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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.20 Mon
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2010.06.08 Tue
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

       ***

中学に入って、聖書の授業で最初に出された宿題が、
主の祈りを暗記してくることだった。
未だにそらで言える。

英語演劇部的なものに所属していた私。
公演の前の緊張を解すために
「私たちらしく主なるイエスにお祈りでもしようか」
と先輩が冗談で言って、みんなで手を組んで目を閉じて
主の祈りをしたことがある。

お祈りで落ち着くような敬虔な信徒ではなかったけれど
何故か今でもみんなでお祈りしたあの時間
講堂の裏の廊下
舞台を広げる為に避けてこっちに運び込んだ長椅子
窓から差し込む光が映し出す埃の粒まで
鮮明に思い出せる。

そのせいか、今でも時々冗談半分に
緊張したときに主の祈りを諳んじることがある。
半分冗談で、半分真剣に。

先生たちは、洗礼を受けろなんて言わなかったけど
聖書は卒業してからも大事にしておいて
ふとしたときに開くと、答えが載っていることがあるから
と言ってくれた。

これは宗教に限らず、なにげない日々の中で
良く起きることなのだと、段々思うようになってきた。
ハチクロでも、悩んでいるあゆ(陶芸科の学生さん)に先
生が
手を動かせ、100枚目の皿に答えがのっていることもある
って言っていたことがあったけど。

答えは、実はいつだってちゃんと近くにいる。


遺伝子に生まれてから死ぬまでの計画が書かれていると

全世界の人間の運命が書かれた葉があるとか
そういったこととは別にしても
人生は偶然ではなく必然で出来ていると思う。

悩んで後悔することなんて、日々山の様にあるけれど
後悔することも答えを見つけるタイミングも
全部が必然なのじゃないかなと思う。
振り返ってみれば、あのときの回り道が
今役に立っている、ということは結構あるのだ。

だから、時々振り返っても、立ち止まっても、
歩くのをやめたくはないと思う。

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