あとがきによると、『ハチ公の最後の恋人』の
後日談、とのこと。
『ハチ公の最後の恋人』に対して私は
透明な液体のような
光に透けて泡を包みながら漂っているようだ
と感想を抱いていたのですが。
あの話はとても痛くて。
”感情に任せて追いかけようと思うとすっきりするけど、
翌朝やっぱりやめようと思うとすごく痛くなる”
というところとか。
それに比べると、この話は
ずっと昔に手に入れた幸せを
大人たちの都合で失ったけれど
自分が大人になった今それを取り戻す、という段階で
きっとなるようにしかならなくて
多分幸せを掴めるんじゃないかと思える展開なので
痛みは少ないように感じる。
自分じゃないのに自分みたいな大切な人
会えないけれど、幸せを祈る気持ち。
とても共感する。
"人は変わらない。
結局その人の好きなようにしかならない。
もしも私たちを愛しているならあなたの生活を変えて
という類いのことが、どれだけ意味がない考えか"
"家族は家族であるだけで既に問題点でいっぱい"
この記述は突き刺さった。
ばななさんの著書で自分が好きな点のひとつが
夏の描写が綺麗だということ。
"なにか清らかなことが起こっている感じの光と雲"
なんて、プロに対してこういうのも失礼だが秀逸。
正直、実は幸彦さんは、という展開は
最近のばななさんの作品ではありがちな
まるでギャグ漫画のような、それってありなの?
という設定で。
それにより珠彦のキャラをたてることになるのもわかるが
やりすぎというか、文学小説でそれってあり? とは
ぶっちゃけると思ってしまう。
沖縄やハワイ、複雑な家庭環境
似通ったモチーフを使い続けることも含めて
げんなりしてしまうファンがいることも理解出来る。
それでも惹かれてしまうのは
透明感や、心に刺さるような
何故知っているんだろう? とすら思うような
感情の動きを綺麗に描き出す文章と
それによる空気感のせいなのだと思う。