ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2005.09.08 Thu
新編クロノス・ジョウンターの伝説
梶尾 真治
読んでみようと思ったきっかけは、演劇集団キャラメルボックスの、2005年クリスマス公演がこれを題材にした『クロノス』というお芝居だということを知ったことだ。
それまでこのタイトルを聞いたこともなかったし、流行に疎いというよりは、流行られると引いてしまう性格上、黄泉がえりの筆者でもあるというこの筆者の名前も聞いた覚えがなかった。
ただ、意味も分からない段階で、クロノス・ジョウンターという名前の響きはいいな、と思った。
種を明かしてしまえばタイムマシンのことだ。私はSF好きの登場人物が名づけたというこの単語にはちっともぴんとこない。けれど、この名前は好きだ。
筆者も言っているとおり、タイムマシンという名称には手垢がつきすぎている。また、タイムトラベル系の物語もやはりそうだと思う。それ故、私は好きにはなれないのだと思う。
かと言って、タイムトラベル自体には非常なロマンを感じる。自分がしてみたいとは今のところ思わないけれど。
タイムトラベルと言ったら、まだ無いものであるが故にそれぞれの映画や本でそれぞれに設定が為されてきた。この小説の中にはターミネーターの話が引用されていた。確かに過去に送り込むことしかできない一方通行、というとことは、クロノス・ジョウンターと似ている。ただ、クロノス・ジョウンターは時の流れに逆らって過去へ行った反動で、未来に飛ばされてしまうという設定が新しい。
過去を変えたいと思って過去へ行って、過去は変わるのか。
オムニバス形式のこの物語の一話日の主人公は、事故に巻き込まれた彼女を助けるために過去へと飛ぶ。過去へ戻った瞬間から、現代では彼の存存は消えてなくなる。反動で未来に飛ばされてしまうので、戻ってくるのは何年も何百年も先。その問残された人は、今朝起こつた事故が昼彼が飛んだことで内容が変わっていると気付くのか。そもそも最初からそういう事故だった、と思うのか。
このクロノスに逆らった人への罰なのか、とも言える『未来へ反動で飛ばされてしまう。』これこそがこの小説の鍵だ。
過去に遡った時点まで戻ってこられるなら、例えば事故から彼女を救い、戻ってきて普通に彼女といられる。けれどこの小説の設定上、そんなことはありえない。彼女を救うために自分の人生を犠牲にするしかないのだ。
過去を変える。
例えば、私の好きな映画で言うとバック・トウー・ザ・フユーチャーでは、過去に戻り、紆余曲折を経て現代へ戻ってくる。過去を変えないよう努力するマーティだが、現代は変わっている。しかし、それはより良い未来に。過去へ飛んだ人間以外にとって、がらりと変わった現代に至るまでの経過はどう処理されるのか疑問には残るけれど、娯楽映画としてとてもよくできたストーリーでありオチだったと思う。
昔読んだ漫画、ドラゴンボールの場合の設定では、こうは行かない。過去に戻って過去をAからBに変えても、自分の戻る現代はAのままの未来。自分が過去でBに変えた世界は、パラレルワールドとして残る。それでも、Aという未来が嫌だから、悪者の言いなりになるのは悔しいから、Bという未来のある世界があってもいいのではと思ったから来た、と登場人物は言うのだけれど、あまりに救われないなと思う。
やはり過去は変えられると思いたい。でも、変えようとしたら無制限に変わってしまう。
実際タイムマシンが実用化されたとしたら、鉄砲以上に厳しい制限を設けなくては、世界は滅茶苦茶になってしまう。
そう言えば、子どもには一番御馴染みかと思われるタイムマシンを持つドラえもんの住んでいた未来では、法律で過去を変えてはいけないことになっていた。違反して過去を変えようとした悪者と戦い、警察が逮捕しにくるという映画もあった。
けれどこのクロノス・ジョウンターの伝説に出てくる登場人物たちは、3人とも過去を変えてしまう結果となる。そしてそのどれも、冷たく言ってしまえば私情である。ドラえもんの世界のように法律があれば、それはきっと許されないことなのだろう
でも、間違いではない。
だけど、彼女を救ったことで別の人が事故に巻き込まれて死んだとしたら?
ひとりの人を助けても、同じ病気の別の人は死ぬだけの運命なんて。
いろいろ、思うところはある。
それとは別に、一話目に出てくる女性はちょっと嫌いだ。ひとりで逃げろよ馬鹿。こっちの事情も知らないで!と思うし、きっと後からそんな事情を知ったらすごく後悔したのではないかと思うし、二話目に出てくる女性のような道が選べると分かったら、同じ境遇にある人はみな選ぼうとするだろうとも思う。
こういう設定の小説ならではの、つつこみどころはたくさんある。それは致し方ない。
そしてまた、こういう設定のアイディアさえ与えれば、いくつでも話は作れるよな、とも思う。
映画『この胸いっぱいの愛を』の内容はよく知らないけれど、多分あれは、オリジナルで話を作っているんだろうな。
さて、この設定をモチーフに、キャラメルがどう舞台に仕上げてくれるのか。
かなり楽しみです。
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