ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2006.01.11 Wed
ハゴロモ
よしもと ばなな
人の気持ちをハゴロモって表現するのは、
とてもいい言い方だな、と思った。
ばななさんの小説では、きちんと何かが好きな人っていうのが
出てくるなと思った。
洗濯が好きとか。食器がきちんと揃っているとか。
それと、キーワードみたいに出てくるものがある。これでいうと、川とか。
リハビリって、『海が聞こえる』の中でも読んだな。
あれは、スポーツ選手の友達だから出てきた言葉、ってなっていたけど。
不倫の恋から立ち直るのに、リハビリって言葉はやっぱり適当なのかも。
もちろんそれ以外にも、本当の怪我や病気じゃないときでも、
人間ってリハビリが必要だ。
だからこういう言い方は、正解なんだと思う。
ばななさんの小説は、どんなにアプローチが不思議でも、
ああ、分かるな、つっていうことがたくさん散りばめてあるのが
魅力なのかもしれない。
彼がなんでもしてくれることが、
逆にいつもそうやって奥さんにしてあげている、
奥さんが本当に体が弱いんだと生生しく分かってしまう切なさとか。
ずっと点けているテレビの虚しさとか。
普段忘れてしまいそうなさりげない、でも本当のこと。
それに不思議なようでも、人間には第六感っていうものがあって、
そういう精神的な力って実はオカルトじゃなくて普通にあるもので
ただ忘れてしまっていることが多いというだけのことなんだって気がする。
世界は実はちゃんとつながっていて、単純だったりもするものなんだと。
るみちやんが言っているみたいに、ほたるは戻るために戻ってきて、
子どもを産んで、るみちやんの保育園に入れる。
そんな出来すぎみたいに、世の中実はちゃんと、なるようになっていくのだ。
育ちが動作に表れる。
そういうことは、初めてばななさんの作品、N・Pを
読んだ時にも思ったけれど、非常に丁寧に素直に書かれているのが
なんだか好きだ。
心と体の関係についてみつるくんが言っている言葉は
ちょっとどきっとした。
結構自分がそういう考えだから。
精神力に頼って、体をほったらかしていて、
若いうちはそれでうまくいっていたけど、最近気持ちだけじゃ駄目で、
やっぱり体がついてこれなくて、心が焦ってるから。
一人暮らしの頃、やっぱりテレビに頼ったことがある。
でも、何かしながらテレビをつけているのと、
ただテレビをつけているのとでは雲泥の差があって、
ただつけていると本当に時間がただ過ぎていってしまう。
そういうある種の病気に、私もかかったことがあるから、
なんだか思い出してぞっとした。
鳩のエピソードは、さらりと書いてあったけどすごかったなあ。
世界が違う。うん。その通り。
小学生の時学校で見せられた映画を思い出した。
雀を飼っていた小学生が、焼鳥屋のメニューでスズメを見るんだっけ。
食べられちゃうんだっけ。
兎に角そんなような話。世界が違うっていうようなことだったと思う。
ひどい!っていう子どもに、お父さんが諭すようなんじゃなかったかなあ。
土地の夢っていう言葉、なんか凄いな。
全然違うけど、FF-Ⅹを連想してしまった。
みんなの思いが作ったティーダという人格、
みたいな。
気の毒じゃない感じで、母親の看病を続けているみつるくんが、
凄いなと思った。
でもみつるくんはきっと、すっごい頑張って
そうやってるわけじやないんだよね。
所謂幽霊を見ることが、『境がうすくなる』っていう表現も綺麗だなと
思った。
隣り合わせというか、同じものって日頃感じているので。
そういう、現世と死後の世界ってやつ。
「後を追ってももう追いつかない」つていう
みつるくんのお母さんの台詞には、ぐっときたなあ。
すごくなんだか、納得がいってしまった。
もう今からでは、追いつかない。
そうかもしれない。
事故死した人と自殺者の霊は、同じ階層には行けないから後を追っても
一緒になれないとか、そんないじわるで残酷なことじゃなくて、
もう運命が分かれてしまったから、そこから大分経ってしまったから、
追いつけない。
そっちの方が、納得がいく。
あとがきを読んで思ったけれど、この小説自体が、ハゴロモなんだな。
ハゴロモを感じて癒されていくほたるちゃんを見て、
ほわっとした感じになる自分がいるから。
模倣犯を読んでひっぱられたマイナスのところから立ち直りたくて、
必死で一気に読んだんで頭痛くなったけど、良かったです。
良かった。ちょっと癒された。
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