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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.09 Thu
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2009.09.22 Tue
写真
土産物屋さんでこんなのを発見。
試食がおいしかったんで買っちゃった。

写真
一粒は結構大きくてこんな感じ。
しょっぱくてトマトの甘みがしっかりしていて癖になる。
辛めの日本酒が合いそうです♪

写真
鶴ヵ城に行ってみましたが…
正直五稜郭以下の観光地で…

「人が死んでるんだぞ!!」

と誰かさんみたいに叫びたい気持ちに。
みんな、ここへ何をしにきているのだろうと、嫌味ではなく素直に疑問。
ユイを連れていたこともあり、天守閣には入らず早々に退散。
あ、因みに日新館は、だっこかケージに入れれば犬OKの太っ腹さんでした。

で、お城を出て目指したのが、元々日新館のあった場所。
天文台の石垣が一部だけだけど残っていました。
写真

写真撮り忘れたけど、物凄く細くて急で手すりも無い
あんまり上っちゃ駄目っぽい階段があったので上って見た☆
写真
これがそこからの眺め。お城も磐梯山も見えます。
観光客自体あまり来ないみたいで、地元の人にぎょっとされました。(汗)
民家の二階と同じかそれより高いので
足を滑らせたら確実に怪我できそうです。

写真
ここから遠眼鏡(望遠鏡)で星空を観察してたんだよ。
すごいなぁ…。

写真
こうなったら制覇しよう! と、ここのオリジナルソフトの白桃。

写真
お城餅とライスバーガー。
お餅は田楽風で焼いてある餅に味噌が。
それにしても田楽の由来ってさ…怖すぎるよね…。

もう夕方で、施設関係はしまってしまっているので
この後は阿弥陀寺へ。車を止められなかったので、通過しただけですけど。
御三階らしきものは見えました。
ここには明治戊辰戦役殉難者の共同墓碑や
藤田五郎さんのお墓もあります。

なんかね。近藤勇の墓は観光マップに載っているのに
なんで会津藩と共に戦うと言って駆けつけて、戦後も藤田五郎という会津の人として生きて
この土地に骨を埋めた斎藤(一)さんのお墓が載っていないんだろうって思うよ。

この後天寧寺へ。
萱野家のお墓があると聞いたので。
ほんとは日曜にもこのお寺には来たんだけど
そのときはちゃんと萱野さんのことを知らなかったから
それなのに行くのって、誰かわからんけど有名人らしいからサインちょうだい、ってのに近い
物凄く相手に失礼な行為な気がしたからお墓には行かなかったんです。

このお寺も近藤さんのお墓のことばかり書いてあるけど
そりゃ私も近藤さん大好きですけど
会津っこなら萱野さんを推すべきじゃないのだろうか…。

萱野権兵衛さんと、次男の郡長正さんのお墓にご挨拶しなくちゃと思って
行ったのだけど、とっぷり日は暮れて月も沈んで真っ暗で
でまたここのお墓って山道を登っていくところなので、途中まで行って
他のお墓の人たちにも申し訳ないなぁと思って
こんな日が暮れてから来てお騒がせしてすみません、また来ます
って言って引き返してきました。

あ、この人たちのことを知らない人は、wikiレベルでもいいので
ちょっと調べてみてください。なんだ、ただの神かって感じです。すごいです。

出掛けに満タンにしたガソリンも残り四分の一ほどになったので
ガソスタに立ち寄り満タンに。

戸の口原合戦場跡へ。
まだ20時くらいだけど、街灯もないし本当に真っ暗。
その分星がとても綺麗で。
でも合戦場跡で降りて呑気に写真撮るのもなんだし、通過。

母成峠。
写真

やっぱり真っ暗で、ガスも出てきて星も見えなくなり。
日中はパーキングに車を置いて歩けるみたいですが
この暗さではいろんな意味で怖い(苦笑)のでそれはなしで。
車で通過できたら良かったんですけどね。Ezナビ上は通れるってなってたんだけど。
ガードレールで出口も封鎖されているし、路面にブラックマーク。
どうも走り屋さんの巣窟になってるみたいですね。


こんな感じで、他にも行きたいところは、猪苗代城とか容保さんのお墓とか
たくさんあったのですけど
もっと時間があれば新潟まで足を伸ばしたかったところですけど
猪苗代湖の上の方をちょっぴり周ってそのまま帰路につきました。

高速道路はかなり混んでたらしいけど、下道はめちゃくちゃ快適で
22時に出て27時半には自宅に着きました。

キリとしては、白虎隊→子どもが死んだ→悲劇 程度の知識しかなく
なんかもやもやしてたみたいなんですけど
今回の旅で
「保科正之すげぇ!!」
って感じに会津藩へのイメージがかなり変わったみたいで
私としても満足でした。
飯盛山やお城は観光客の態度に疑問を覚えることが多かったけど
天文台跡まで歩いたり、ならここが門だったのではと想像するのは勉強にもなったし
かなり大雑把ではあるけれど、攻め込まれ退却した会津戦争のルートを逆に辿り
決戦の分水嶺ともなった母成峠を最後にした今回の旅行は、良い経験になりました。
もっと勉強して、また来たいなと思います。

やらなければならないことはやらなくてはならぬ。
やってはいけないことはやってはならぬ。
ならぬものはならぬ。

やっぱ武士ってカッコイイ。(またそれか)



追伸:
今回の旅で怖かったこと、その一。
栃木の山奥を通過中、キリさんが
「今の廃ビルなに?」
って言ったこと。
窓硝子が割れた絵に描いたような20階建てくらいの如何にもな廃ビルがあった
と言うんですけど、私にはそんなもの見えなかったんですががが。
ってゆーか、ほぼ平屋しかない山奥だよここ?! ((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタカタカタ

その二。
萱野さんのお墓を探していたとき。

(*´清`)「こんな日が暮れてから行って、(お墓に眠ってる人に)失礼じゃないかな?
怒られないかな?」

(*´霧`)「大丈夫やって。怒ってはったら言うからw」

余計怖いわっゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'

諦めて車に戻ってから
(*´霧`)「誰かわからないけどひとり来てはったから、もう今日は帰りって意味やと思う」

Σ(゚ω゚)

キリがひとり来たなーって思ったときと、私がとりまなんか今無理って思ったときが
答え合わせしたら同じだったんで、多分誰かはきてはったのでしょう。
キリ曰く怒ってはなくて、「こんな時間に珍しいなー」って感じだったらしいので
まぁいいんですけども。
後で調べたら、分かれ道で左折したときだったんだけど、お墓があったのが右折した先だったらしく
もしかしたら「そっちじゃなくてこっちだよ」って誰かが教えてくれてた…とか…?(妄想)

その三。
母成峠でやっぱりキリさんの誰かいる発言www

(*´霧`)「多分西軍のやつやろ。でもきっと東軍の人が守ってくれるから大丈夫♪
俺らの今日一日の行動見てたら俺らがどっち派かってわかってはるやろし」

いや君一昨日まで会津藩のこと白虎隊可哀想イメージしかなかったじゃん。
「待ってろ土方!」とか言いながら、土方さんここに来た。。。んだよね? ぐらいしか知識なかったじゃん。
ってゆーかそれ以前に!! 突込みどころ満載過ぎ!!!



突っ込みどころ満載と言えば…
会津若松観光協会作成らしい、こんなのを見つけました。
いろんな意味で面白かったっス。

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