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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.20 Mon
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2008.12.11 Thu


写真というのは、その人の視点を知ることだ
という話を聞いたことがある。
その人がどのように世界を見ているのかを、写真を通して知ることができるのだと。

このLivespireは、丁度そんな感じだろうか。
舞台を、映像の観点から、他人の視点で限定された情報を見る。
それは不自由でもあり新鮮でもある。
特に自分のように、舞台も映画もそれぞれに好きで
舞台の『嵐』を実際に見た人間としては
どのような映像に仕上がっているのかかなり興味があった。
事前にブログなどで、キャラメルのみなさんの高評価は目にしていたが、出来るだけニュートラルに見るように努めた。

※Livespire
ソニーによる、舞台等をデジタルシネマ作品として映画館に配給するサービス。
http://www.livespire.jp/

演劇集団キャラメルボックス
http://www.caramelbox.com/

ストーリーや芝居についての感想は
舞台を見た時に書いているので今回は割愛しようと思う。
また、若干のネタバレもあるのでご了承願いたい。


映像を見て一番驚いたのは、カット割りだ。
キャラメルの舞台をDVDやTVで見たことはあるが
その作り方はやはり舞台が基本の見せ方。
Livespireの場合はより映画的に仕上がっている。
広瀬教授がひとりで観客に話しているシーンひとつとっても
様々な角度からのカメラアングル。
時に寄ったり、劇場の客席からは見えない街路樹のアップなど
随所に差し挟まれている。

「自分なら『ここを見たい』というシーンで、こっちの映像を挟むか」
と、自分の好みとのギャップも含めて面白みを感じた。

舞台は引いた状態で、客がそれぞれ好き勝手に見たいところを見る。
映像の場合はカメラの向いたところしか見られないのだが、それが逆に新鮮でもある。舞台ではけして見られない役者の小さな表情の動きも見られる。
上映後の取材でその違いについて苦労されたのでは、と監督に質問させて頂いたところ
やはり情報整理には気を遣ったと仰られていた。
テンションの高いキャラメルの芝居を詰め込みすぎず
少し引いたところで見るように。
飽く迄も舞台は観客がいてこそなので、客の笑い声などを
完全に消すことは考えていなかったが
画面の中の観客と、映画館の観客との間にギャップが出ないよう
笑い声を調節するなどはしたそうだ。

コラボものとは得てしてそういうものだが、バランス感覚が一番大切だ。
失すると1+1=2どころか、どこまでもマイナスになってしまう。
舞台の客の笑い声で、映画館の客がひいてしまっては元も子もない。
臨場感や会場の雰囲気が違うのだから、
同じものを見て同じ反応をするとは限らないのだ。

舞台用と映像用では、役者の演技の仕方ひとつとっても異なる。
舞台用のメイク、振り、発声
それをうまく映像に切り取り、収める。
舞台という芸術を映像に作り変える、これもまた芸術なのだと思った。

一番苦労されたのは、波多野のふたつめの声を
ユーリが初めて聞くまでの一連のシーンだったそうだ。
登場人物たちが全て出揃い、それぞれの思惑を抱えて舞台に立っている。
舞台では全てを見ることが出来るが、映像では限定されるので
どれを選び見せるかということに気を遣ったという監督のお話
成る程と思った。

Livespireに使う映像を撮る際には
役者もそれぞれにマイクをつけたそうで
どの音を切りどの音を生かすかの判断もとても難しかったのではないだろうか。
舞台では最前列で見ていたらしいお客さんが
クライマックスシーンで嵐と幸吉の硝子を割る音とで
波多野の「死んでしまえ」はほぼ聞こえなかったと仰っていた。
それが映像では、ぎりぎりのところで聞こえる。

勝本が「(台本を取りにいってもらって)ごめんね」という小声や
雪絵の息遣いなど、舞台では聞き取れないような音が聞こえたのは非常に面白かった。

音と同じく映像ならではだったのは、やはりアップなどのカメラワーク。
安理さんが、
舞台では実際に殴らない乱闘シーンも、映像では殴られているかのように見え、緊迫感が増すと仰っていた。
映像ではアングルやフレーム数でいくらでも"誤魔化す"ことができる。
舞台では役者の演技力で作られる緊迫感が
映像処理でまた違った緊迫感を作り出すことができるのだ。

高杉と言い合いになり始めて、心配した雪絵に大丈夫、と言いながら
高杉の方へ向かう波多野の
大丈夫という手話と目線の鋭さに
波多野が高杉を敵と認識して立ち向かおうと戦闘体勢に入る様子が見て取れ
こういったところは舞台ではかなり前のほうの席でもない限り
感じ取ることが出来なかった点だろうと思う。

波多野に近づかれてどんどん表情が強張っていくユーリ
オーディションの際ユーリの演技にはっとする滝島の表情
手話を取り入れたダンスシーンでのチカコの笑顔
「彼って誰だ?」と問いながら気付く己のことだと気付く幸吉
などなど、はっとさせられるところが多かった。


正直、「そうは言っても舞台の生の迫力には叶わないだろう」
と思っていたのだが、違った。
切り捨てることで凝縮されたキャラメルボックスの面白さがそこにはあった。

芝居が好きな人は、大画面で大音響で
美しいカット割の映像を楽しむことができるし
芝居に免疫のない人でも映画みたいなもの、として
気軽に楽しめそうで、とても面白いと思った。


しかしながら。
舞台では前説などで飲食・おしゃべり、携帯電話等々について
注意を促してくれるので今まで観劇中に然程嫌な思いはしてこなかった。
今回の試写で、上映が始まってだいぶたってからやってきた二人組みがいたのだが
正直それだけでも大変迷惑なのに、がさがさと遠慮なくコートを脱いだり
足を組んだり喋ったり、飲み物を飲んだり飴を食べたり。
特に飴は匂いとその包み紙の音に閉口した。

自分は映画でも、上映が始まると集中するので
飲み食いやお喋りは基本的にしないタイプなのだが
それにしてもブログライター=恐らくキャラメルのファン が
舞台ではなく映像だからと言ってこうした行動に出るだろうか? と思ったら
案の定ブログライター用の席だと知らず、あいていたから座っていたようで
取材に残らず上映が終わるとコートを着て出て行った。

映画館となれば、館でポップコーンが売っているわけでもあるし
上映前に食べ終える、物音を立てないよう食べる か
気にせず食べながら友達を喋る かは個人の判断に委ねられる。

間口が広がるのも、痛し痒しというところか。

 

余談だが、佐藤監督が丁寧に言葉を選びながら
質問に答えてくださり、技術者かつ芸術者なのだろうなと感じた。
そしてワンピースで現れた安理ちゃんの可愛いこと可愛いこと…。
小さくて必死に頑張る安理ちゃんのユーリも
とてもはまり役だったなと改めて思った。

Livespire 『嵐になるまで待って』
本編:124分
(c)株式会社ネビュラプロジェクト/ソニー株式会社 2009

2009年春 全国映画館で順次公開
 

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