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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.12.04 Wed
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2009.08.16 Sun


テレビでやっていたので見てみた。
映画の予告を見た時点で、どうせこんな内容だろうと予測はしていたが
あまりにも予想通り。
不条理で暴力的な上官。
反発する部下。
戦争に行きたくも無いのに出兵させられる兵士。
取り残され涙に暮れる家族。


確かに、外国人が撮った日本人にしては
無意味な漢字の羅列
何故か流暢に英語で話す
日本人のはずなのにアジアまたは日系人なだけ
という不自然さは少なかった。
が、少なかったというだけの話だ。
世間の評価が高いことに非常な疑問を覚える。

着物の着方や言葉遣いなどの不自然な点は
百歩譲るとしてもだ。
伝えたい事が、戦争は悲惨だということだけなら
フィクションで十分だ。
わざわざ硫黄島を持ち出し
更には栗林閣下やバロン西まで出しておいて
この内容はどうなのだろう。
下調べや時代考証が不十分だとしか言いようが無い。
手榴弾の火薬の不自然な点
硫黄島においての戦略の不自然な点
夜通し国旗を掲げていたのかという点
等等、少し検索すれば、フィクション故仕方ないというより
事実歪曲に近い点が多々ある。


たとえば、

脱走しようとした腰抜けの部下が許せず、
上官の私情で自らその場で背中から射殺した。

というのと

当時脱走兵は戸籍に『非国民』と書かれ、
家族も大変辛い目に遭う。
脱走したところで敵兵に殺され、家族が汚名を着せられて苦しむくらいなら、
戦死したと告げた方が家族の為になるだろう
と泣く泣く逃げ出そうとする部下を撃った。

というのでは大分異なると思うのだが
後者だと受け取るには当時の状況や心境などを
きちんと理解していないと無理だろう。

これが単なる洋画であるなら、
まぁマシな方だよね、で済むが、
日本人の役者があれだけ出演していてこれはどうなのか。
先ほども書いたが、実在の人物と架空の人物を絡める手法はありがちだが
あまりに実在の人物を軽んじているようにしか思えなかった。
栗林閣下など、ただのフランクな親父にしか見えない。
如何に素晴らしい方だったか、本を立ち読みした方がよほど理解出来る。

ネット上でこの映画の評価を見ていて
あまりに高評価な意見が多くて空恐ろしい。
二宮君のファンで、二宮君がかっこよかったから
というのはまだ良いが
「戦争って怖い、ひどい」
という人の多くは、これをきっかけに史実を調べなおす
ということをしないのではないかと危惧する。
逆に低い評価をつけていた人たちは、少なからず史実に対しての知識があるようだった。

戦場が悲惨なのは当たり前だ。
というのは、ある戦場カメラマンの名言だが
人が殺しあっている状況は悲惨で当然だ。
だが戦争と戦場は違うものであり、戦争が何故起きたか
ということが重要なのである。
何故我々の祖先が、小さな硫黄島を死守せねばならなかったのか
アメリカが5日で落とせると思った島を36日間持ち堪えたその理由
それを知って欲しい。
そうすれば、
「悲惨だった。よくないとおもった」
では終わらないはずだ。

人殺しが良いことではないのは当然だ。
だが、戦場ではそれが英雄になる。
それを後世の人間が事情も知らず、しかも一方だけを
悪人と決め付けるなど、東京裁判もいいところの行為を
彼らに祖国を守ってもらった子孫である我々がするのは可笑しい。

「侍魂を美化しない珍しく素晴らしい映画」
というコメントも見たが
どう読んでも、侍魂=死ぬ事と捉えてコメントしているようだった。
確かに『武士とは死ぬ事と見つけたり』とは
葉隠れを知らない人でも聞いたことはあるほどの有名な言葉だが
これはけしてあっさり死んで逃げたり、進んで勝ち目の無い戦いに飛び込んで死んだりすることではない。
認識不足過ぎると思った。

日本国民がこのような状態では、武士も兵士も
この国の為に戦って亡くなった人々は浮かばれまい。

少なくともこの映画には、
硫黄島も手紙も栗林閣下もバロン西も
欠片も真実と呼ばれるようなものは描かれていなかった。
それを認識し、どうか一人でも多くの人が事実を調べ
学んで考えてくれることを望む。

 

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2009.07.18 Sat

内容は、多少の心得がある人ならば
さほど珍しいものではない。
初心者向きだろうか。

気になるのが筆者の言い草。
~だろうか、これも筆者の一人合点などの書き草が目立つ。
事実を資料として書いているというよりは
筆者のエッセイという区分の本だろう。

何も知らない人がこれを読んで
信じ込んでしまうのも問題な気がした。

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2009.07.04 Sat

別段、つまらないとは思わない。
どちらかと言えば面白い部類だとは思う。
しかしどうにも面白いと言い切れない一因は、
登場人物たちの魅力の無さのせいだと思う。

松川にしろ阿久津にしろ
それぞれ違う意味で魅力が無く、感情移入のしようがない。
強いて言うならば美和子がまだしも自分と近いようには感じた。
彼女が阿久津と別れた理由として、
夢をあげていた それについては唯一共感できた。

心理描写に優れているという評価らしいのだが
共感出来ない以上私とはどうも相容れないらしい。
結婚詐欺師がいて、刑事がいて、捕まえる。
言ってしまえばただそれだけの話だ。
ストーリー展開にミステリーらしいどんでん返しでもあるか
と期待したが、一切無かった。
先が予測出来るミステリーというのは、私の中では微妙な位置づけだ。

また、女性である筆者が、女性が騙される話を書くのは
一体どんな思いでなのかいまいち読み取れなかった。
女性に注意を喚起したいのか、
そうは言っても松川は夢をくれるし、夢を与える男が魅力的だと言いたいのか

 

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2009.07.04 Sat

まだ上巻なのでなんとも言えないが
面白いことは面白いのだが
先が読めてしまう展開が微妙。

台詞で『っ』を多用するのがどうも引っかかる。
!の代わりかと思えばそうでもなく。
筆者のやり方なのだろうが、子どもじみた軽い印象になり、
恐ろしい怒りに聞いている側がすくむような状況には
私は読み取れず冷めてしまった。

読んでいて、確かにこれは騙されるかも
と思う部分はあった。
日常で、知り合う人の情報は
自分が見て感じ取る部分、人の噂、そして本人の話が普通だろう。

一々実際に戸籍を取り寄せることなどしないし
免許を見せろとも言わない。

 

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2009.06.16 Tue

小さい時目が悪くてオバQを読んでいて
というエピソードで、
最近報われたから過去の自分に
「必ず報われるから頑張れ」って言ってあげたい
という気持ちはとてもよく分かる。
誰にでもあるのじゃないだろうか。
あの時の自分はよく頑張ったな。
よく乗り越えたな。だから今がある。
今幸せだから大丈夫だよ、と言いたいこと。
私にはある。
その反対に、未来の私が今の私にエールを送っていることがあるのかも。
なんとなく、その考え方はいいなと思った。

私は時々、急に周りの空気がざわっと変わって澄んで
目が急に良くなったみたいに
寝ていたのが覚めたみたいに、急に景色が生々しく
はっきりと見える時がある。
そういうとき、
誰かが見てくれている。覚えてくれている
という気持ちになるので
もしかしたら
いつかの私や、大事な誰かが送ってくれたエールが
どんな形であれ届くのだとしたら
やっぱりちょっと素敵かもしれない。
 

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2009.06.15 Mon


個人的に、秋くんの再登場は非常に嬉しい。
コハルちゃんが駆けつけたら両親の離婚がなくなりました
というのよりもリアリティがあり
匙加減の上手い展開だと思う。
工藤さんのエピソードも新しい切り口で良い。
誰もが何かしら抱えて生きているのだなと改めて思う。

 

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2009.06.15 Mon


タイトルと写真に惹かれて読んでみた。

日記風のエッセイなのだが
全体的に、寂しく後味が悪い感じ。
多分単純に、この著者と私の価値観が合わないのだろう。
何が言いたいのかわからず戻って読み直しても
それでもよくわからなかったり
それは違うだろう、と思ったりする部分が結構あった。
これは著者の話ではないけれど
恋人と別れるからと言って貰ったものを全て返してくるなんて
付き合った間には楽しかったこともあったはずなのに
それを全て無駄と考えて無しにしようとしている感じが
結局その程度の付き合いだったのだろうと思ってしまう。

体裁にしても、改行が多く行頭の空白が無い。
横書きで、ネット上のモニタに表示されるblogならいざ知らず
縦書きでこのような書き方をされるのが
新しい試みのつもりなのかもしれないが
どうも違和感と上辺だけの空虚な感じを受けてしまった。

 

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2009.06.14 Sun
下巻に限って言うなら、正直言って然程面白くは無いだろう。
最高潮は中巻に収録されている辺りと思われる。
裁判辺りは当時の社会問題を取り上げている点で評価されるべきだが
小説としては独白が多く、読者視点では的外れな推理や論告が続く形になる。
個人的には中巻にあったような兄弟の会話や
神とは、人とはという思想
長老亡き後教会を一度出たアリョーシャ自身について
もっと読みたかった。

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2009.06.10 Wed


酷い小説だ。
いや、誉め言葉だが。
酷い話で、後味も悪い。しかしスピード感があり、読ませる力がある。どこかに残る小気味良い後味。
一体どう終わらせるつもりなのだろうという期待感。
裏切られ、拍子抜けしつつもやられた、という感じ。

伊坂作品も4冊目ともなれば、大分世界観の見えてきて
登場人物の会話のセンスの良さなどは
相変わらずだ。
だがしかし、これを1冊目に読んでいたとしたら
ここまで伊坂氏のファンにはならなかったかもしれない。

ネットでレビューを見てみたが
やはり昔からのファンの方々でも賛否両論のようだ。
私が過去に読んだ伊坂作品では、
世間一般の常識に照らし合わせると『悪い人』なのだが
どこか憎めなかったり、真摯に罪に向かい合っていたり
といったキャラクターで、知らず感情移入してしまった。
が、この作品の登場人物は『悪人』で感情移入出来ないし
一番一般人とも言える鈴木にしても
そこまでの魅力を感じることが出来ない。
惜しいような気もするが
これはこういう作品であり、これで良いのだろうという気もする。

 

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2009.06.09 Tue


面白いか面白くないかといわれれば、面白いと思う。
ただ、石田衣良という看板があるから認められるのであって
これが新人賞に応募された無名の素人が書いたものなら
「どこかで読んだような話。全てが借り物で出来ている」
と酷評されるのではないか。
腐海に降り立った娘が、太古の昔に歌われた救世主で
騒ぎを収める為に毒の空気に肌を晒していたし
変わった名前、名前は同じだが違う人格の世界
争い、伝説、不幸な事件で覚醒する伝説の勇者
勇者に専属でつく、多くは小動物に似た形をしたパートナー
本人は無力なのに勇者にまつりあげられ
戸惑いながらも事を成しえる。
自分には理由がわからないけれどなにかをきっかけにタイムスリップしてしまう。
全てよくある話で、先の展開が読めてしまう。

著者が9.11に衝撃を受けて作った設定に理解は示すが
解説にあるほどのオリジナリティや新味には感じられなかった。

『普通の人』であった男が、いくら死を身近に感じ覚悟していたからと言って
突然勇者として振舞えるという説得力はあまりないし
そんな勇者なのに、現実世界に戻ると突然浅墓に人を殺そうとする。
殺される側もあっさりそれを許して協力してくる。

 

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2009.06.08 Mon

雑誌連載を本にまとめたエッセイ。

特に心に残ったのは、
『そのひとことが』と『日々に学ぶ』。

本人にとっては何気ない一言でも
本気で真摯な気持ちで言ってくれた一言が
大袈裟でなく闇から救い上げてくれる一言になる
ということは実はよくあることで。
同情で言ってくれた訳でなくて
本当にそう思っているというだけで響く。
自分も誰かにとってのそんなひとことを
言えていたらいいなと思う。

犬の散歩をしている人 というのは
ただ歩いている人よりも話しかけやすい、と思う。
歩いている目的がはっきりしているし
多分時間の余裕も心の余裕も多少あるはずで、
犬の散歩のさせ方や犬の顔で
なんとなく飼い主の人間の検討がつくと思う。
散歩をしていてふと立ち話になった
見知らぬ人との会話は、結構ずっと覚えていて
思い出すときゅんとするようなことが多い。

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2009.06.06 Sat

前巻に比べると面白く感じた。
女性陣の嫉妬や悩みの話になると、正直苛っとして
読み飛ばしたくなったけれど。
こういった展開になられると、リーリンの存在がうざったい。
ただでさえうざったいのに、グレンダンでの云々という設定がある。
しかもああした既成事実が作られてしまうと、どうも…。

メイは既に嫌いなのでどうでもいいが、
ナルキがやや疎外されている気がして可哀想に思う。
彼女はメイやミィのせいか、武道者であるという扱いを
少なくともこの巻ではされていないなと思う。

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2009.06.06 Sat

演劇集団キャラメルボックスの舞台を先に見ていたので
内容は既に把握しており、オチも知っている。
しかしそれでも引き込まれ、一気に読んだ。
この長い話を、思ったより然程カットせず
2時間の舞台にまとめあげた脚本の成井さんは
相変わらず凄いと思う。
ほぼ忠実で、台詞や地文の味を損なっていなかった。

『博士の愛した数式』を読んだときも思ったが
学校でもっとこんな風に、数学は哲学に近いのだと
教えてくれる先生がいたなら、私は数学を好きになっていたかもしれない。
石神は、良い先生だと思う。
良い先生過ぎて、受験の為の授業が求められる
現代の進学校では宝の持ち腐れだ。
湯川ではないが、本当に残念だ。

舞台では、気持ちはわかるけれども
靖子が少し酷いというか、
私は石神にかなり肩入れして見てしまっていたのだが
小説を読むと靖子にも感情移入してしまった。
こんなに自分を愛してくれる人がたくさんいるのに
何故自分は幸せになれないのか、という彼女の思いは
読んでいて辛くなった。

石神の豹変か、と読者が感じるところが
実はオチのトリックよりも
地味でも非常に重要なトリックなのだ。

舞台について、製作総指揮の加藤さんが
「これは究極のハッピーエンド」と言っていたが
その言葉自体に救われた。
でも、小説を読んでみて、やっぱりこれはハッピーエンドではなく
どうにも救いのない悲しいばかりの話に思えた。
ただ、その衝撃だけではなく読者の心を揺るがし振るわせるのは
やはり根底にあるのは、『愛』なのだと思う。

原作にはなく、舞台オリジナルだったと
読んで判明したことなのだが
ラストの石神の慟哭は、舞台では演じる西川さんが
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
と叫び、くずおれ、呻く。
とても印象的で、心を抉られる叫びだった。
その台詞が、成井さんが書いたのか
エチュードの過程で西川さんなりが付け足したのか
はわからないけれど
あの叫びを加筆出来るのもまた
原作に対する『愛』があるからなのだと思った。

靖子、石神、そして湯川
工藤など周りの人間も
どの立場になっても辛く、苦しい
愛があり、しかしだからこそ辛い物語だ。

 

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2009.06.05 Fri


とても重い話だった。
暗い夜の森や海を思わせる、纏わりつくような深い闇。
正直少し怖かった。

私は、死ぬことは怖いし
普段みんな、自分の寿命がいつどうやって尽きるのか
あまり考えない。
漠然と、そんなに最近ではないと思っているだろう。
それはおかしなことではないと思うし
大好きな人と一緒にいられる時間が短かったことを
可哀想に、残念だったね、と思うことが間違いだとは思わない。

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2009.06.05 Fri


毎日サイトに通って読む分には気にならない程度なのだろうけれど、本としてまとまって一年分一気に読むせいなのか
『忙しい』というのと、日本批判というか海外礼賛がやや気になった。
日記だから感情をぶつけている訳だし
本当の本音では日本を愛していることもわかる。
仕事を減らそうとしているという内容もあった。
だが、それにしても気になった。

それから、商業的に妥協するくらいなら芸術家ではない
というような回答があったが、
個人的には、アーティストならばこそ、『買ってね』とは言わないのではないかと思う。
買ってね=抱いてね とまでは思わないけれど
気に入れば買うのは当然なのにわざわざ敢えて買ってね、と言われると
買い手としては冷めてしまうし、作品の質も疑ってしまう。
だからといってばななさんが嫌いになるわけではないけれど。

 

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2009.06.01 Mon

あとがきによると、『ハチ公の最後の恋人』の
後日談、とのこと。

『ハチ公の最後の恋人』に対して私は
透明な液体のような
光に透けて泡を包みながら漂っているようだ
と感想を抱いていたのですが。

あの話はとても痛くて。
”感情に任せて追いかけようと思うとすっきりするけど、
翌朝やっぱりやめようと思うとすごく痛くなる”
というところとか。

それに比べると、この話は
ずっと昔に手に入れた幸せを
大人たちの都合で失ったけれど
自分が大人になった今それを取り戻す、という段階で
きっとなるようにしかならなくて
多分幸せを掴めるんじゃないかと思える展開なので
痛みは少ないように感じる。


自分じゃないのに自分みたいな大切な人
会えないけれど、幸せを祈る気持ち。
とても共感する。

"人は変わらない。
結局その人の好きなようにしかならない。
もしも私たちを愛しているならあなたの生活を変えて
という類いのことが、どれだけ意味がない考えか"
"家族は家族であるだけで既に問題点でいっぱい"
この記述は突き刺さった。


ばななさんの著書で自分が好きな点のひとつが
夏の描写が綺麗だということ。
"なにか清らかなことが起こっている感じの光と雲"
なんて、プロに対してこういうのも失礼だが秀逸。

正直、実は幸彦さんは、という展開は
最近のばななさんの作品ではありがちな
まるでギャグ漫画のような、それってありなの?
という設定で。
それにより珠彦のキャラをたてることになるのもわかるが
やりすぎというか、文学小説でそれってあり? とは
ぶっちゃけると思ってしまう。
沖縄やハワイ、複雑な家庭環境
似通ったモチーフを使い続けることも含めて
げんなりしてしまうファンがいることも理解出来る。

それでも惹かれてしまうのは
透明感や、心に刺さるような
何故知っているんだろう? とすら思うような
感情の動きを綺麗に描き出す文章と
それによる空気感のせいなのだと思う。


 

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2009.05.28 Thu
CG合成により、フェルメールが消した静物を再現したり
組み合わせて贋作をつくったり、といった趣向が
面白かった。
消失点、透視法云々についても
同じく合成で、本来ならこうなるという例があげられており
分かりやすい。
また、カタリーナが悪妻であったのではという説も
真偽はさておき面白い説ではあると思った。

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2009.05.28 Thu

全く内容を知らず、帯も裏表紙も読まず読んだので
仕事のしやすい外見云々の記述で驚いた。
死神とは比喩だと思い込んでいたので。

クールな死神は人間の死に無関心だが
仕事なので気が進まなくても頼みは聞くし
自分のせいで死ぬ相手に申し訳ないと言う
感覚は持っている。
突拍子もない、ファンタジーな設定にも関わらず
どこかリアル。

オムニバス形式ではあるが
一連のつながりがあり
『重力ピエロ』とのつながりも少しだけある。
どこまでもリアルな設定だった重力ピエロとの関連が
我々の住むこの世界のどこにでも
死神がいつの間にか来ているかもしれないと思わせる。

軽快で読みやすく、それでいて
味のある作品。

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2009.05.27 Wed

続編なので致し方なしとは言え
つい1と比べて終いがち。

1は原作を知らずに見て面白かったが
それで興味を持って原作を読んだ今
この内容で、漫画を読んでいない人に伝わるのか?
というのが大いに疑問。
特にハチやナナやノブ辺りの
切ないすれ違いのところ。
漫画で重要と思われた台詞も省かれていることが多かった。

また、役者の交代も頂けない。
諸事情があるにせよ、やはりどうかと。
ならば潔く映画を作らなかった方が良かったのでは
もしくは全員キャストを刷新すれば良かったのでは
という気すらする。

レンはマシになった分影が薄くなった感があった。
シンは、松山くんのシンも結構好きだったけれど
年齢等こどもっぽい外見という点では、原作に近くなったのかも。
肝心のハチは、やはり微妙。
頑張っているのはわかるのだが、1と比較すると
1で作られたハチに合わせようと無理している感じで
叫び声などがうざったく感じてしまった。

ただこれは1でも思ったことだが
バンドを扱った物語なのだから
せめてボーカル役だけでも本物の歌い手さんを使う
という配慮は非常に良かったように思う。

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2009.05.26 Tue

近藤さんのお妾さんの深雪とお孝。
いくら現代と価値観が違うとは言え
相手が太夫だったとは言え
わざわざ姉妹を近藤さんが妾にするというのは
伝わっている史実の中で、
どうもしっくりいかなかった点のひとつ。

それを上手く纏め上げている。
もしもこうだとすれば、確かに納得がいく。

谷さんのエピソードもそうなのだが

史実とされていることは大半が
口伝や資料であり
必ず時も事実であるとは限らない。
名誉を守る為に敢えて嘘を書いたり
自分の都合の良いように伝えたり
ということは儘在る事で
そういった事実をきちんと踏まえて
資料を読み解く必要があると思う。

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2009.05.24 Sun
もっと当時の文化や具体的なことに
触れた内容かと期待したが、基本的には
絵を基にした論述。
面白い部分もあれば、納得のいかない部分もある。

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2009.05.17 Sun

ガードナー美術館の盗難事件の
詳細が知りたくて読んでみた。
図面等も収録されており、参考になった。

また、美術品を人質にとるということは
そこまで芸術を大事にする人ばかりでもなく
宗教や民族問題もあまり表面化しない
単一で無宗教の民族といわれるである日本人には
中々理解が及ばないことなのだろうと思った。

悪徳コレクター=日本人のイメージがつけられるのは
非常に不満だが。(苦笑)

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2009.05.15 Fri

舞台は見にいけなかった作品。
ついでに言うと、ドラマも見ていない。
DVDをいつか、と思いながら買いそびれている。

よって、内容については
俳優の岡田達也さんのblogなどの情報しかないのだが
この脚本を読むと、それは父親としては
娘が可愛くて仕方ないし、親馬鹿になって
惚れ込むのも当然だなと思った。


それにしても脚本自体は随分とさっぱりしている。
舞台は脚本家だけで作るものではないと再認識。

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2009.05.14 Thu

自分は無宗教ではあるが、ミッションスクール出身者なので
ゾシマ長老の話やアリョーシャの話
イワンの話などはとても興味深かった。
ただ、キリスト教圏ではない日本人の一般読者にとっては
聖書の引用など予備知識のないことなので
理解しにくいのではないかと思う。

挿入されていた寓話が、芥川龍之介の「くもの糸」に酷似していることには
何か理由があるのだろうか。

自分が特定の宗教に入信することは
恐らく一生涯ないとは思うが、宗教というものに対して
宗教を道徳と置き換えるなら理解出来る
とこの本を読んで思った。

まだ時が来ていないだけで、時が至れば
罪深き者も真実に気付くのだとは
色々な宗教で言われ勝ちなことだと思う。
これはまた、ならば何故悪人が蔓延るのかと反論されがちでもある。
しかし、その人が理解しなくてもその代わりに別の人が気付き
輪廻転生として全てが繋がっている世界として考えるなら
少し納得がいくようにも思う。
カルマというやつだ。


殺人をしたが、別の人が逮捕され
その人も獄中で死んでしまったという人間が出てくる。
その人は自分の罪を悔いて、十数年を過ごす。
罪は、この場合特に限って言うなら
人を殺した罪は、どうしたら赦されるのだろうか。
盗みならまだしも、命はどうしたって返って来ない。
それでも遺族としたら、犯人が野放しになっているよりは
掴まって服役するなり
泣いて謝罪される方がまだマシかもしれないが。

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2009.05.12 Tue

タイトルだけは聞いた事があった。
ある人のblogの引用で、
"ひとりの人間の物語はすべての人類全体の物語になる"
と引用されていたのをきっかけに
読んでみた。

無宗教でミッションスクール出身の自分は
キリスト教のイエスや神の存在に
疑問を感じることが幾度と無くあった。
信徒には神を試すなと言いながら、神やイエスは
人間たちを試し、苦境に置く。
だから、"カルロス"の言いたいことは、非常に理解できる。

性善説か性悪説かとよく言われるが
人間はどちらも常に持ち合わせていて
悪人とされる人でも蜘蛛を助ける人もいれば
善人とされる人が他者を裏切ることもあり
常に一貫しないものなのではないか。

私がプリン嬢だったらどうするだろう。
どう立ち向かうだろう。
"悪魔"とふたりきりで対峙するなんて怖すぎるし
そんなことで報酬を貰うのは怖い。
また、ベルタの立場であってもやはり怖い。
かと言って全てを見捨てて逃げても後悔するだろう。

蝿の王などを読んでも思うことだが
極限状態において人間は、良心ではやはり生きられないのだろうか。
悪魔の計画に乗るのをやめようと言う人はいないのだろうか。
金のためか。自分の安全のためか。
自分がその状況にあって、どう行動するか。
"正しく"行動すると信じたいが、やはり恐怖で従ってしまうのだろうか。

人が立ち向かわなければならない
打ち克たなければ鳴らないものは
"悪魔"という抽象的な概念ではなく
常に自分自身なのだと強く思った。

そしてまた、現実に"悪魔"と対峙することは、実は多い。
その強さと種類に差はあっても
誘惑や恐怖は生きている以上常身近にある。
この村でおきたようなことはどこでも起きるし
ひとりの人間の物語はすべての人類全体の物語になるのだから。

悪魔に勝てる光を、恐怖や欲で制御されるのではなく
自分自身の良心で育てていけることが出来たなら
と思う。

 

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