自分は無宗教ではあるが、ミッションスクール出身者なので
ゾシマ長老の話やアリョーシャの話
イワンの話などはとても興味深かった。
ただ、キリスト教圏ではない日本人の一般読者にとっては
聖書の引用など予備知識のないことなので
理解しにくいのではないかと思う。
挿入されていた寓話が、芥川龍之介の「くもの糸」に酷似していることには
何か理由があるのだろうか。
自分が特定の宗教に入信することは
恐らく一生涯ないとは思うが、宗教というものに対して
宗教を道徳と置き換えるなら理解出来る
とこの本を読んで思った。
まだ時が来ていないだけで、時が至れば
罪深き者も真実に気付くのだとは
色々な宗教で言われ勝ちなことだと思う。
これはまた、ならば何故悪人が蔓延るのかと反論されがちでもある。
しかし、その人が理解しなくてもその代わりに別の人が気付き
輪廻転生として全てが繋がっている世界として考えるなら
少し納得がいくようにも思う。
カルマというやつだ。
殺人をしたが、別の人が逮捕され
その人も獄中で死んでしまったという人間が出てくる。
その人は自分の罪を悔いて、十数年を過ごす。
罪は、この場合特に限って言うなら
人を殺した罪は、どうしたら赦されるのだろうか。
盗みならまだしも、命はどうしたって返って来ない。
それでも遺族としたら、犯人が野放しになっているよりは
掴まって服役するなり
泣いて謝罪される方がまだマシかもしれないが。
しかしたとえば被害者が、当然殺されても良いと思えるほどの悪人の場合。
その悪を除いた殺人犯の罪は
果たして自首をして法律の下に裁かれることで
赦されるのだろうか。
一体誰に?
その赦しは本当に必要なのだろうか。
そうやって見ず知らずの人間に
根掘り葉掘り聞かれて裁かれて、刑に服して
それで春の罪は赦されるのだろうか?
罪を償うことで、苦しみから解放される、からか?
しかし、人を殺してもなんとも思わない人間も
死刑にして欲しいから、と殺人を犯す人間もいる。
勿論法律が不要なわけではなく
抑制するための脅しとして必要ではある。
そしてまた、模範であり良心として宗教があるのだろう。
楽園はこの人間が生きている世界である
という件が出てきたが
あまりに身近過ぎて気付かない幸せというものは
実はとても多いものだと思う。