前から行ってみたかったお店。
ランチを始めたというので、これは是非!
ということで、今日は仕事がお昼当番で
休憩が一時間ずれだったので行ってみた。
一時間ずれということもあり然程混んでもおらず。
一番安いランチが、パスタで980円。
サラダとパンのビュッフェ付き。食べ放題!!
パンは3種類あって、サラダはかなりの量が。
ドレッシングも3種あって掛け放題。
パスタは、鮭とほうれん草のチーズクリームソース。
大好きなタリオリーニです。
コクがあって美味しいソースと、
粉の味がしっかりする麺。
チーズとパセリがたっぷりかけてあります。
サラダもパンも美味しいし、これで980円は安すぎます。
次は夜に来てみたいな。
***
あるテーブルのお客さんが、「水を下さい」と言ったら
「ただいまお持ちします。すみません」と。
その『すみません』に、こちらから気付いて持ってこなくて申し訳ない
という意味が込められていた。
飲食店で客から催促されないと水を持ってこないというのは
余程忙しいか余程気遣う気がないかで
つまり恥だと認識している『すみません』だったので
そのスタッフさんに好感を持った。
http://www.katidoki.com/nobo
先に小説を読んでいたので
原作ではミステリーのトリックが小説ならではの表現だったこと、
現在と過去が交互に描かれていたことから
映像化してしまっては元も子もない
つまらないものになってしまうのでは
という危惧があった。
実際見てみて、
現在を主軸として過去の回想シーンが度々入る形式、
重要なトリックもミスリードと回想という
正直予想通りの手法で、意外性は正直なかった。
やはりこの小説を映画化するには、この手法しか無いだろう。
原作との変更点はいくつかある。
だが、基本的にテイストが損なわれておらず
とても好感が持てる。
役者陣も良かった。
濱田岳さんは、私が小説でイメージしたのとは違ったが
三人の物語に巻き込まれ途中参加してしまう
雰囲気が出ていた。
関めぐみさんも当たり役なのではないかと思った。
可愛くてちょっと気の強い雰囲気。
一番すごいのはやはり瑛太さん。
難しい役だと思うのだが、ここまで表現しきるとは。
とても演技力のある俳優さんなのだと再認識。
個人的に驚いたのは、岡田将生さんが
椎名の同級生役で出ていたこと。
伊坂先生の映画化作品、重力ピエロで春を演じる岡田さんである。
ストーリー自体はあまり明るいものではなく
どちらかというと救いの無いものだ。
しかし、強固な意志とセンスのある登場人物たち
ストーリー展開で
どこか救いがあるようにも見える、
後味はけして悪くないミステリー映画に仕上がっていると思う。
原作の漫画を読んでいる人、HYDEさんのファン、
などの方には面白いのかもしれない。
そのどちらでも無い自分には、非常に微妙な内容。
オカルト仕立てだが、ネタはありがちだし
本当にあり得そうなリアルな中に仕込んでこそ
こういったネタは意味があると思うのだが
リアルに感じたのは知己の浮気性と、後悔の涙くらい。
成宮さんも栗山さんも好きだし、HYDEさんも好きだけれど
いくら役者が良くても内容が無さ過ぎる。
効果的っぽく、いかにもロマンチックな感じで
今日と同じ月は19年後にしか見られない
などと述べているのだが
これはメトン周期のことを言っているのだろうか?
理論上の計算に過ぎないし
単純に暦のずれを防ぐための人間にとってだけの
帳尻あわせであって、
19年後にしか見られない
今日の月は19年前の月
と言うようなロマンチックなものではないと思うのだが…。
もっと他の裏づけがあるのかもしれないが
19年と月で、メトン周期以外に自分には思いつかない。
ただ19年と、主人公に美月と名前をつけて
それっぽく関連付けたように見せかけるだけの
よくある少女漫画の上辺だけ設定のようにしか見えず
感情移入出来るほどの内容とは思えなかった。
漫画のファンでない人で、面白く見られる人はいるのだろうか。
原作の内容を大分削ったり変更しているらしいので
漫画を読めばきちんと納得がいくのかもしれないが…
この映画単体での評価は駄作。
割と評価が高いのが逆に驚いてしまったのが正直なところ。
ファンの方々の愛情票に見えてしまう。
この刊は短編集を集めた、謂わば外伝的な扱いらしい。
それを知らずに読んだので、
前巻から一向に内容が進まずにかなり驚いた。
思い出話を回想して話すという手法で
女性キャラの短編が書かれている。
その手法は面白いと言えば言えるし
本編で描かれないようなほんわかした雰囲気というのも
良いとは思う。
が、短編といっても本編で繰り返した
女性キャラの主人公への様々な思いが
またしても繰り返されているだけなので、正直読むのが苦痛。
また、恋愛沙汰に鈍い主人公への不満を抱く女性キャラの心情が、
可愛いとか可哀想というよりうざったいとしか思えないのは
私が女だからなのだろうか?
筆者は女にもてすぎて困ったことがあるのか
もてなさすぎて困った事があるのかどちらかなのだろうか。
だからこんなうざったい女を書くのだろうかと
不愉快に思う程度にはうざったい。
ストーリー展開の方向性が見えないというか
盛り込みすぎなような気が少しする。
明智光秀が本能寺の変を起こし
信長を討ち取り、秀吉に討たれることは
史実として知っているので、読み進めることは辛くもあったが
フィクションならではの希望が感じられるラスト。
史実とつき合わせても、「あり得ない」ではなく
「もしかしたら本当にそうだったかもしれない」
と思わせてくれるフィクションぶりが 流石真保さんで
これが事実だったのではと半ば本気で思った。
そこには救いがあった。
歴史は勝者が語るもの。
なればこそ、史実こそが作り話かもしれない。
事実だとされていることも、人が伝えたこと。
人は多くの場合、冷静に公平に見ることが出来ず
自分の立場や利益や感性に任せて伝えることもある。
歴史小説の中には、ただのミーハー心や
作者の妄想に近い希望ばかりが盛り込まれていて
見ていて不快であったり、子孫の方の心情が心配になるものも多々あるが
この小説はそれぞれがそれぞれに魅力的に描かれており
その上で真保裕一個人の感性で立ち入りすぎもせず
『こうだった』と断定するのではなく
『こうだったかもしれない』とする筆者の弁えぶりとセンスの良さ
はたまた読者の想像をかきたてる描き方には脱帽。
これが物足りないと感じる人もいるのだろうが
私はひたすらに、好感を持った。
歴史上の人物は夢物語のヒーローではなく
実在した人物ということは、意外と見落とし勝ちな事実で
作家や歴史家先生でも平気で土足で踏みにじるようなまねをすることもある。
そういった点が全く無かった、と言って良いと思う。
個人的に興味があったかごめかごめの歌の『謎』など
さらりといろいろな説が取り込まれており
この小説に感動するだけでなく
史実を学ぶことへの興味ももたせてくれる
素晴らしい歴史小説と言えるだろう。
学校で習うような所謂本能寺の変や明智光秀像に
私はかねてから疑問があった。
真保さんなら必ずや
そいういった疑念を消化し、人心に沿い
史実にも沿った上でロマン溢れるミステリーに仕立ててくれるだろう
と期待して読んだ。
覇王(織田信長)のl番人
というタイトルからしてそそられるが、内容は期待以上。
さしもの真保さんでも、歴史小説となると説明が多くなるが
致し方ないだろう。
描かれる明智光秀は勿論
織田信長
小平太という少年
魅力ある登場人物たちと、ふたつの視点と
幕間とした”現在”の回想という手法で
生き生きと描かれている。
登場人物の心意気に思わず涙したり
心震える歴史小説。
下巻にも非常に期待がもてる。
伊坂先生の小説を読んで、彼ら家族の生き方に感銘を受けた『重力ピエロ』。
逆に感情が浮き彫りにされてリアルになる。
春の「行け!」と言うところが見たかった。
またありがとうの一言で語りつくせる訳も無い。
難しい役だ。
やはり映像として見せることに拘ったそうで
映画の内容だけではなく、その作り手の理念にも
とても納得がいった。
昨今中々珍しい、原作を壊さず、媚びず
オリジナリティを加えて映像化する意味をきちんと魅せてくれた。
とても美しい作品だった。
公開したらまた見に行きたいと思う。
冗長と感じる人がいても、無理はないだろう。
ただそれでも、名作と言われる所以は
当時の社会風刺という点だけではないだろうと思う。
兄弟たちとその父親
それぞれ特徴的で個性があり、アリョーシャを除いては
立派で正しい人と言い切るには抵抗がある。
しかし愛すべきキャラクターで、どこか憎めない。
飛行機という密室の中で娘が行方不明になり、乗客は誰も娘の姿を見ていない。
娘と飛行機に乗ったという主人公の証言の方が逆に怪しくなっていく。
この設定自体は非常に面白いにもかかわらず、それを生かしきれない安直な展開の映画と言わざるを得ない。
そうは言っても恐らく主人公が正しくて、娘はどこかにいるに違いない、と観客側は期待して見る訳だが、
なぜそんな現象がおこってしまったか、その謎を楽しみにしているはずだ。
個人の出資者を募りサラリーマンが作った、
しかも役者は実力派揃いの異色作品。
確かに、賛否両論になりがちな作品だとは思う。
が、「賛否両論だよね」という冷静な意見に比べ
否定派はあまりに扱き下ろしすぎていて
しかもそれが個人の勝手なイメージや、己の読解力が無いのを棚に上げているだけ、という印象。
この映画は台詞やナレーションでの説明などが無い分
画面やそれぞれの言葉に集中しなければ
見逃したり聞き逃すこともあるかもしれない。
ただそれは、観客に不親切な作りなのではなく
それだけ作品としてのクオリティが高いのだと私は言いたい。
映画好きならこういった作品こそを評価すべきと思う。
確かに、映像やカメラのパンの仕方など
チープに感じてしまう部分があるのは否めない。
設定もありがちと言えなくも無い。
しかしそれを補って余りある、役者陣の演技力と
カット割や展開などの演出。
107分と短い中で、この謎が全て片付くのだろうか? と途中で不安に思うほど
詰め込まれ、息もつかせぬストーリーは面白い。
こうした手作り感のある映画だからこそ、
短い時間でスピード展開にし
勢いで見せるというのは正解だろう。
舞台役者がドラマや映画に出ると、時にその演技が
浮いてしまうことがあるが
自分としては全くそれを感じなかった。
特筆すべきは主演の遠藤さんと、ヒロインの金田さん。
そして岡田さん。
金田さんの二役はとても自然で、本当に
よく似た別人のようにしか見えなかったし
遠藤さんの父親としての演技も非常に感情移入出来る。
岡田さんの役は思いもかけないところから絡んできて
確かに、ラストまで予測不可能という前評判は頷ける。
迫力のある演技は圧巻。
たった一言の台詞と演技で、彼の負ってきたものを
表現し伝えるというのは流石としか言いようが無い。
全体的に暗いトーンだが、後味は悪くない。
良作だと思う。
正直言ってクローズドノートを読んだときもそう思ったのだが、
前半でくみ上げられた流れが、結末であっさり瓦解してしまう。
クローズドノートでは突然主人公がノートの内容を諳んじはじめたところでしらけてしまった。
今回のこのお話でも、上巻で打った布石が予想範囲内のつまらない内容で落ち着いてしまうことが非常に残念だ。
どう絡んでくるのか期待された植草の私情も、あっさりと罠にかかってなんの反撃もなく、
表沙汰にしないと言われたらそのまま引っ込んでしまう。
ワシが引きこもっていて自殺した男であるという淡白さはリアルで良いかもしれないが、
それなのに現れたワシは誰かと思いきや被害者の父親というのも、予想通りで興ざめだ。
バッドマンに至っては聞き込み捜査でなにげに捕まってしまうし、それはそれでリアルなのかもしれないが、
劇場型捜査と銘打った割には、結局はそこから得たヒントを元に地道にローラー作戦。
センセーショナルな逮捕劇はどこにもにもない。
劇場型と銘打ったからには、宮部みゆきさんの模倣犯に見られるような、
犯人が何食わぬ顔でテレビ出演するほどの派手さ
誘導されっぷりが見えて欲しかった。
『すべて』『光』どちらも、原作を読んでから行きました。
*劇場について
劇場ではなくて、元ライブハウスで今はプロレスなんかに使われている訳で、仕方ないとは言え、パイプ椅子でかなり狭い。
"審査員席"と渾名されていた、机のある席ならまだしも、冬のコートやら荷物が多いこの時期、荷物の置き場は無いし、左右は勿論前後も狭くてかなり辛い。
何より、空調? の音が煩いし、作り的に役者の声がよく聞こえない。かなり残念。
*すべての風景の中にあなたがいます
原作を読んだときに、キャラメルの舞台として演じられることに、なんの違和感もないストーリーだと思った。
滝水をおっかーさんが演じるのもぴんとくるし、想像が出来た。
そんなに原作を変えずとも、十分成立つのではないかと思った。
実際見てみて、知り合い程度のSF作家、加塩を、滝水の友人として端から登場させたのにはちょっと驚いた。
正直言って、『クロノス』の館長ほどの必要性は無かったように思う。序盤は特に。
加塩の登場で、長者原の重要性、友人としてのスタンスが薄れてしまったのは残念。
その分、長者原とアシスタントがテンポ良く笑わせてくれたのはよかったのだが。
確かに、滝水が一人で考え込むというよりも、友人に経緯を説明する方が舞台としては展開しやすい。
何より、一番原作において唐突に感じられた、滝水が冬山に登る動機。
加塩に切々と、
沙穂流に会いたい。この思いは未来へ行くに足るだろうか。
と語り、賭けてみると山へ赴くのは納得がいった。
このままこの世界で生きていても意味がない、とまで言わせた滝水の心理のお蔭で、あれほど登らないと約束した山に登ってしまうことが自然な流れになる。
ラストシーンでは、出来れば滝水と沙穂流ふたりきりにして欲しかったのもやや残念。
メリハリをつけ、笑いも入れたいのがキャラメル、とも思うけれど、やはりあのシーンは
あれだけ滝水が苦しんで、死んでも構わないと賭けてやってきたのだから、ふたりだけで演出して欲しかった。
原作を読んでいて、展開が全て分かっているにも関わらず
彼女に会いたいと加塩に訴える姿、
沙穂流の前で崩れ落ちる姿には
鳥肌が立つほど感動した。
流石岡田達也さん。
冒頭のダンスは、とても恰好良かった。
ふたりが入れ違いになり、流れる時間に翻弄される感じだった。
原作では二人がやりとりする手紙の文面も載せられている訳で、これを芝居でやろうとするなら、手紙を出した人か貰った人、どちらかが読み上げるという手法にやはり限られてくるか。
スクリーンに全てを表示する訳にもいかないし。
個人的には、沙穂流が用意した、現代には無い材質で出来た入れ物と
それに貼り付けたテープが自分の貼った物と違っていることに滝水が気が付く原作のシーンがとても好きだったのだが
舞台では岡田さんと温井さんがそれぞれポケットなどから手紙を引き出して読み上げていた。
少し残念だったが、仕方ない。況してや、一時間に詰め込まなければならないのだし。
舞台上で何度も交差する演出が、すれ違いという感じで良かった。
*光の帝国
主演の畑中さんは、小学生と大人の二役
それも、別人じゃなく同じ人の回想と現在を演じる。
メイクも無しに舞台上で演じ分けるのはかなりの苦労があるのでは
と思う。
子供を演じているとき、若干わざとらしく感じる部分もあったものの
素晴らしかったと思う。
原作は正直言ってあまり好きではなく、とても暗い重い固まりを飲み込んだような
印象が残っているのだが
そこだけに終わらず、前を向かせてくれるような雰囲気が
全体にあった。
阿部さんのこのような演技は初めて見た。
若手育成講演でもすごいと思ったが、今後もとても期待。
第二部第一巻且つ番外編との兼ね合いのせいか、
話を詰め込みすぎて展開も急だった感のある前巻に比べて
多少の落ち着きを取り戻しており読みやすい。
しかし恋愛模様が混沌としてきており
個人的にはそれをメインにされるのは正直興醒め。
女子それぞれの観点から語られた部分はうんざりしながら読んでしまった。
恋愛にまで発展してしまえば、必ず振られる者、壊れる関係が出てくるのに
ツェルニという狭い限られた空間の中で
学生という身分で
更には十七小隊の中で
となればドロドロしてくるだけ。
学園物ラノベにははずせないテイストかもしれないが
恋愛手前のあやふやな関係だったり
レイフォンの人生哲学として語られる分には良いものの
本編の展開も学園物からはみでようとしているのに
あまり可笑しな展開にはしないで欲しい気がするのだが。
余談だが、レイフォンの武芸者としての立場が
こうして書き進められて他の武芸者との戦いの中で描かれていくけれど
筆者は武芸の嗜みでもあるのだろうか。
あるなら兎も角、無いとしてどこまで真摯に取材等をしているのだろうか。
天剣授受者であるレイフォンを主軸に書く以上
いくらラノベだからとは言え真実味が無いことには
重みも深みも感じられない。
ファンタジーで事実ではない世界観としてある分誤魔化し用はあるものの
刀だの八双だの実際の武道の言葉が使われているのに
この戦闘シーンの描き方に、少々の疑問を感じる。
文学に対する解説ではなく、石川啄木自身の人間像を
様々な資料を元に丁寧に作られた本。
啄木と言えば、文学青年然としたあの容貌と、貧しく辛い生活というイメージだが
この本を読むと、特に自分が女だからかもしれないが
あまりの身勝手さに苦笑いがこみあげてくる。
時代のせいもあったろうが、それでも彼を支えた妻や友人の存在は
彼らの優しさは勿論のこと
やはり啄木本人に、それだけの魅力があった故のことだろうと感じた。
宮崎郁雨の、大森海岸などを散歩した思い出が
函館に住んでいたことのある自分には想像しやすかった。
あの海岸といか釣り船の明かりは、暗く海に囲まれたあの街で
変わらず美しく、文学に親しかった彼らには
叙情的に美しく見えたことだろうと思う。
ゲームもアニメも漫画もやっている自分としては
どうせ酷い内容なのだろうし、評判も悪いし…と覚悟して見た。
期待し過ぎずに見たせいもあるのだろうが
正直普通に楽しめた。
確かに突っ込みどころはあるものの、思っていたよりも
原作を大切にしていて、それをリアルに撮ろうとした印象。
却って、批判している人の方が二次元信奉者というか
髪の色やキャラの年齢、声、体型などを批難していて
だったら初めから実写映画だということはわかっているのに
見なければいいだろうと不快に感じた。
役者の演技力も充分と思われ、『大根、不細工』という評価は
評価者の二次元への愛ゆえの私怨なのだろうと思った。
原作を知っている人間からすれば
無駄に思わせぶりなカットや演出が多く、冷める要因にはなっている。
キャラの性格なども少なくともこの出題編からは読み取りにくいが
それは原作でも鬼隠し編だけでは読み取れなかったことだ。
以降ネタバレ。
まずキャスティング。
個人的にレナが酷すぎた。役者単体としては可愛い人なのだろうが
レナ役とすれば不細工すぎ。もっと可憐な儚い感じでないと…。
富竹さんももうちょっと人畜無害だからこそ怪しい感じじゃないと。
あれはあからさまに怪しい。(苦笑)
圭ちゃんのお父さんも漫画の影響なのか(苦笑)キモい。
先生は不思議な印象作りに利用された感があり、不自然。
チョークの粉も掃わないのはちょっと可笑しい。
逆に魅音役はかなり良かった。
魅ぃちゃんを実写化したら、確かにああいうちょっとボーイッシュなイメージがありつつ
可愛い感じになるのが当然かもしれない、と納得。
三四さんも、イメージよりは年長だけれど、
ぽやんとしていて美人で、でも底が知れないちょっと不気味な感じで
ベストキャストだと思う。
ストーリーは概ね原作通り。
流石にカーネル・サンダース人形は使えないとか
圭ちゃんの過去の差し替えも致し方なしか。
映像は結構綺麗。
ロケハン頑張ったのだろうな、と思わせる。
実際原作で使われた前原邸や学校は撮影で使えないだろうし
とすれば、漫画版等のイメージに合った雰囲気のところを
頑張って探してきた方だと思うので高評価。
原作の文字だけ、漫画やアニメの絵だけ では誤魔化されるが
年頃の男女が仲良くしているのを映像で撮るとああなってしまうのだな。
いくら田舎と言っても圭ちゃんは都会っこなのだし
女の子と肩を組んでいる映像などには若干の違和感が。
恋人同士でもない子供どうして、汗をかいたからって
身体は拭かないだろう…。
違和感と言えば、残念なのはレナの「嘘だ」の名シーン。
あれはレナ役の彼女の演技力があれば
猫目や音質をいじる演出は兎も角、字幕は無しでよかったのでは?
個人的に、魅ぃちゃんの「明日学校休んじゃ嫌だよ」がなかったのが残念。
一作目では、魅音を普通の可愛い良い子でとっておきたかったのかな、という印象。
圭ちゃんと教室でふたりで会話するシーンの演出は
後々あれが詩音でした、とするには十分の前ふりかと。
原作と違って圭ちゃんの『絵』がずっとあるので
圭ちゃんが驚いたりたじろいだりしている印象が強くなったが
子供があんな状況に置かれたら、それはそうなるだろうし
それは怖いよなぁと逆に納得した。
大石さんが普通っぽくて、自分はそれが良かったと思う。
圭ちゃんが注射器として残したのがペン、と既にネタバレしていて
それについての批判も多く見たけれど
映画という性格上、この映画しか見ていない人にとっては
ただひたすらレナが怖くて、魅音も可笑しい、という印象が強いはず。
そこに、そうではないのかも? という要素は必須。
況して刑事である大石の行動は、原作でもそうだがぶれてはいけない。
本人の私見が入るとしても、警察で把握することは事実。
なのだから、やっぱりここはペンで正解だと思う。
原作ファンですが、十分楽しめましたよ。
けして明るい話ではない。
なのに、力強く光が差しているように感じられる物語。
『春が二階から落ちてきた。』
という一行目から、私はすっかり虜になってしまった。
泉水の夢に出てくる過去の母とバットを持った春は
とても衝撃的で考えさせられるシーン。
重いものを抱えていても、春は泉水を兄として頼っていて
泉水も春を大切に思っている。
ふたりは兄弟で、父を尊敬し、母を愛している。
それが苦しいほどに伝わってくる。
父が誤魔化すことなく息子たちに向きあい
お蔭で一歩間違えばぐれてしまうかもしれなかった泉水に
深い感銘を残してくれた回想シーンも素晴らしい。
父が泉水と春を食卓に呼び、話があるというシーン。
私は父の握手を、ありがとうと言いたいのだと解釈した。そして、涙が止まらなくなった。
彼の行為自体は本当は許されることではなく、
またありがとうの一言で語りつくせる訳も無い。
男と男同士の会話として、様々な感情があの握手にこめられていたのだと思う。
ビジネスホテルのフロントの男と仙台銘菓の"オチ"はまた素晴らしく
春が「行け!」と言うところから下に降りるまでの流れも美しい。
とてつもなく深く、優しく
どうしようもない人間もいる半面
やはり人間というのは素晴らしい生き物なのだと
思わせてくれる物語。
1巻でも赤裸々に語られていた業界の裏話。
2巻では更に編集長なども登場し、サイコーとシュージンも歩みを進めただけに
更に深い内容となっている。
そういった、『そこまで言って大丈夫なのか?』と思うほどの
リアルな話と
サイコーと亜豆の漫画然とした恋愛ぶり
そこここに散りばめられた笑い
といったフィクションの部分のバランス感覚が絶妙。
互いが引き立てあって、どちらかに寄り過ぎて
飽きさせることがない。
漫画家の甥っ子だというだけでとんとん拍子に進み
プロの漫画家になるシンデレラストーリーではなく
リアルに登場人物たちがそれぞれのポジションで
悩みながら行動を起こしていくところが
共感も出来るし励みにもなる。
今後の展開に更に期待。
「気分が落ちているときにはお勧めできないが」
と紹介されていたので読んでみた。
確かにけして明るい話ではなく
息苦しいほど切ない物語ではあるのだが
透明感に満ちたストーリー。
コインランドリーのシーンは心に残った。
絵葉書や摘蕾のエピソードも良かった。
水割りの大好きな音が嫌いになるというのも、物悲しく感情移入しやすい。
わかれるのは相手も自分も否定することなのか。
裏切ることでしか始まらないのか。
個人的には、筆者が札幌出身ということで
雪や寒さ、都会の描き方に大して感じていたことに納得がいった。
日本語と、その曖昧さと複雑さで描かれるありきたりの風景の
なんと美しいことか。
真摯であることの神々しさ。
出逢うこと、関わることの奇跡と煩わしさ。
私たちの、持っているもの。
孤独な都会の片隅で壊れかけていく人たちが
美しい筆致で描かれている物語。
キャラメルボックスで舞台化するというので
観に行く前に読んでみた。
ミステリー作家の中でも
どんなに重いテーマを扱っていても爽快感のある文を書く作家と
どんなに夢物語を書いても血腥く暗い後味の文を書く作家がいると思う。
宮部さんのブレイブ・ストーリーを読んだ時も感じたが
この作品も後者だ。
超能力=ヒーローに仕立て上げる必要はないが
どうも後ろ暗く、血腥く、読後感が悪い。
『しまう』という設定も発想も、面白いとは思うのだが。
面白さが全く分からなかった。
主人公は勿論周囲にも苛々し通し。
人間関係の難しさ、恋愛の負の部分
と言うよりも、所詮アダルトゲームを原作に
『衝撃的なラスト(バッドエンディング)』を売り物にしただけ、という印象。
訴えたいことがなんなのか、寧ろ訴えたいことがあるのか
全く分からない。
いくら作り事でも、主人公があそこまでモテるのは可笑しい。
理由付けが曖昧で、たとえ『うまい』からと言って
それは『モテ』とは違うのだし
女を馬鹿にし過ぎているように思う。
苛々している人はエンディングですっきりする
という話も聞いたが、自分はバッドエンドだとしても
全くすっきりしなかった。
だからなんなのか。不必要に残酷にして怖さを煽っているだけで
「だから浮気は駄目だよね」というだけの結論でもあるまいに。