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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.09 Thu
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2010.06.04 Fri

昨日、なんとか定時に仕事を終わらせることが出来たので
前々から行こうと思っていたキャラメルのBBBを観に行くことに。

今回はほぼ全曲AIR。しかも開演まで開場で流れているのもAIR尽くし。
開場の18時から行きたいところだけれどどんなに急いでもそれは無理。
勿体ない。

サンシャインに着いたのは18時半頃。
2階席1列のチケットを取った。
劇場に入ると、既にそこからAIRがかかっており、否応無しにテンションが上がる。
久し振りの2階席。恒例の階段シアター。階段に誰もいなかったので
いつになくゆっくりひとつひとつ堪能。
そう言えば、改装されてから初めての2階席。
辿り着くと、荷物は置かれているものの誰も席にはついていない。
1列目に陣取りiPhoneを取り出すと
東池袋に着いた時点のツイートに加藤さんからRTが!!
すごいなこれ。こういうのってほんとに、twitterの醍醐味だなと思う。

spiral lifeがライブで聴けなくなって、今一番良い音で聴けるのはALONE AGAINだけ!
と当時言われていて、その事実に物凄く揺り動かされたものだけれど
今回のBBBも同じことが言えるわけで。
こんな広い場所でこんな大音量でAIRが聴けるのはリキッドのラストライブぶりだ。
それだけでもうテンションは最高潮。
誰もいないのをいいことに、すっかりノリノリで聴き惚れる。

今回私にしては珍しく、ネタばれを一切排除して
プレーンな状態で臨んだので、
青く照らされた舞台、並ぶ椅子も初めて見る光景。

Laika Came BackのLandedもかかったのは嬉しい誤算。
自分の結婚式でもかけた、大好きなsomehowがかかり
これ以上無い期待感。

ついに、幕が開く。

       ***

バイ・バイ・ブラックバード。
2010年6月、世界各地で新種の熱病が流行。
その後遺症で、数百万の人々が記憶を失った。
ナツカの場合は、11年分の記憶。
その結果、彼女の心は16歳の頃に戻ってしまった。
ナツカは、記憶喪失者が再教育を受ける学校に通い始める。
そこには、他に4人の16歳がいた……。
http://www.caramelbox.com/stage/byebyeblackbird/index.html



私は、記憶を失ったことがない。
一般的には、当たり前だろう。
いつの間にか眠っていたとか、酔っぱらっていたとか
そんな短時間記憶があやふやになることはあるにしても
年単位で記憶がとんだことはないわけだ。

ただ、ナツカたちの気持ちが少しわかることが出来る部分はある。
自分に覚えはないのに、相手は自分のことを覚えている。
そして、自分に少なからず同情して、優しくしてくれる。
そんな状況。

私は事情があって、幼稚園に別れて以来
親戚付き合いというものが一切無かった。
二十年近く経ってから、親戚に会わざるを得ない状況になった。
向こうは、私のことを覚えている。
「大きくなって」「すっかりお姉さんになって」
「昔こんなことがあって、あなたはこう言ったのよ」
その一言一言、全てが苦痛だ。
正直、知らないおじさんおばさんにしかこちらには見えない。
でも、はっきりそう言ってしまっては気を悪くするだろう。
だから、愛想笑いをして誤魔化す。
それでも、ぎくしゃくする。つい敬語になる。
「他人行儀な」
と言われ、無理に喋る。

全く覚えていない訳では無くて、4歳くらいの記憶が
時々断片的に出てくる。
同じようなことを、同じ声に言われた気がする。
けれど、それが目の前のこの人なのか確証が持てない。

赤の他人と、家族を演じなければならない。
だって、家族なのだから。
相手は、私のことを思って優しくしてくれるのだから。

だからこそ、辛い。

お互いに知らない人同士ならまだ良いのだ。
向こうには、私との記憶があるから困る。
私だけが覚えていない。
みんなは普通に、記憶の中の私の成長した姿として私に接してくる。
私は覚えていない。記憶の断片を思い出したところで、打ち解けられない。
いっそのこと全く何も覚えていなければ、ゼロから始められるのに。
これは、ひとりでいる以上の深い孤独を感じた。
それと、焦燥感。

100からも0からも始められず
ちゅうぶらりんに1から始めなければならない主人公たち。

もし自分が、心だけ16歳になってしまったら?
やはり、出来れば記憶を取り戻したいと思うだろう。
そうでなければ自立したいと思うだろう。
知らない人と家族ごっこをして気遣われて暮らすのは辛いし。
迷惑をかけたくないから。
そうやってひとりになっても、鏡を見るのも苦痛に違いない。
16歳なのに、鏡にはオバサンの姿が写る。
思い知らされる。


人によって、感情移入する人が変わると思うが
私は多分、一番充に入れ込んでいたと思う。

記憶が無いから、「おまえはこうだったんだ」という周囲の言葉を信じるしかない。
それが事実かどうかはわからない。
思いだした記憶が、実は思いだしたくもないような事実だったら?
知らない方が良かったのだろうか。
アダムとイブが林檎を食べたのと同じく、永遠の命題だと思う。

自分が、自分の思っていたような自分じゃなかったらどうしよう。
もう一度16歳のときに戻ってやり直して
果たして今の自分になるだろうか?
きっとそんなことはないと思う。

なんだかんだ言って、今の自分は好きだ。
それに、16歳から数年間経験したあの辛い日々を
二度と繰り返し経験したくはない。
(また同じことが起きるとは限らないとしても)

だから、選べるのなら、戻りたくない。
しかし、選べないとしたら。
私は私になれるだろうか。
私のままでいられるのだろうか。

       ***

以降ネタばれ。

私はAIRが、というか、車谷さんが好きで。
ロックに傾こうがジャズになろうが、「遠くへ行ってしまった」と感じたことは一度もない。
好きな人の行くところならどこでも行くし
彼が選ぶものなら間違いはないし
たとえ間違えていても、全ては大切で必然だ。
言葉にするなら、こんな感じだろうか。
車谷さんの音が変われば、それだけ自分の聴く音の幅も広がる。世界が広がる。

そんなに好きだから思うだけだろう、とつっこまれればそれまでかもしれないが
AIRの曲で凄いと思うことのひとつは、イントロ。
ほんの一瞬の音でその曲の世界に引き込まれてしまう。

特に”Are you sleeping Brother John?”と”I hate chopin”は凄かった。
とんと肩を押されて地面から足が離れるような。
落ち込んでいくように物語に引きずり込まれた。

勿論どの曲もどれもこれも好きに決まっているが
中でも好きな”夏の色を探しに”と”one way”、”Last Dance”。
このパフォーマンスシーンは素晴らしかった。
どこか切なく、懐かしい弦の響き。
映像を併用した表現の仕方。
計算しつくされた役者さんたちの動き。

2階席から俯瞰していたことも良かったのだろうが
心底美しいと思った。


やり直すチャンスだ、と言った充のお父さんを責めたくはない。
わかる気がしてしまうから。

先生がナツカの恋人だったのだろうとは
割と早い段階で気付けてしまうのだけれど
それはそれで沢野の言動ひとつひとつが切なく、痛々しく、いとおしく思える。


記憶があやふやでも、温もりや音は覚えているものだと思う。
肌も耳も、感覚が閉じることがない器官だから。
眠るとき、死ぬときも、耳は最後まで聞こえているという。

ナツカが充の台詞をきっかけにし、沢野の声を聴き
手を繋いで思いだす。

鳥肌がたった。

たとえ思いだせなくても、ここからまた二人で始めればいい。

沢野とナツカがふたりで見詰め合う、そこに流れるのが再び”One Way”。

”あしたからの夢の続き”。
不器用でも、今日を掴み、きっとふたりは明日を生きていける。
そう思えた。

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