解放された。
ああ疲れた。
この30分×50回の時間を返してください。
なんなんですかね、この微妙なある意味テンションのあがりぐあい。
(それはもちろんムカついているから)
どなたかが書いていらっしゃいましたが、本当に
高級食材を使って作ったぐだぐだ料理だ。
キャラはすごい人たくさん、声優さんもすごい人ばかり、
なのに監督脚本が駄目だとこんなになっちゃうんですっていう
良い見本です。
結局イザークもさ、アスラン殴りたいとか言いつつ
やっぱりあなたも変わってませんよ、っていう。
ディアッカほとんど出番なし。
いやイザークもだけど。
まぁでも、イザークの「あれはザフトの船だ!」っていう台詞には
ちょっときゅーんときましたけど。
キャラ出しすぎで中途半端。
活躍も中途半端。
ドラグーンシステムとかも中途半端。
強さはインフレしてわけわかんなくなってるし。
ルナマリアは偽ラクスの存在を知っていた癖に、
これまた中途半端で結局馬鹿で終わらされている…。
「アスラン」とか迷いつつ、でも「よくもメイリンを」
とか言わされている…。真綾ちゃん。(泣)
そしてシンは言うまでもなく。
キラとレイで戦ってるけど、レイの望む世界がいまいちクリアに伝わらない。
単に仕返ししたい?ギルとクルーゼに恩返ししたい?
ただただ、前のキラより成長した冷静な声で喋る保志くんと
クルーゼに似せて、でもクルーゼじゃない声で喋る俊くんに感嘆。
議長はもうすっかりイっちゃっていて、その理性のなさは
クルーゼみたいな愉悦的狂気もないから、見ていて美しくも
面白くもなんともない。ただ真っ黒なだけ。うざい。
池田さんこの仕事引き受けて後悔してませんか?
むしろしてて欲しい…。
だって常識で考えて、
ジブリールがレクイエムを撃つ。
↓
なんて奴だ、やっつけろ。
↓
あんな奴が生まれる世界を変えよう。
↓
レクイエムとネオジェネシスを撃とう。
なんて人に付いていく?ザフト。可笑しいでしょう。
正義もないし、筋も通っていない。
先の戦いで、要はクライン派だったデュランダルが、あっさり
ザラよりもすごいことしだしていて、なぜ疑問に思わないの?
「命はひとつだ。だからその命は君だ。彼じゃない」
というキラの台詞は、なかなか良かったです。
が、それであっさりレイが「はっ」としちゃう安易な脚本…。
そもそもこの話、最終回でやる話じゃないでしょう。
10話くらい前でやってくれていたら、面白く見続けていただろうに。
せめて、あの無駄な回想をやめたとしてこれが48話だったりとか。
だったらまだしもなんだけど。
一方、シンとアスランでも、アスランの
「未来まで殺すのか」
という台詞にシンが「はっ」となってます。
単純。
そしてかっとなって斬りかかる。
ここでさっきまで「よくも」とか言っていた癖に
ぼーっと見ていたルナマリアが割ってはいる!
ルナマリア殺してシン発狂!?
期待するも虚しく、
メイリンを突き飛ばし、抱き取って庇って自分が先に地面に着地する
という離れ業をみせたときのように、あの間合いで
ルナの前に出てルナを守りシンと対峙するアスラン。
あり得な~い。
更にアカツキはなんだかいつの間にかサクサクサクサク強いし。
あの防御能力にドラグーンシステム、実はフリーダムより強いんじゃ?
そしてイザーク、またしても「撃ってくるぞ!」と教えてくれて
下がらせる…。
「下がれ!フリーダム!ジャスティス!ジェネシスが撃たれる!!」
って感じです。今回はエターナルとアークエンジェル、下がります。
どうでもいいけど、折角白服なのに、こんなことまたしちゃって
次はイザークもディアッカと一緒に仲良く緑服ですか?
というかそもそも、まだザフトにいるの?
いつの間にかアスランとムゥでレクイエム撃破してるし。
「あんなものを守ってどうするんだ」
っていうムゥの台詞は好きだけど、記憶がいきなり戻ったのに
普通に戦っていて、更に普通にドラグーン使っているのも
おかしな話なんだけどね。多少混乱したりとかしませんか、普通。
激強ですけど。インフレしすぎです。
ステラの登場に、法子ちゃん呼んでもらえたんだ。
とは思いつつも、無意味な裸…。
別に裸である必要ってないと思うんですよね。ほんと。
うざい。ひく。意味わからん。
で、ステラのあれはどういう意味なんでしょう?
意味ありげに見えて実はそんなことなくてただシンのフォロー
プラス間を持たせるために出したんじゃ、って感じ。
みんなをアーサーに任せて退艦するタリアはちょっと女だった。
ちょっと良かった。
このちょい前の、「ギルバート…!」って台詞も良かったな。
そしてキラと議長対峙。
いや、キラセイフティはずしてますかー?
ムゥもキラも射撃は得意じゃないので、アスランがこないとっ。
なのにキラ単身で行っちゃってるよ。
そしてふたりで論じ合ってるよ。
ちょっとキラの言ってることも微妙だよ?
タリアとレイも駆けつけるけど…。
これどうみても、キラは議長撃たないじゃないですか。
半狂乱になったタリアかレイが撃つオチ丸見え。むしろレイでしょう。
そしてやはり、レイが議長を撃ってしまう。
うーん…。
うーんと思いながらも、レイの、ギルが好きだしついてきたけど
でも自分もひとつの命で変わっていけるものなら変わっていきたい
というようなあの涙の台詞にぐっときた。
俊くんの名演技に、思わず引きこまれた。
ちょっとキラがレイを連れて逃げたら萌えると思ったのですが、
タリアさんがレイを呼んで…
これって一家心中じゃん。
うーん…。
まぁ確かに、生き残っていて普通に生きていけるかは疑問だし
ギルを自分の手で討ってしまったわけだし。
でも、「気付いた」っていうことなんだし、生き残ってその気付いた
先の未来を生きて、レイに見て欲しかった気もする…。
そしてレイにおいしい(?)とことられて、主人公はその間
ルナの膝枕で寝ているだけ…。
でさぁ。
あのさぁ。
あのね?
タリアさんがキラに伝言するけど、なぜマリューさんが会わなきゃいけないんだー。
会ってどうしろと言うんだー。
タリアの息子という以外なんの手がかりもなく探せと?
もの凄くとってつけてるのが丸見えです。
でそれって、タリアと誰かの子供が
次のダブルデスティニーの主役の森久保祥太郎さんすか。
うわー。サイテー。
なにこの前フリ?
もしそうだったら大軽蔑!
でもきっとそう!
あの黒の三連星三人衆もちっとも活躍せず終わるし…。
もうなにもかも中途半端。
シンがルナに「オーブは討たれなかった」
と言われて泣くけれど、あの涙って
「俺主役なのにー。主役のはずなのに」っていう涙にしか見えない。
そしてあのヘルメットに貼ってあるのはもちろん、中から紙切れ飛ばして
くっついてるだけだよね?
それくらいの杜撰さの中に感情が書かれていたゼータは面白かったけど
このラストはなんだ?
今日が40話くらいで、タイトルがSEEDパート2だったら別にこれでも
別に構いはしないんだけど。
シンは結局最後までよくわからん立ち位置のまま終わらされ、
レイは折角何かを見いだしそうになったけれど死んでしまい
ギルもタリアと一家心中。
ムゥの謎は明かされず、イザディアも活躍中途半端。
アスランも面目躍如ってほどの活躍ではないし、
ルナもかませ犬だし。メイリンも意味ないし。
マリューさんもSEEDほどの活躍はさせてもらえず。
で、またこんなことしちゃって、SEEDの最後はユニウス条約とかやってたけど
そんな後日談もなく終わってしまって、
アークエンジェルとエターナルの立ち位置ってこの先また微妙じゃん。
オーブしかりだけども。
大体にして、SEEDの終わった世界から1年とかしかたってないのが可笑しい。
それでこんな風に世界がなっているわけがない。
ゼータみたいに7年とかなら分かるけれど。
カミーユの身近にいるシャアやアムロみたいにカミーユを説き伏せられる
大人になるまでには、アスランやキラはちょっとしか歳が離れてないし
自分たちもまだ迷っている最中。
それでまたヤキンのときと同じことを、特にアスラン、イザディアは
繰り返してしまって、一体この先どうしろと?
またイザディアはザフトに階級さげられて戻って、
アスランはキラとオーブ逃亡?
で、マリューはムゥとふたりでと思いきや、タリアの子供押しつけられる?
50話かけて、SEEDキャラふんだんに使ってダブルデスティニーの予告がしたかっただけかよ。
シンも飛んだ役回り。
大トロを備長炭で仲間で真っ黒焦げに焼いたのを
高級手作り醤油かけて喰わされてる感じ。
主役はシンで、ポストシャアがアスランで、池田秀一まで呼んできて、
結局これ、SEEDパート2で、
主役はキラ
ってことだよね?
今まで主人公のMSが最終話でぼろぼろに壊されるのは普通としても、
味方というか、敵じゃない人にあっさり壊されて気絶なんて
そんな格好悪いこと。
声優陣の良さで今までなんとか見続けてきたし、
前作のキャラのたちっぷりで、誤魔化されてきたけれど
こんな最悪な脚本見たこと無い。
構成も意味不明。
それをよしとする監督が一番責任重し。
俊くんの涙とか、石田さんや保志くんの叫びとか、鈴村さんの泣きに
ちょとうっかりぐっとくるけれど、それはストーリーや台詞の良さにじゃない。
声優さんの演技が素晴らしいから。
キャラはひとりで作るものじゃない。監督や脚本がこんなに作品を滅茶苦茶にしても、
声優さんには自分のキャラへの思い入れがある。
自分なりの、「このキャラはこう」っていう気持ちとかある。
それを含めてファンになっている視聴者に、ものすごく失礼な作品だったと思う。
宇宙でとは言えバレルロールしてるのに喋らせて貰えない
千葉さんとか鳥海さんとかどんな思いだろう?
カメラマンやめてまで乗ってるミリィも雑魚台詞しかない。
第一カガリはあの…。前作あんなに活躍したのに…。
カガリも変な役回りさせられちゃったよなぁ、今回。
SEEDのラストでは出ずっぱりだったのにねぇ。シンディ。
声優さんをなんだと思っているんだ。
兎に角、SEEDキャラを全面に出しすぎ。
シンを初めDESTINYのキャラをもっと大切にあつかってうまく書けば
きっとイイ話になったはずなのに、結局はこんなガンダムシリーズ面汚しの結果。
ターンAガンダム以来じゃないんですか?こんなん。
で、ダブルデスティニーにはシン出てくるんですか?
なんかこのノリだとマリューさんは出るしかなさそう。
またSEEDキャラばっかり出すつもり?SEED3なの?
そして森久保くんはまたかませ犬?
またもっと強い悪役が出てきて、もっと強くなったキラアスが倒すの?
もう駄目駄目だった頃のアニメ ドラゴンボールかよ。
強い奴倒したらもっと強い奴出てくる、の繰り返しかよ。
SEEDに機動戦士ガンダムの冠を与えたのは良かったと思う。
でもこのDESITINYにその資格はない。
最低だ。
SEEDまで汚されてしまったと思う。
ええ、こうなったらMXテレビで金曜日から放送している
ファーストガンダムを見てみんなで古き良き時代を懐かしもうよ。
格好良かったシャアとかさぁ…。
(あんなにラスボス扱いで、ただただこいつ殺せばいいとしたいなら
ゼータでいうなら島田敏さん呼んできたらいいのに。
なんで池田さんにデュランダルやらせたんだろう)
真剣に見ているファンたちで集まって脚本書いた方が、
絶対面白いラストになったと思いますわ。
こんにちわ!赤ちゃん―yoshimotobanana.com〈4〉
よしもと ばなな
一時期、ものすごくはまっていた吉本ばななさん。(当時)
でも段々と、ちょっと今の自分の欲しいものとは違うな、となってきて、しばらく離れていた。
けれど機会があって久しぶりに手に取った。
やっぱり私は、よしもとばななさんの文章というか感性が好きなんだなと思った。
あまり好きになれなかった小説も、あのときの私の心境で受け入れられなかっただけで
今読んだら面白いのかも。読み返してみようとも思った。
別に妊娠して悩んで手に取ったわけでもないんだけど、一応女なので
出産についてはやっぱり考える。
今は産めない。産む目処もたっていない。正直、子どもが欲しいとも思わない。
育てる自信がない。
虐待された子どもは、自分が親になると我が子を虐待するという。
そういう嫌な連鎖を起こすことが怖いという意味でも、自信がない。
どうしても産まなきゃいけないものでもないと思うし。
悪いけれど、旦那が本家の長男でも関係ない。
でも、たまに急に、子どもが欲しいと思うこともある。
なんていうか、子どものことだけじゃなく、今抱えているものが、
読んでいることで浄化されていくような気がした。
別に答えが書いてあるわけじゃないんだけど。
気持ちの問題。
育っていく過程でどうしようもなく傷ついた経験があると、
毎日を生きるだけで相当頑張っている状態。
なので他の人が甘く見えて信頼できないので、
持ちつ持たれつができずぐちっぽくなる。
自己憐憫の気持
ちもあるので思わぬところが甘えん坊にできていたりする。
逆境を生き抜いてきたエネルギーが過剰にあるので、
なんでも過剰にやらないと安心できず頑張りすぎる。
この記述を読んではっとした。
なんだか、自分のことを言い当てられたような気がした。
なんか頑張らなきゃいけなくて、
頑張れてない気がしていつも不安で自信がなくて
その癖自信過剰だったりもして、人を見る目が厳しかったりする。
本当は甘えたくて寂しくて、ほんのちょっとのマイナスの思念にも
耐えられない。
だから裏切られるのが怖くて、人付き合いを避ける。
やっぱり理由がなんであれ、程度がどうであれ、
外部の要因で傷つきながら育ってきた人って
そういう部分を持っているんだろうか。
マイケルに対しての記述で、
一番幸いのは本人。でも本人が救われたくないようなので誰も救えない。
彼に本当のことを言うひとは縁を切られる。
という文があって、これにも「ああ…」と思った。
マイケルに対しての考えは私はばななさんとは違うようなんだけど。
こういう縮図について。
本人は自分が一番辛くて、そんな自分を見る周りも幸いということは
考えが至らない。
可哀想とだけ言われたくて、でも頑張ろうよとか言われると怒る。
そういう縮図、私の身近にもやっぱりある。
こういうひとは、縁を切ったならほっておけばいいのに、いつまでも向こうから
思い出したように文句を言って人を傷っけて、自分の悲しみを撒き散らす。
縁を切ったのは自分が相手に指摘されて崩れそうなプライドを守るため。
相手が間違っているのであって、自分が間違っているのではないと
思い込むため。
文句を言ってくるのは、本当は寂しくて受け入れて欲しいから。
だけど自分が変わるつもりはない。自分は「間違っていない」から。
悲しい人だとは思う。可哀想だとは思う。でも、助けることはできない。
本人が救われたくないのだから。
店長さんについての記述は、電車で読んでいたのに
思わず泣きそうになった。
「新しく生まれてくる生命のために老人は至極自然に
席をゆずる気持ちになれる」
すごい言葉だな、と思った。
お友達との付き合い方が、とても羨ましかった。
気軽に会ったり、持ちつ持たれつ。
私の苦手な、でもだからこそ憧れる分野だ。
手作りの美味しい料理を気軽に持って訪ねる。
そんな関係を、これからどんどん作っていけたらいいな。
会う度話し足りない気になると同時に、特に喋られなくてもいい感じ。
こういう感覚って、とっても分かるから。
ばななさんが読んでいるという本はどれも読んだことがなくて、
作者やタイトルは知っているけど、レベルのものだったのに、
突然、「ハチクロを全巻買った」
という記述が出てきて物凄く驚いた。(笑)
ばななさんと羽海野さんって、あんまり近いところにいない感じなのに。
作り手という血が呼び合うのかな。面白い。
医者に対しての記述は、ものすごく共感。
医療って本当は自然に持っている自己治癒能力をサポートするためのものだよね。
金をとって検査して薬を出す流れ作業ではないはずだと思う。
なんか、たまたま図書館で見つけて手にとれて良かったな。
今の私には必要なものだった。
新選組
黒鉄 ヒロシ
絵でどのように描かれているのかを見るのもいいなと思い、見つけて図書館から借りてきたのですが。
人の好みによるんだろうけど、私的にはちょっと…。
絵自体も好みじやないけれど、意味の分からないギャクが受け入れられず。
更に、史実ではないとされていることがさも史実のように書かれているのがちょっと気になりました。
すぐ使える手話 日常会話編―「おはよう」から病気・トラブルまで
谷 千春
非常に見やすく、イラスト豊富で分かりやすいです。
コラムがなかなか興味深いものが多く楽しく読めました。
日常会話編なだけに、なかなかすぐに役立ちそうなものが多くて良かったです。
江戸っ子武士道―海舟と南洲
城 昌幸
勝海舟が主人公のお話。
読んでいて、歯切れもよくて面白いけれど、ちょっと時代背景が頭に入っていないと展開についていきにくいのでは、という気がしました。
期待していたほど、新選組や長州勢などの背景もかかれておらず、勝万歳のお詣です。正直、これはどこまで史実に沿っているのだろう。本当にこんなにも勝さんひとりだけが先見の明があって、あとは馬鹿ばっかりだったのかと疑問に思いました。
ラストも、明治維新あたりまである程度書くのかと思っていたのにあっさりさくっと終わってしまい、物足りなさを感じました。
忍足亜希子と覚えるはじめての手話
忍足 亜希子, 米内山 明宏
忍足さんの本をちょっと見てみたいだけの動機でこれにしました。
写真付きで分かりやすいのですが、イラストならではのちょっと手の向きをどうしたらいいのか分かりにくい点というのもありまし。
桃太郎のお話が手話で載っていたのは非常に面白かったです。
手話の教本は、なぜこの手話になったのか、が書かれている方が個人的には覚えやすいと思っているので、この本にも一部書かれていますが、もっと全てにおいて書いてある本っていうのはないものでしょうか。
初心者向けだと却って書いていないものなのでしょうか。
指文字のポスターがついているのが非常に良いのですが、自分は図書館から借りてきたのであまり意味がないというか、却って見づらくて不便でした。買う分には非常に便利だと思います。
新選組傑作選 誠の旗がゆく
細谷 正充
なにも考えずに手に取って、開いてみたら傑作選でした。
つまりはいろんな作者のいろんな新選組短編集がつまっているわけで、
一冊でいろんな角度から見られたという点ではとてもよかった。
これは史実ではないのでは、なのに史実として元にして書いてるような?
という気のする創作もあるにはありましたが、それなりに面白かったです。
史実を元にした創作、私は全然大好きです。好み的には、
創作部分以外のところは、史実に丁寧に沿って書かれていると尚良いです。そして、そんな事実の裏でこんなことも本当にあったかもしれないよな、
と思わせる創作が一番好き。
こんなこともあったのかもな。
そう思えるいろんな新選組の顔があったので、面白かった。
短編なので読みやすいし。
疑問に思う短編もあるにはありましたが。良かったと思います。
風光る (1)
渡辺 多恵子
全然知らなかったんだけど、私の一等お気に入りのお芝居、
劇団キャラメルボックスの『風を継ぐ者』を見たことが、
作者がこの作品を書くきっかけになったんだとか。
好きな物が同じだと、やっぱ感性も似ているところがあるわけで。
内容的に結構ツボなところが多かった。
風を継ぐ者で、私が継ぐぞってことで風光るってとこがにくいなあ。
羨ましいなあ。
主人公が女性で、それを隠して仇討ちのため入隊、
それを知っているのが沖田だけで、何かと庇ってくれる沖田に惚れる
という設定自体はもう、少女漫画です。
この設定は手に取る前に知っていたので、
これがどう描かれているかによってはかなり嫌いな漫画になりそうだ
と不安だったんだけど、作者さんが、まずはじめに少女漫画ありき、
でも史実をきちんと取り入れて時代考証もちゃんとやろう、
という姿勢で取り組まれているので、許せてしまうんだな。
史実の取り入れ方がうまいなと思いました。
ただそのまま史実を書いているわけではなくて、
例えば主人公セイが仇討ちのため入隊しているというのも、
そういった人が実際にいたのは確かだし。
芹沢さんが相撲取りといざこざを起こすきっかけというのも、
ただ避けろと言ったのに避けなかったから、というよりは、
セイを探そうと必死になっていたのに横柄な態度を取られてむかついた
っていうのは人間味があって理由もちょっとあって、いいなと思った。
兎に角沖田さんの恰好よさが際立って、んーと思わないでもないけれど、
そこは少女漫画なわけだし。
今のところ近藤さんがあまり描かれていないけれど、
ちらっと土方さんが本当は良い人的に書かれていたし、
何より芹沢さんが憎めない人と書かれていたのが嬉しかったな。
ただ、この少女漫画を好きな人が、この芹沢がこの作者のオリジナル
と思うのはどうかなー。
史実を確認していけば、芹沢さんは憎まれるだけの人じゃなかったし、
大和屋の焼きうちだって私はしてなかったんじゃないかと思うんだけど。
こういう創作ものを読むとき、読み手も作者と同じくらい勉強して、
どこが史実でどこが創作か、創作と分かった上で好きと言える力量が
求められるよなと思う。
よく、創作をそのまま鵜呑みにしてこれが史実のこの人だと思っている人
っているし、そういう人が多いから、
「あれは創作だ史実はこうだ」って史実に拘りすぎて否定ばかりする人
もでてきちゃうんだよね。
話を戻そう。
恰好良すぎじやないんですか?どう見ても黒ヒラメじやないぞ?
と思いつつ(笑)、沖田さんがいい味を出してます。
寂しそうな笑顔とか、好きですねー。
この作者が、沖田さんが発病して死に至るまでを
どう書き上げてくれるのか、というかそもそも新選組を
どこまで書くつもりなのか、
セイはどこまで新選組隊士としていさせるつもりなのか、
興味がありますね。
でも買うまでには至らないかなー?う〜ん。
古い少女漫画っぽい感じがちょっと駄目なんだな。個人的に。
お金あり余ってたらでも、中古本屋でセットで買って
手元にはおいときたいな。
それくらいは少なくとも5巻の時点で気に入りました。
面白い。
奇跡の人
真保 裕一
毎度この人の本を読むたび驚かされるのは、この手法だ。
今回は、プロローグと、ノートによる経過、エピローグという方式で書かれているのだが、母のノートの記述のみで終わるような退屈な話ではもちろんない。ノートの記述と、現状の克己の状況が微妙にリンクしているところがまた凄い。
ノートに引き込まれ、その後の文ではっと克巳の今の状態を思い出して引き戻されるような繰り返しだ。
プロローグとエピローグの組み合わせは、結構驚いた。正直、そうくるかーと思った。
個人的な好みで言えば、他の筆者の本の読後感に比べると少し爽快感が薄れて残念だった。そうあってほしくなかった。
でも、これが最上の終わりだったようにも思う。悲壮でいて、確かに爽やかな終わり方でもあるのだ。
ネタばれ→
ストリー自体は、ふと『ギフト』を思い出した。
SMAPの木村拓哉氏主演で、豪華なゲスト陣でも話題になった連続ドラマの小説である。
あれも、主人公が記憶を無くし、人に“ギフト”を届けていく過程の中で
過去の自分を思い出していく。
今の自分とは似ても似つかない、落ちた人生を送っていた自分に出会う。
その頃の自分を知っている人に出会い、当時買った恨みを今の自分に向けられたりもする。
あれに似ているなと思った。克己も素行不良の過去を持っていて、周りがそれを隠そうとするけれど知りたくて探そうとしてしまう。今の“奇跡の人”と呼ばれる自分からは似ても似つかない自分。
そして、今の自分から見ればぎょっとするような友達たち。
やはり自分が記憶を無くしていたら、探したいと思うものだろうか。
スキップという小説を読んだときも思ったが、あれは主人公が未来に飛ぶ。
奇跡の人もギフトも、言ってみれば過去に飛ぶのと同じだ。
未来の自分と過去の自分。今の自分ではない自分、そして今の自分が知らない自分に会ったとき、
私は自分を認められるだろうか。自分に恥じない自分でいられるだろうか。
絶対に無理だ、と思う。
だからこそスキップの主人公には敬意を抱くし、過去の自分を知っても新しく生きていくギフトの主人公も好きだった。
けれど奇跡の人の主人公である克巳は、記憶がなくても昔の克己だ。過去の自分に負けて、取り返しのつかないことをしてしまう。
言ってみれば、ホワイトアウトの映画版の織田裕二、むしろ松島奈々子のように。
もうそんなことをしてしまって、普通の生活には戻れない。
だから、このラストでよかったのかもれない。
こうしてまた、克己は自分に打ち勝つのだろう。
そして総子も、過去をやり直すことができるのかもしれない。
でもそれは、切ない未来だ。
私は聡子の現在の旦那が、克己が昔半殺しにした相手なのかな、と思っていた。
だからこそ配子は裏切ったような申し訳ない気分になって、
あれほど克巳を拒絶しているのかと。
が、それは深読みだったようだ。
そしてあれほど克巳が心配し、何もなかったと調べがついたはずの
克己が起こした事故での死者の話が、
聡子の話にすらっと語られてしまうとは思わなかった。
事故の被害者の有無をずっと気にしていて、それがいなかったと思ったら
実は総子の浮気相手を半殺しにしていました。
それで充分今の生まれ変わった克巳には重い業なのに、更に事故で人を殺していたとは。
個人的には、それはなくても良かったような…。
でもそれだとあまり入院措置という設定が生きてこないわけだし。
やはりこれはこれで、良かったのかなと。
ま、好き嫌いの問題ですな。私はもうちょっと、全体的に前向きな終わり方の方が好きというだけの話でした。
雪の文様
高橋 喜平, 高橋 雪人
北海道生まれのせいか、雪にはやはり親しみがある。
北海道は寒いし、雪がよく降る。降った雪がなかなか溶けずにいる。
手に積もった雪は、肉眼で結晶が確認できるほどだった。
雪の結晶がこんなにも給麗だと知ったとき、自然の神秘に驚いたものだった。
なぜこんなにも複雑で美しい模様になるのか。
なぜひとつひとつが違うのか。
不思議で仕方なかった。
それを思い出して、手に取ってみた本。
幼い頃の自分の驚きを、もう何百年も前に感じて
雪輪や雪花という模様としてデザインしていた当時の日本人の
美的センスには驚いた。
写真付きで色々な当時の絵や食器などが載っているが、
やはりこれを美しいと思うのは日本人ならではなのだろうか。
雪花文様の着物が欲しい…とかなり本気で思ってしまった。
模様としての雪の結晶についてはこれで初めて知ったが
勉強になってとても良かったと思う。
Rie fu
Rie fu
図書館で見つけて、借りてきた。
最近すごくいい。すごく好き。
気分が良い。
夏のまだあまり熱くなっていないベランダに出て
光を浴びながらおいしい空気を吸って、
なにをしよう、どこへいこう
と考えるお休みの日の朝って感じ。
真剣に聴いても、のんびり聞き流しても楽。
久し振りに女性ボーカルもので好きになれるものがあって嬉しいです。
ムービーも入っていてちょっととくした気分。
壁を押すと落ちて外一面綺麗な風景
っていうのがなんだかはっとしてすごく良かったな。
パピーウォーカー―盲導犬のたまごとくらす幸せ
石黒 謙吾
元々犬が大好きで、ボランティアにも興味がある自分には、
かなり前からやってみたいと思っているパピーウォーカー。
しかし実家ではできず、一人暮らしではできず(留守が多い家ではトイレ等のしつけが不十分になるのでできないのだ)、
結婚した今村動きなのでやはりできない。
まだまだ先になりそうな、それでもやれば実現する身近な夢のひとつだ。
私にとって。
実際、実家で専業主婦の母と小学生の自分のいたとき飼っていた犬は、
トイレを覚えるのがとても早かった。付きっきりで見ていられたからだ。が、結婚してから飼い出した子は随分とかかった。
夕方から朝までの時間しか見ていられないのだから仕方ない。
パピーウォーカーは言わば、自分の家でよその子を預かるようなものだ。
自分の家の子のトイレのしつけに時間をかけても、
自分と大本人が迷惑するだけだけれど、よその子にそんな失敗を
押し付けるわけにはいかない。
家にいられるようになったときの楽しみにとっておこう。
そんなこんなで興味のある分野の本だったし、手にとって見た。
写真が多く字も大きめで、ページ数に比べてあっという問に読めてしまう。
内容は筆者があとがきで語っているように、80%ノンフィクション。
まったくのノンフィクションではない。
ブリーディングウォーカーからパピーウォーカーに手渡され、育てて
盲導犬としての適正を見るまでの各家庭での様子が書かれている。
好みもあるとは思うが、個人的にはちょっと文体がクサすぎた。
不必要に感情を盛り立てていくのが逆に気持ちが引いてしまい、
嘘臭いな、という印象があったので、あとがきで
まったくのノンフィクションではないというのを読んで却って安心した。
ならばやらせではなく、これはフィクションだと捉えられるからだ。
これを読んでやってみたい!と思うというよりは、
やってみたい人が様子見で手に取る本ではないかと思える。
内容は予想外な部分というのは一切ないと言っていい。
各家庭が楽しみに子犬を待ち受け、
育て、たくさんのものを貰って涙ながらに別れる。
ただその別れは前向きなもので、死によっての別れよりよほど気が楽だ。
きっとどこかで頑張っている。
そう思える、ボランティアの中でも得るものの大きいボランティアなのではないだろうか。
シンデレラマン
試写会が当選したので行って来ました。丸ビル。
のっけから抽選睾があり、まあ私は当選しませんでしたが、
結構お値段のはるダイエット食品リエータとか、丸ビル商品券3万円分、
お食事券とか豪華な内容でした。当たった人羨ましい〜。おめでとう。
さて、肝心の映画なのですが。
正直、全然期待してなかったんです。久しぶりにいい、とか
わざとらしいコピーつけちゃってさあ、ぐらいの勢いで。
まあ、タダだし見に行こうか?
折角来たんだから時間の無駄だったと思わせない程度には
せめて面白い映画であって欲しいんだけどな。みたいな。
もう、ところがどっこいです。
ぶっちゃけ、かなり早い段階からぼろぼろ泣いてました。
息子との約束とか、その辺りから。
辛い生活、そこから抜け出しても、夫の身を案ずる余り
今度は精神的に辛い生活。
主人公であるシンデレラマンの奥さんにかなり感情移入して見てしまって、最後の方にはハンカチをずっと握り締めて見ていました。
見終わった後もしばらくぐずぐず言っているくらい、余韻もあった。
ラストがどうなるのか、セオリー通りならこうだけれど、
そうならなかったらどうしよう?という不安もありつつ見ていたけれど、
嫌なラストではなくハッピーな気分でほうっとしていられるのでとてもいいです。
ボクシングのシーンなんて、何時の間にか映画であることを忘れて、
実際の試合を見ているような気分になって、
パンチが決まる度にどきどきしたり。正に手に汗握って見ていました。
時代背景が時代背景なので、取材陣のカメラもストロボなわけなんですが、その光の使い方や、主人公目線のカメラワークなどの手法がうまいなーと思いましたね。
効果的に使われていたと思います。
とても良い映画でした。
久しぶりにいいね。このキャッチコピーに偽りなし!
ただ、一緒に行っていたBAMはそんなに感動もしなかったようで…。
「まあ、いい話だよね」みたいな。人によるかもですけど。
私はおすすめでした。もう一度、お金払って見に行ってもいいかなくらいの勢いです。
思う存分泣けてすっきり、見終わった後は妙に幸せな気分になれる映画です。
おはん・風の音
宇野 千代
感想文を公募していて、その課題図書だったので試しに図書館から借りて読んでみた本。
正直、私には良さが分かりません…。
私には主人公のような奥床しさは無いので、旦那の浮気相手と一緒に住むなんて無理です。
目の当たりになんてしていたくないし、自分を置いて浮気相手と逃亡生活を始めた時点で離婚です。
いやまあもちろん、時代が違うのでそんな簡単にもいかないのは分かっているのですが…。
主人公は別に平気だった、回りが色々言うけれど、本当に大丈夫だった、というのなら、
まあ、「あなたがそういうのならいいんじゃないですか」という意味合いで納得はするものの、
正直
で、なに?
という感じ…。
ファンの方の評判をネットで読んでいた分には面白そうかもと思っていたのですが、
どうも私の好みには合わなかったようです。
女ってやっぱり耐えるしかないんですか?という疑問の残るような…。
振り回されて耐えて家を守るのが役目なんですか?という。
そういう時代と今は違うし、今は今で、主人公が馬主になっているシーンがあったけれど
そうやってむしろ旦那のためではなくて自分の趣味を謳歌することが許される時代なわけだし。女も。
私はきっとそうやって生きていくだろうと思うので。
うーん。これは、どういうところが良い小説なんでしょうか?
主人公の素直さ、可愛さが良いのでしょうか?確かにそれは良かったけれども。
本人は幸せだったようだけれど、報われないお話だなぁというのが正直な感想でした。
新編クロノス・ジョウンターの伝説
梶尾 真治
読んでみようと思ったきっかけは、演劇集団キャラメルボックスの、2005年クリスマス公演がこれを題材にした『クロノス』というお芝居だということを知ったことだ。
それまでこのタイトルを聞いたこともなかったし、流行に疎いというよりは、流行られると引いてしまう性格上、黄泉がえりの筆者でもあるというこの筆者の名前も聞いた覚えがなかった。
ただ、意味も分からない段階で、クロノス・ジョウンターという名前の響きはいいな、と思った。
種を明かしてしまえばタイムマシンのことだ。私はSF好きの登場人物が名づけたというこの単語にはちっともぴんとこない。けれど、この名前は好きだ。
筆者も言っているとおり、タイムマシンという名称には手垢がつきすぎている。また、タイムトラベル系の物語もやはりそうだと思う。それ故、私は好きにはなれないのだと思う。
かと言って、タイムトラベル自体には非常なロマンを感じる。自分がしてみたいとは今のところ思わないけれど。
タイムトラベルと言ったら、まだ無いものであるが故にそれぞれの映画や本でそれぞれに設定が為されてきた。この小説の中にはターミネーターの話が引用されていた。確かに過去に送り込むことしかできない一方通行、というとことは、クロノス・ジョウンターと似ている。ただ、クロノス・ジョウンターは時の流れに逆らって過去へ行った反動で、未来に飛ばされてしまうという設定が新しい。
過去を変えたいと思って過去へ行って、過去は変わるのか。
オムニバス形式のこの物語の一話日の主人公は、事故に巻き込まれた彼女を助けるために過去へと飛ぶ。過去へ戻った瞬間から、現代では彼の存存は消えてなくなる。反動で未来に飛ばされてしまうので、戻ってくるのは何年も何百年も先。その問残された人は、今朝起こつた事故が昼彼が飛んだことで内容が変わっていると気付くのか。そもそも最初からそういう事故だった、と思うのか。
このクロノスに逆らった人への罰なのか、とも言える『未来へ反動で飛ばされてしまう。』これこそがこの小説の鍵だ。
過去に遡った時点まで戻ってこられるなら、例えば事故から彼女を救い、戻ってきて普通に彼女といられる。けれどこの小説の設定上、そんなことはありえない。彼女を救うために自分の人生を犠牲にするしかないのだ。
過去を変える。
例えば、私の好きな映画で言うとバック・トウー・ザ・フユーチャーでは、過去に戻り、紆余曲折を経て現代へ戻ってくる。過去を変えないよう努力するマーティだが、現代は変わっている。しかし、それはより良い未来に。過去へ飛んだ人間以外にとって、がらりと変わった現代に至るまでの経過はどう処理されるのか疑問には残るけれど、娯楽映画としてとてもよくできたストーリーでありオチだったと思う。
昔読んだ漫画、ドラゴンボールの場合の設定では、こうは行かない。過去に戻って過去をAからBに変えても、自分の戻る現代はAのままの未来。自分が過去でBに変えた世界は、パラレルワールドとして残る。それでも、Aという未来が嫌だから、悪者の言いなりになるのは悔しいから、Bという未来のある世界があってもいいのではと思ったから来た、と登場人物は言うのだけれど、あまりに救われないなと思う。
やはり過去は変えられると思いたい。でも、変えようとしたら無制限に変わってしまう。
実際タイムマシンが実用化されたとしたら、鉄砲以上に厳しい制限を設けなくては、世界は滅茶苦茶になってしまう。
そう言えば、子どもには一番御馴染みかと思われるタイムマシンを持つドラえもんの住んでいた未来では、法律で過去を変えてはいけないことになっていた。違反して過去を変えようとした悪者と戦い、警察が逮捕しにくるという映画もあった。
けれどこのクロノス・ジョウンターの伝説に出てくる登場人物たちは、3人とも過去を変えてしまう結果となる。そしてそのどれも、冷たく言ってしまえば私情である。ドラえもんの世界のように法律があれば、それはきっと許されないことなのだろう
でも、間違いではない。
だけど、彼女を救ったことで別の人が事故に巻き込まれて死んだとしたら?
ひとりの人を助けても、同じ病気の別の人は死ぬだけの運命なんて。
いろいろ、思うところはある。
それとは別に、一話目に出てくる女性はちょっと嫌いだ。ひとりで逃げろよ馬鹿。こっちの事情も知らないで!と思うし、きっと後からそんな事情を知ったらすごく後悔したのではないかと思うし、二話目に出てくる女性のような道が選べると分かったら、同じ境遇にある人はみな選ぼうとするだろうとも思う。
こういう設定の小説ならではの、つつこみどころはたくさんある。それは致し方ない。
そしてまた、こういう設定のアイディアさえ与えれば、いくつでも話は作れるよな、とも思う。
映画『この胸いっぱいの愛を』の内容はよく知らないけれど、多分あれは、オリジナルで話を作っているんだろうな。
さて、この設定をモチーフに、キャラメルがどう舞台に仕上げてくれるのか。
かなり楽しみです。
土方歳三遺聞
菊地 明
タイトルから、土方さんの隠された話をたくさん書いてある本なのかと期待して手に取ったのですが、そういうわけでもなかった。
むしろ隊全体についての記述の方が多かったし、これまでに色々文献を読んできて、この説は間違っている、と私の思っている事実を、検証もなしにあっさり事実として扱っているあたりでちょっと、読了へのテンションが落ちてしまいました。
ただ、あとがきあたりの石田散薬についての記述など面白いところは結構ありました。
効き目が全然ないなんて、ちょっと時代を感じて面白かったりするじゃないですか。
病は気からだよね、みたいな。(笑)
近藤勇のすべて
新人物往来社
幼少時など、他でまだ読んだことの無い近藤勇の姿が描かれており、とても興味深かった。
妻子の話や墓の話など、面白く読めた。
特に個人的に一番面白かったのは、筆跡についての話。文字には人の性格が出るので、残っている近藤、土方、沖田の文字から性格を分析してみようという試みだ。これは非常に面白かった。
私自身、結局は本人サイドからよりも、敵対していたり分裂していた人サイドからの話の方が多く伝わっていたり、それを元にした小説のイメージが強すぎるだけなのではないか。土方さんはそこまで冷酷無比な人だったのか?
という疑問がある人間なので、むしろ繊細でロマンチストだったのでは、という筆跡鑑定結果は個人的に納得のいくものだった。
本人がなくなっている以上、一番雄弁に真実を語ってくれるのが彼らの直筆の文字なのではないだろうか。
SHAPER’S HIGH
デザイン関係の勉強になる本が読みたい。そう思って本を探してはみたものの、教本や、偉そうなデザイナーの大センセイ方の本を読む気にはとてもなれない。
どんな本を読んでみたものか。と思っていたら目に留まったのがこの本だった。
洒落たデザインの表紙。シェイパーズハイ、なる、意味の分かるようではっきりしない言葉。興味を惹かれた。
図書館からこの本を借りて帰ってページを捲ってびっくり。
いやまあ、その理由は至極個人的なことなのだけれど。
以前画材店に勤めていたとき、うちの店では取扱がなかったけれど、お客さんからはよく問い合わせを受けていたエポキシ樹脂。当時は主に押し花での用途の問い合わせが多かった。
透明な樹脂を型に流し込み、そこへ押し花を入れて樹脂で蓋をして、固めてペーパーウェイトなどを作るというもの。
自分自身興味があったので、ネット検索で調べていたとき、あるサイトに行き当たった。
樹脂で作られたキーホルダーやマグネットなどの写真があるのだが、あまりに可愛く、表面がつるつると滑らか。写真でさえそれが分かるくらいなのだ。販売もしているようで、へーそうなのかあと思いつつ、他の作品のページも見た。バナナの椅子があって、面白い!と思った。でも、ものすごく高いんだろうな、きっと。と思い、また検索エンジンのペー
ジに戻ってしまったのだけれど。
なんとこのサイトマスターがこの本の作者だったのだ。
最初のページに、キーホルダーやバナナの椅子の写真がカラーで載っていた。知らずに借りたのが逆に運命的なものを感じてしまった。(笑)
本を読み進めて、あまりの文章の面白さに好感を持った。
ネットサーフィン中に「この人好きかも」、と思った直感は間違っていなかったわけだ。
特に好きだった文章が、『仕事とは“売られた喧嘩”』。
好きだなあ、この感覚。
自分自身かなりそれに近い感覚で、難しそう、無理そうな仕事ほど、やってやろうじゃん。と思う人間なので
ああ、この言い表し方は言いえて妙だなと思った。
それと、ご自分の仕事のことをRPGゲームに例えておられたのが面白かった。売られた喧嘩を買い、敵と戦って倒して、経験値とお金を得る。(笑)
正に、である。
物を作ることを生業にしている人はもちろん、そういったことに興味のある人なら面白く読める本だと思う。
因みに富田氏のサイトはこちら。
やっと見に行って来ました。
もっと恥ずかしい思いをするかなと思ったら、子供はひとりもいなくて、
大人ばかりで、自分たちは年下から中盤の年齢層だったんでちょっとびっくり。
ストーリーについては、ネタばれですけども
いくつか疑問の残るところもありますが、これはこれで面白いと思います。
なんだろう。
原作が大好きで、アニメ版に疑問があったファンの人には、やっぱり映画版も疑問のラストだと思います。
ただ、アニメ自体がまず、原作のラストを聞いた上で、それと重ならないように
注意を払って作った、というものであり、
映画の中の話じゃなけれど、これは漫画とアニメは似ているけれど同じではない
パラレルワールドなんだと解釈してます。
とすれば、もう別物として、あのアニメの続きがこれ、と思えば納得もできるストーリー展開かな、と。
ちょっとグラトニーの扱いがびっくりしました。
イズミさんも殺されていてがっかりしました。
まぁ声は聞けたので嬉しかったけれど。
ラースくんも随分切なかったなぁ。まぁこれで、幸せになれるといいんだけど…。
声と言えば、置鮎さんとか、絵は出てるのに呼ばれてないキャラの声優さんが
結構いたのも残念でしたね。
あと、ヒューズさんの扱いが、アニメでも弱冠思ったけれど軽いなぁ。
これじゃあ全然駄目な人でしょう。ヒューズさんのファンはこれじゃあ嬉しくないと思う。
最後の最後でちょっと目覚めた感じではあるものの、そこまでは欠片も格好良くない。
エリシアちゃんだってどうなってるんだろう、とも思うし。
一番残念なのは、マスタングさんかな。
これは私見ですけども、原作でどうなるのかも分かってないのでアレなんですけど、
私の思うマスタングさんは、多分伍長にまで自分でおりて僻地に退くなんてことはしないと思うのです。
どんなに辛くても、守れなかった人が浮かんでも、それに耐えて
それも自分の罪だと思って抱えて、誰に何を言われても上を目指すんじゃないかなと。
私の思うマスタングさんはそういう強さと弱さのある人だと思っていたので、
僻地に退いていて、最後の最後で突然格好良くなぜかふっきれてきてしまうのはちょっと納得いかないかなと。
アルの魂がはなれやすくて、鎧に入れていて、それがエドの世界へ。
っていうところは、すごく良かったです。
凄く嬉しかった。お互いが、お互いが生きてるって信じて頑張ってきたけれど、
それが間違っていなかったっていうことが分かって
少しだけ救われた気がして。
ラストではちょっと、そんな終わり方は嫌だ、と思ったのを
アルがエドを追いかけてきてくれていたのでほっとしました。
けど、ウィンリィが可哀想だな、と。
そして何より、マスタングさんが可哀想だと思う。
マスタングだって、アルに負けないくらいエドが好きで、
生きているって信じて、あいつはいつか自分で帰ってくるって思って
待っていたと思うので。
これからもう、張り合える?相手というか、エドがいなくなってしまったら
すごく寂しいだろうなと思う。
あっちの世界のアルフォンスくんの言葉も響いたし、
エドにもそれが響いて、どっちの世界も夢じゃない、嘘じゃない、
自分の世界、ってことが分かったわけで、だから守ろうっていうラストは好きだけれど、
いつかエドとアルは、自分の世界に帰ってこれるんじゃないかな。
そう思っていたい。
歴史のなかの新選組
宮地 正人
小説や単なる資料ではなく、資料を読み解いた筆者の見解という形で、
ある種新鮮で、冷静に読むことができた。
近藤勇が政治家であるという描き方は、今まで何冊か読んできた小説の中にはないものだった。
それだけにその解釈には興味を覚えたし、確かに実際そうだったのではないかと思う。
小説は、全てが本当なわけではない。
そしてまた、こうした資料も受け手によって捉え方が変わってくることもある。
多くの本と接して、自分なりの新選組を捉えていきたいと思っている自分には、
今まで読んだ資料本の中では一番面白く読めたし、参考にもなった。
とても分かりやすい本だと思う。
スウィングガールズ スペシャル・エディション
初めのうちはめちゃくちゃなところが目立って、
んー?と思ってたんだけど、
だんだん面白くなってきて、普通に面白くて、なんか爽やかに
結局青春ぽいかんじでした。
ウォーターボーイズも好きなんだけど、イルカが感電するとか
赤ちゃんを振り回すとか、そういう小さいところで気になるところがあって、
そういう気になる部分が、これはすごく多かったのです。
だからどうよ。と思ってたんだけど。
これはやりすぎじゃないの、という。
だって普通に考えて、弁当勝手に食うとか食中毒起こすとか、まずいでしょう。
弁当屋さん廃業しちゃうよ?
可哀想過ぎだよ。
と思うのでした。
でもま、良かったよ。うん。関口が一番好きでした。(笑)
クレールの刺繍
試写会が当選したので、見に行ってきました。銀座。
結論から言うと、好みではないです。
タダで良かったなーっていう。
フランス映画にありがちな感じでもあります。
それでも途中までは、一体どう終わらせるのかなーと期待して
見ていたのですが、ラストちょい手前で、
おいおいそれなんだよ?ってのがあって。
ん〜…。
でも、映像は綺麗でした。
それだけで見る価値ある映画かも。
特に刺繍とか色彩とか好きな人は、ぼーっと眺めておくと
いいかもしれない。
「夢ノート」のつかいかた―楽しくつくって、幸せ気分
中山 庸子
ぱらぱらtp中身を見て、ああ、これって私がやってることと一緒だなあと思って
興味を持って読んでみた。
私もこういうことはかなり前からやっていて、
初めは日記や手帳、学校の授業のノートの欄外に走り書きしたり
スクラップ帳に雑誌の切り抜きを貼り付けたりしていたのを、
一冊にまとめようとして一冊ノートを別に用意して。
でも、順序だてたり用途というかジャンル?によって分けた方がいいのかな
だけどそうなってくると整理が面倒で億劫だな
なんで悩んでいるところだったんだけど、
分けるもよし、バインダー式にするもよし、ざっくばらんにつけるもよし、
要はやること、読み返すこと、考えること、が重要なんだな、と思えた。
ので、順番とかめちゃくちゃになるのが嫌で切り抜くだけ切り抜いて
今度ちゃんとやろう…とか思いつつ放置してるものたちをなんとかしなくちゃ。
と思いました。
インタビュー術!
永江 朗
インタビューの実態(というほど大袈裟なものではないが)を知ったのは、中学生の頃だった。
父親が新聞の取材を受けた。受けた割には、記事には父親が喋ったことなんて一言も書い
ていなかった。
くるちやんが、「記事は嘘ばかり。自分の声が反映するのは歌だけ。生で伝えられるのはラ
イブだけ」と言っていた。
雑誌の記事をあまり真剣に読まなくなったのはそれくらいだったと思う。
BAKUの頃は、「好きな食べ物は?」「好きな女の子のタイプは?」式のインタビュー記事
が多かったなあと改めて思う。
そして今AIRの車谷浩司に対しての記事は、それとは違う0読んでいて面白いこともあれ
ば、これはくるちやんの言葉だ、と実感したり感動したりすることもある0(逆にそう思わ
ないと立ち読みで済ませて雑誌を買うことは少なくなった)
この本の中にある通り、インタビューといえば実際にくるちやんならくるちやんが喋った
通りに載っているもの、というイメージは確かに強い。
そして私は、順番や言い回しを替えたりするだけでそれはもうくるちやんの言葉では、厳
密にはないと思っている。
言葉遣いを直すだけでも、口癖を知っているファンにとっては分かってしまうものだ0
その編集作業に、インタビュアーの主観はどうしたって入るだろう。
父親のインタビュー記事は、父親が一言も語っていない言葉で埋め尽くされ、主旨はがら
りと変わり、インタビュアーの思い描いている船乗りのイメージに沿うように作られてい
た。
ぅちの父親は兎も角として、くるちやんの言葉を読みたいと思っている人に対して、それ
は一種の詐欺なんじやないかと思う。
そのまま載せることが難しいことも、後から訂正するとライブ感が失われるということも
理解はできるけれども。
インタビューとは何か。
疑問に思ったことのある人には、一度目を通してみると、「ああ、なるほどね」と思う箇所
が少なくないかと思う。