものだ。
あまり救いがない。
だから、ラストにも虚しさを覚えただけだった。
それとも、そもそも殺人事件とはそういうものだ、ということなのだろうか?
それが言いたいのだろうか。
読み終わっても吐き気がする。
被害者や遺族に同調し過ぎているんだろうか?私は
ある漫画家さんがこの本を読んでいて、
「『なぜ模倣犯なのか』ということに気付いてはっとなった」
って書いていたんだけど、
あんまり私ははっとしなかったって言うか、
なぜ模倣犯なのか、っていうのはいくつか思わせぶりなことが
書いてあったし、どれ、とはっきりわからないように
思えたというか…。
面白くない、とは言わないけれど、よく分からない小説だったな。
はっきりしない。何が言いたかったのか。
被害者の気持ち?加害者の気持ち?両方の家族の気持ち?
殺人を犯す人の気持ち?
元々、ハッピーエンドが好きで、
バッドエンディングでもどこかに救いがあれば
それで良いと思う自分には、どだい無理な小説だったのかもしれない。
さっきも書いたけれど、救いがあるかなと思うのは若干
塚田くんと滋子さんくらいとしか思えないから。
その救いも、安易に見えてしまうから。
いろんな意味で攻略の難しい小説でした。
宮部さんの本を読むのはこれが初めてなんで、なんともジャッジしがたいですけど。
もしかしたら自分にはこの人の文章は無理めなのかも。
宮部さんがどういう人か、というのも全然知らないし。
機会があったら、映画と見比べてみたいなと思ってます。
2006.01.03 Tue
NIN × NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE プレミアム・エディション
割と賛否両論の映画だったように思いますが、
今忍者ハットリくんを、しかも実写化するのなら、
確かに香取くんは嵌り役じゃないのかなと思っていたので
映画館まで見に行くつもりは無かったけど
テレビでやっていたので見てみました。
結果、やっぱり悪くなかったと思う。
アニメを実写にすると、アニメの嘘が浮き彫りにされてしまうから
それだけでとても難しい。
アニメでケンイチとハットリくんが一緒にいても違和感が無いけど、
実写ならば子供と大人なわけだし。
なかなか面白く見られました。
予想していたよりケムマキが随分良い役でしたけど。
ゴリさんの演技も良かったし、思っていたより
とっても良かったです。
2006.01.03 Tue
電車男 DVD-BOX
テレビで一挙再放送スペシャルをしていたので見てみました。
正直、もっとくだらないと思っていたんで
結構面白かった。
きちんとハチャメチャに徹した作りをしていたので
それが逆に面白かった。
これはある程度おたくな人が見てたら
違う楽しみもできたんじゃないでしょうか?
例えばガンダムのファンの人とか。
フィギュアもすごかったし、台詞とか遊びも面白かった。
主人公のお母さんが戸田さんっていうサプライズは
特に面白かったなぁ。
「想定の範囲内」とか普通に台詞に入れているところとか
なかなか面白かったです。
フジのテレビドラマならではの、
生物だったりやりすぎと思うくらいの遊び心が
面白いドラマでした。
もちろん本筋も面白かったし、
映画版や原作になった本にも興味が出てきました。
2005.12.30 Fri
アルジャーノン、チャーリイ、そして私
ダニエル キイス, Daniel Keyes, 小尾 芙佐
書店で文庫本になって平積みされていたので、手にとって数ページ見て、
面白そうだったので図書館にリクエストをしてみた。
で、読んでみたわけです。
アルジャーノンを読んだとき、もうもの凄い衝撃だったんですが、
ああ、この人がこうやって書いたものなんだ、とどこか納得がいった。
そして作家というものはみんなこうなんだな、と安心?もした。
兎に角なんだか、とっても納得がいった。
読めて良かった。
アニーのTOMORROWという歌が、実はチャーリィの歌だったなんて
全然知らなかった…。
この歌は、私が演劇をしていて、初めてというか
最初で最後の、オーディションを受けて本当にしたい役をもらえて
必死で役作りをして、大好きな尊敬している先輩に褒められて
最高のミュージカル。
そのカーテンコールで歌った歌だったから、とっても思い入れがあって。
チャーリィの歌だったんだと思ったら、尚更感慨深く思える。
それと、私は原作というのはどこまでも作者のものだと思う。
映画や漫画や別のメディアになって、いくら別物になっても、
キイス氏の言われるように一貫性は大切だ。
だから、ネバーエンディングストーリーの2以降は
一貫性がなくて原作をぶち壊しにしているし、
指輪物語の2もそうだ。
作者がOKを出している変更なら兎も角として、
原作を壊すのは作者はもちろんそのファンや、
何より原作の登場人物に対する冒涜だと思う。
2005.12.29 Thu
インストール
綿矢 りさ
ばななさんの小説を借りようと思って図書館の棚を覗いていて、
そしたらふと目にとまったんで、借りてみた。
一時間くらいで読み終えてしまった。
う~ん‥‥‥。
なんだろう。ちょっと、分からないな。
こんな文章を書いていて、それって親に見られても平気なのかな。
綿矢さんは。
親御さんは文学だからと割り切れるほどさばけた人たちなんだろうか。
それこそ光一のように、世間代表でこんな単語を書いちゃいけないよ
なんて言う人はいなかったんだろうか。
空虚な感じ。
嫌いじゃないし、分かる感覚でもある。
ありがちなこれを、実際にその年代をクリアしてきたばかりの子が
書いているというのが新鮮なのかもしれないけど…
淡々としていて、起承転結ってほどでもなくて、
ちょっと前向きっぽいラストではあるけれど、じゃあどうなの?って言う…。
私にはあんまりよく分からなかったな。
2005.12.28 Wed
発火点
真保 裕一
読んでいてかなり辛かった。
でもその中にちらっと出てくるいろんなことが、凄く優しく見えて感動する。
ラストは物凄く驚いた。
ちっとも予想だにしていませんでした。
こんなの新聞で連載されたら、食卓や電車や会社で「はーーーーー!」って叫んでしまうのではなかろうか、なんて思うほど、
あの行に来たとき心の中でははーー!って叫んで固まっていました。
新聞連載ってことを、ちゃんと考えた上での文章だなぁ。
やらしいなぁ。
すごい人だ。やっぱり。
でも、良かった。
良い話だ。
きっと大丈夫だ。
そんな感じ。
2005.12.28 Wed
調理以前の料理の常識―基本の知識253
渡辺 香春子
新聞広告を見て、面白そうだなと思って、数ヶ月前に図書館に
予約していたのがやっと順番が回ってきたので、読んでみました。
面白いなとか、へ~と思うこともあれば、
いやそんなの常識でしょ?ということもあるし。
まあこういう系統の本というのは得てしてそういうものですし。
役に立つ知識も多いけど、節約とか、貧乏家庭ではそれはちょっと…
っていうのも少しあるかな。
意外にこういう知識って、重要な割には学校では教えてくれなくて、
家庭で親が知ってたらぽっぽっ聞くけど、っていうくらいで。
しかも親が間違ってたりすることももちろんあるから、
一読の価値はあるのではないでしょうか。
2005.12.24 Sat
かねてから予約をとっていた、14時からの公演を見に行きました。
二階席三列目。ぶっちゃけ、絶対サンシャイン劇場の二階席は
一列目見にくいなと私は思っているので、
一列目のおばさんが前かがみになっていたのがちょっぴり気になるくらいで
割と集中して見られたので良い席でした。
で、あの、ねたばれなんですけど。
じゃないとなんにも書けない。
しかも、原作も読んでる人向けなんですけど。
お芝居は見たけど、原作との違いとかはまだ読んでないから知りたくない!って人的にもここから目茶目茶ねたばれになります。
私は原作読んでから、観劇に臨んだんですね。
興味があったから。
でも映画にはいまいち乗り切れないまま見ないで終わって、
今日を迎えたわけなんだけど。
大抵そんなことしちゃうと、結構原作と比べちゃうものなので、
私としてはかなりチャレンジだったんだけど。
でも、問題無し。むしろ、原作を先に読んでいて良かった!!
クロノス最高!!成井豊天才!!
正直、もしこれを見てから原作を読んでいたら、原作にがっかりしていたと思う。
と言うのも、原作はオムニバス形式になっていて、その第一話が
このクロノスというお芝居の元になっている。
しかし、私はこの第一話が一番、好きじゃなかった。
だから、クロノスが第一話だと聞いて、ちょっとがっかりしていたのだ。
な~んだ、あれかあ。まあ、でも見るけど。
あとはどれだけ脚本で変えて面白くしてくれてるかだよなー、
ってくらいで、
メインの目的は菅野さんを見ること、だったんだけど。
なんと言うか、吹原さんの愛情って、純粋だけれど、真っ直ぐ過ぎて
ストーカーと紙一重なぎりぎりの愛情じゃないですか?女の子から見て。
それがちょっと気になったんだよね、原作を読んでいる時に。
だけど、読んでいるうちにどんどん引き込まれて、
吹原さんを何時の間にか応援していて、
そうすると今度は、蕗さんがうざいんだ。
いや、信じてよ!って言う。
一番許せないのは、やっと伝わった、信じてくれた、と思った途端、
「ひとりで逃げられない」
とくるじゃないですか。
いや逃げろよ、こちとらここまで来るのにどんだけ大変やと思とんねん。
もう死んでまえ~。
って思うわけなんですよね。
そして何より、私はハッピーエンドが好きなので。
悲しい終わりでも、なにかどこかに救いがある感じが好きなので、
このラストでは、吹原が最後に飛ばされた未来では、地球があるかどうかも分からない。
それは、蕗さんを助けるという目的は果たされた。救いはあるかもしれない。
でも、そんなのでわけも分からず助けられて、目の前からいなくなられて
残された蕗さんはどうなる?
自分のために、吹原は死んでしまったかもしれないのだ。
もし蕗さんが普通の人間なら、吹原の会社名は分かっているのだから、
会社へ行って話を聞こうとするだろう。家族にも会いたいと思うだろう。
もし事実が分かったとしたら、自分が一度目で信じていたら、
こんなことにはならなかったのにと思ったらもう辛くて辛くて、
でも吹原がそこまでして助けてくれた命、
途中で断つわけにもいかなくて、生き地獄の中でせめて
吹原への祈りを捧げて寿命を全うしていくしかない。
これが、この話の私なりに納得のいかない理由。
でも、成井さんのクロノスは違う。
原作を読んだ人なら、一体どこからお芝居を始めるのかな、つていうのは
興味のあるところだったと思う。
博物館から始まる、館長による物語。
これから始めてくれるのかな?と期待していたんだけど、
本当にここから始まった上、文章ではああやって、フォントを変えて
表現できる時代や場所の違いを、よくコミカルにかつ感動的に表現できていると思う。
曲りなりにもお芝居を経験している者として、
キャラメルがすごいと思うのは、
ライティングと芝居と、それによるスピード感。
舞台装置をいちいち変えたりしないで、暗転も乱用せずに、
俳優の演技力とスポットライトをうまく使うことで舞台転換をこなす。
だから見ている方は長い暗転も無く、俳優がずっと舞台にたっているので
緊張感も集中力も欠けることなく見ていることができる。
もちろん、いちいち背景や舞台の大道具・小道具を変えるのも、
幕があがった瞬間「おお」と思うし好きなのだけれど、
そういうお芝居しか見てこなかった自分にとって、キャラメルの舞台を
初めて見たときは物凄い衝撃だったのだ。
今回のお芝居ももちろん、手法は同じ。
館長の部屋という設定の机とソファ。
ただ、ちょっと今回大掛かりなのがクロノス・ジョウンター。
格子状の扉に仕切られていて、必要に応じてこれが開閉するようになっているのだ。
会場中に大音量で鳴り響く音楽。
非常灯まで消された暗闇の中、目も耳も封じ込まれた状態で、
ぱっとついたステージ上のライトの中に、
倒れている菅野さんの姿が見えたとき、
これから始まる壮大な物語の予感に興奮した。
畑中さんの日記を読んでいて、
菅野さんはずっと走りっぱなしで死んでいます
みたいなことが書いてあったのだけど、
それはそうだろうなと大納得でした。
身が軽いからって、しょっぱなのダンスから側転したりかつがれたり。
ついでだから言及しますが、クロノスで過去に飛ばされるとき、
物語の設定上クロノスの中に入るわけだけど、そして地下通路を通って
別の場所に出現、っていう方法を取る劇団もあるだろうけど、
キャラメルの場合は
クロノスに入って扉を閉めて、いざ過去へ、ってときには菅野さんが
扉を開けて身をかがめてステージに走り出て、倒れこむ。
こういう演出も、避ける劇団はいると思うのね。
「いや、今出てきたじやん」って野暮なつつこみが入るから。
けどそういう部分を敢えて適度に適当にやってしまうところが凄い。
そして、過去に何度も飛ぶ度に菅野さんはこの入って走り出て倒れる、
を繰り返す。
これだけで相当体にはきついはず。
ましてや、それで体が傷んでいて、怪我をしている演技をしたり、
未来に引き戻される演技をしたら、どんどん体に負担はかかる。
人間の肉体って精神にも左右されるものだから、
しんどそうに演技をしていたら本当にしんどくもなってくるし。
ステージが進むごとに、菅野さんの背広の背中がぐっしょり濡れて
色が変わってきているのが印象的でした。
そんな菅野さんの一生懸命さが、吹原さんの一生懸命さと重なって、
すごく純粋で必死な、真摯な気持ちとなって伝わってきてとてもよかった。
原作とはまず、館長が女の人というところが違う。
そして、館長と中林くんに菅野さんが語るという形で
展開される回想シーン。
坂口さんたちが適度にからんで、適度に間をとって
菅野さん本人も回想シーンにいる吹原と、
館長らに語る吹原を同時に演じこなして
見事にテンポ良く語られていく。
そして最大に原作と違い、かつ素晴らしいところは、頼人とさちえの存在。
クロノスの実験が上手くいかずに、藤川さんがあたふたしているところを
吹原さんが助けに入っで怪我をする。
まるでTRUTHのようだ!と内心、思っていた。
で、怪我をした上に病院にまで行ってしまう。
更に、なんだかガラの悪そうな感じで畑中くんが入ってくる。
なのに足を組んで横柄な態度の菅野さん。
なんだなんだ?と思っていたら、なんと!
畑中くんが頼人という名前で、吹原の後輩かつ蕗さんの弟設定なのだ!
これは驚いたー。
そうくるのかー。やられたなあと思った。
この頼人がまた、魅力的な人間設定になっているのだ。
喧嘩慣れしていて、転校続きで、回りに馴染めず先輩にも目をつけられて。
でも、ボクシングが好きで。
そして姉のことも、吹原のことも、ちゃんと好きだっていう男の子。
今はプロボクサーになっているんだ、って言う。
ふたりとも右手を怪我しているのに、再会の感激ですっかり忘れて
思い切り手を握り合って
「あーーーーー!!」って叫ぶシーン、かなり面白かったです。
通勤途中の花屋さんに勤めている美人の彼女、というだけよりも、
頼人に会って、中学生の頃ずっと片思いをしていた
姉の来美子がいると聞いて
花屋さんに行ってしまう、という方が、すごく自然で納得がいく。
来美ちゃんも、昔弟がすごくお世話になった同級生ともなれば、
覚えていて当熱もしかしたら来美ちゃんの方だって
和彦のことが好きだったかもしれない、なんて妄想も膨らむ。
二階席三列目。ぶっちゃけ、絶対サンシャイン劇場の二階席は
一列目見にくいなと私は思っているので、
一列目のおばさんが前かがみになっていたのがちょっぴり気になるくらいで
割と集中して見られたので良い席でした。
で、あの、ねたばれなんですけど。
じゃないとなんにも書けない。
しかも、原作も読んでる人向けなんですけど。
お芝居は見たけど、原作との違いとかはまだ読んでないから知りたくない!って人的にもここから目茶目茶ねたばれになります。
私は原作読んでから、観劇に臨んだんですね。
興味があったから。
でも映画にはいまいち乗り切れないまま見ないで終わって、
今日を迎えたわけなんだけど。
大抵そんなことしちゃうと、結構原作と比べちゃうものなので、
私としてはかなりチャレンジだったんだけど。
でも、問題無し。むしろ、原作を先に読んでいて良かった!!
クロノス最高!!成井豊天才!!
正直、もしこれを見てから原作を読んでいたら、原作にがっかりしていたと思う。
と言うのも、原作はオムニバス形式になっていて、その第一話が
このクロノスというお芝居の元になっている。
しかし、私はこの第一話が一番、好きじゃなかった。
だから、クロノスが第一話だと聞いて、ちょっとがっかりしていたのだ。
な~んだ、あれかあ。まあ、でも見るけど。
あとはどれだけ脚本で変えて面白くしてくれてるかだよなー、
ってくらいで、
メインの目的は菅野さんを見ること、だったんだけど。
なんと言うか、吹原さんの愛情って、純粋だけれど、真っ直ぐ過ぎて
ストーカーと紙一重なぎりぎりの愛情じゃないですか?女の子から見て。
それがちょっと気になったんだよね、原作を読んでいる時に。
だけど、読んでいるうちにどんどん引き込まれて、
吹原さんを何時の間にか応援していて、
そうすると今度は、蕗さんがうざいんだ。
いや、信じてよ!って言う。
一番許せないのは、やっと伝わった、信じてくれた、と思った途端、
「ひとりで逃げられない」
とくるじゃないですか。
いや逃げろよ、こちとらここまで来るのにどんだけ大変やと思とんねん。
もう死んでまえ~。
って思うわけなんですよね。
そして何より、私はハッピーエンドが好きなので。
悲しい終わりでも、なにかどこかに救いがある感じが好きなので、
このラストでは、吹原が最後に飛ばされた未来では、地球があるかどうかも分からない。
それは、蕗さんを助けるという目的は果たされた。救いはあるかもしれない。
でも、そんなのでわけも分からず助けられて、目の前からいなくなられて
残された蕗さんはどうなる?
自分のために、吹原は死んでしまったかもしれないのだ。
もし蕗さんが普通の人間なら、吹原の会社名は分かっているのだから、
会社へ行って話を聞こうとするだろう。家族にも会いたいと思うだろう。
もし事実が分かったとしたら、自分が一度目で信じていたら、
こんなことにはならなかったのにと思ったらもう辛くて辛くて、
でも吹原がそこまでして助けてくれた命、
途中で断つわけにもいかなくて、生き地獄の中でせめて
吹原への祈りを捧げて寿命を全うしていくしかない。
これが、この話の私なりに納得のいかない理由。
でも、成井さんのクロノスは違う。
原作を読んだ人なら、一体どこからお芝居を始めるのかな、つていうのは
興味のあるところだったと思う。
博物館から始まる、館長による物語。
これから始めてくれるのかな?と期待していたんだけど、
本当にここから始まった上、文章ではああやって、フォントを変えて
表現できる時代や場所の違いを、よくコミカルにかつ感動的に表現できていると思う。
曲りなりにもお芝居を経験している者として、
キャラメルがすごいと思うのは、
ライティングと芝居と、それによるスピード感。
舞台装置をいちいち変えたりしないで、暗転も乱用せずに、
俳優の演技力とスポットライトをうまく使うことで舞台転換をこなす。
だから見ている方は長い暗転も無く、俳優がずっと舞台にたっているので
緊張感も集中力も欠けることなく見ていることができる。
もちろん、いちいち背景や舞台の大道具・小道具を変えるのも、
幕があがった瞬間「おお」と思うし好きなのだけれど、
そういうお芝居しか見てこなかった自分にとって、キャラメルの舞台を
初めて見たときは物凄い衝撃だったのだ。
今回のお芝居ももちろん、手法は同じ。
館長の部屋という設定の机とソファ。
ただ、ちょっと今回大掛かりなのがクロノス・ジョウンター。
格子状の扉に仕切られていて、必要に応じてこれが開閉するようになっているのだ。
会場中に大音量で鳴り響く音楽。
非常灯まで消された暗闇の中、目も耳も封じ込まれた状態で、
ぱっとついたステージ上のライトの中に、
倒れている菅野さんの姿が見えたとき、
これから始まる壮大な物語の予感に興奮した。
畑中さんの日記を読んでいて、
菅野さんはずっと走りっぱなしで死んでいます
みたいなことが書いてあったのだけど、
それはそうだろうなと大納得でした。
身が軽いからって、しょっぱなのダンスから側転したりかつがれたり。
ついでだから言及しますが、クロノスで過去に飛ばされるとき、
物語の設定上クロノスの中に入るわけだけど、そして地下通路を通って
別の場所に出現、っていう方法を取る劇団もあるだろうけど、
キャラメルの場合は
クロノスに入って扉を閉めて、いざ過去へ、ってときには菅野さんが
扉を開けて身をかがめてステージに走り出て、倒れこむ。
こういう演出も、避ける劇団はいると思うのね。
「いや、今出てきたじやん」って野暮なつつこみが入るから。
けどそういう部分を敢えて適度に適当にやってしまうところが凄い。
そして、過去に何度も飛ぶ度に菅野さんはこの入って走り出て倒れる、
を繰り返す。
これだけで相当体にはきついはず。
ましてや、それで体が傷んでいて、怪我をしている演技をしたり、
未来に引き戻される演技をしたら、どんどん体に負担はかかる。
人間の肉体って精神にも左右されるものだから、
しんどそうに演技をしていたら本当にしんどくもなってくるし。
ステージが進むごとに、菅野さんの背広の背中がぐっしょり濡れて
色が変わってきているのが印象的でした。
そんな菅野さんの一生懸命さが、吹原さんの一生懸命さと重なって、
すごく純粋で必死な、真摯な気持ちとなって伝わってきてとてもよかった。
原作とはまず、館長が女の人というところが違う。
そして、館長と中林くんに菅野さんが語るという形で
展開される回想シーン。
坂口さんたちが適度にからんで、適度に間をとって
菅野さん本人も回想シーンにいる吹原と、
館長らに語る吹原を同時に演じこなして
見事にテンポ良く語られていく。
そして最大に原作と違い、かつ素晴らしいところは、頼人とさちえの存在。
クロノスの実験が上手くいかずに、藤川さんがあたふたしているところを
吹原さんが助けに入っで怪我をする。
まるでTRUTHのようだ!と内心、思っていた。
で、怪我をした上に病院にまで行ってしまう。
更に、なんだかガラの悪そうな感じで畑中くんが入ってくる。
なのに足を組んで横柄な態度の菅野さん。
なんだなんだ?と思っていたら、なんと!
畑中くんが頼人という名前で、吹原の後輩かつ蕗さんの弟設定なのだ!
これは驚いたー。
そうくるのかー。やられたなあと思った。
この頼人がまた、魅力的な人間設定になっているのだ。
喧嘩慣れしていて、転校続きで、回りに馴染めず先輩にも目をつけられて。
でも、ボクシングが好きで。
そして姉のことも、吹原のことも、ちゃんと好きだっていう男の子。
今はプロボクサーになっているんだ、って言う。
ふたりとも右手を怪我しているのに、再会の感激ですっかり忘れて
思い切り手を握り合って
「あーーーーー!!」って叫ぶシーン、かなり面白かったです。
通勤途中の花屋さんに勤めている美人の彼女、というだけよりも、
頼人に会って、中学生の頃ずっと片思いをしていた
姉の来美子がいると聞いて
花屋さんに行ってしまう、という方が、すごく自然で納得がいく。
来美ちゃんも、昔弟がすごくお世話になった同級生ともなれば、
覚えていて当熱もしかしたら来美ちゃんの方だって
和彦のことが好きだったかもしれない、なんて妄想も膨らむ。
2005.12.22 Thu
大石内蔵之助―立川文庫傑作選
雪花山人
ページを開いて、文字が大きいことに驚き。
読んで文体に驚き。
これは、書き講談というやつなのだそうですね。
誰かが物語っている感じ。
だからリズムが良くて、流れるように読んでいけます。
忠臣蔵については割とさらっとは調べたことがあるので、
真偽の判断は別にして、色々と逸話は知っています。
だから、ああ、これ知ってるって思うのもあったし、
こんなの知らないなってのももちろんあったし、
あれは良い話なのに載ってないなあと思うのもありました。
忠臣蔵ともなれば日本人好みにいろいろ書き加えられたりして、
史実で無い詰もたくさん伝わってるんだろうし
それはそれでもういいって部分もあるよなと思います。
落ち着いたらでも、資料として史実をちょっと調べてみたいな。
疑問に思うところとかもあるので。
2005.12.20 Tue
会津藩始末記―敗者の明治維新
永岡 慶之助
面白い。
この一語に尽きる。
のはまあ個人的な感覚なんだけども。
というのも、個人的にどうしても、会津藩が馬鹿正直、とは思えないからだ。
正直なのだ。真っ当なのだ。これが武士、日本人というものだ。
私としてはそういう感覚で、しかし敢えて中立に調べたくて
会津藩や新選組を否定する資料なども今まで読んできたのだけど、
いくらそういった資料を読んでも違和感が消せなかった。
本当にそうか?なんか違わないか?正当化しようとしていないか?
その違和感が、この本で吹き飛んだ。
ある意味で痛快である。
たくさん『馬鹿正直』な人たちが出てくる。
日本人好みの馬鹿さ加減なのではないかと思う。
しかしそれが、実在した人物だというのがなんというか、
同じ日本人として顔向けが出来ない。というくらい、素晴らしい。
作者が生粋の会津人というのも、この本を読み易くしている要因のひとつではないかと思う。
昔から行って見たいと思っていた場所だったが、
心底会津へ行って花を手向けたい気持ちになった。
2005.12.15 Thu
ボーダーライン
真保 裕一
面白いです。
簡潔に。
いろんな心理とか、探偵の仕組みとか
そういう描写はいつものことながら凄くて、
いくつかの謎が同時進行していくところも相変わらずで、
途中何度かじんわり涙が…。
ラストはもう本当泣いた。
特にあの、
ネタバレです。
子どもにマーヴィンって名前をつけて、
それを報告したらついにマーヴィンから
お手紙が届いたところ。
見せに行っている様子を想像して、
じんわり嬉しくなった。
とっても良かった。
読んで良かった。
余談だけれど、主要参考文献として
巻末に記してある量の少なさがまた、
真保さんの恰好良いところだと個人的には思う。
この緻密な描写、たかだか数冊本を読んだだけで書けるわけがない。
読書量はもちろんのこと、取材も
半端じやないだろう。
でも、記すのは数冊。
よく、特に時代物の小説で
数ページにも渡って参考資料を並べ立てて、
どうだ、これだけ俺は勉強したんだぜ凄いだろう。
もし俺のあら捜しをするなら、これ以上本を読んでからにしろよな。
と言っているとしか思えないことがあるけど、
あの恰好悪さと言ったら。
(文を引用して列挙する必要があった場合はもちろん除く)
真保さんの読書・取材メモだけでも
充分読み応えのある本になりうる気がする…。
2005.12.07 Wed
High and dry (はつ恋)
よしもとばなな
口に出して言わなくても、伝わるものがある。
そういう、ちょっと超能力みたいな感じ。
ああ、あるある!ってすごく思いながら冒頭を読んでいた。
怪我をしている人に、ただお見舞いに行くのと、
本当に治って欲しいって口には出さなくてもお祈りをするのとだったら、
怪我の治り方はきっと違うと思う。
それと同じ。
世の中って本当は全部きっとそんな感じなんだと思う。
そういうちょっと不思議な、
でも人間というか動物にはそなわっている力とか
普通のことが散りばめられているお話。
絵も、絵本みたいにたくさんあって可愛い。