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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.20 Mon
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2006.06.02 Fri
基本的に淡々と、しかも細かく書かれていて、読んでいて恐怖や不快を激しく感じることはない。
しかし、表紙に使われている、柳田氏が実際にとったという日本語の走り書きのメモがとても生々しい。
表紙に26日と書いてあるし、本なので残りのページ数から察することもできるし、
ご本人の著作だから、またはニュースで見たから無事解放されるということを知っている。
だからこそまだしも読めるが、それでもたたない日数、もたらされない解放のニュース、
にそわそわしながらページを繰った。

殴られたり拷問にあったり、そんなひどいめにはあっていない。
自炊し、穏やかに生活しているようですらある。
しかし、何も悪いことをしていないのに疑われて逮捕される、それだけで既に
充分ひどいめにあっているのである。

この手のニュースが報じられたときの日本国民の態度に、私は疑問を感じてきた。
拘束されていなかったのなら大丈夫だったのでは、平気だったのでは、恐くなかったのでは、
やらせだったのでは、自分で逃げられたのでは。
危険だと知っているのに行ったのだからほうっておけばいいのに、税金を使うな。
などなど。
私は真っ当なクリスチャンではないけれど、ある聖句が思い浮かぶ。
「あなたがたで今まで一度も罪を犯したことの無いものが石を投げなさい」
(いや、一語一句この通りか自信は無いんですが)
罪のある女、に対して石を投げていた人々に対して、
イエスが言った言葉である。
多分、拘束された人たちに対して、
「無事帰ってこられて良かったね」
じゃなくそんな言葉を投げつける人たちは、多くが戦争を知らない。
頭の上を戦闘機が通り、いつ空爆されてもおかしくなくて、逃げる自由もなく
窓が塞がれただけで気が滅入る。
そんな状況がわかっていないと思う。
斯くいう私だってわからない。経験したことなんてない。
しかし、想像力がある。
人間には、それがあるはずなのに。


想像力など無ければきっと恐い物など無いと同じ

経験値も想像力も無いから、恐い物も無いと感じるから、誹譲中傷も平気で言えるんだろうと思う。
なぜ戦地へ入るのが行けないんだろう?政府が迷惑そうに、いくなってコメントしていたこともあったっけ。
でも、命は自分のものだ。親兄弟に止められるなら兎も角、自分ひとりの命を自分ひとりの判断で、
天秤にかけてそれでも大事なものがあるから行きたい、と思う人を、どうしてとめられようか。
見捨てられないとか、命は大事だとか、そんなエセヒューマニズムで、
心底心配するのじゃなく批判するぐらいなら、
煙草を吸ってる人とか車に乗ってる人とか、いくらでも
『危ないと分かっているのに自分の命だからいいのだと周りの迷惑を考えずに行動をしている人』
はたくさんいる。
命をかけて自分の天職を真っ当しようとしている人だって、ジャーナリストの他に
格闘家とかドライバーとか、たくさんいるのに。
なんでセナを「危ないと分かっていて止めた人もいたのにやって死んだんだから自業自得だ」
と言って、セナの家にカミソリを送ったりする人がいなかったの?
違いが分からない。

ましてや柳田さんは、何度か「政府の助けはいらない」としている。
あんな節操の無い国に助けてもらうなら死んだ方がマシ、というようなことも書いているし、
外交が下手糞でごり押しして余計助けにならないようなことをしているくらいの日本政府。
なのに、助けてやった、って態度をするんだろうなあ。

ミッシェルさんの場合は、会社が取材を止めることは無かったし、実際捕まっても
できる限りの、しかも意味のあることをきちんとしてくれている。
日本は、止めるは逆効果なことするわ、ありがた迷惑なのに勝手に助けて感謝しろといった挙句
マスコミと一部の馬鹿な一般人が税金の無駄遣いだと攻め立てるわけだ。
なんていい国なんだか。
本当に、平和ボケしてるんだな、と思う。
想像力を使う必要性すらなくなってしまったんだろうか。

戦闘機が真上を通る恐怖と、それに加えて取材もできないことが無念だったろうと思う。
でも、これもまた経験、として必死でメモを取り、ちやんと本も出してくれるところが
やはりプロだ、と思うし、お陰で私たち一般人も、そんな貴重な危険を垣間見ることができる。
正直、いくら読んでもなんで戦っているのか分からない。難しくてピンとこない。
なぜそう感じるかと言えば、日本は『単一民族国家』だからなんだろう。
っていう表現は、本当は違ったろう、でも忘れてるだろう、っていう意味合いなんだけども。
今現在抗争が耐えなくて、それぞれにプライドがあって、私は何何民族、っていう自覚があれば
大分理解もすすむんだろうけど、日本人、としか思えない私にとっては
民族間の争いがどうしてもちゃんと理解することができないんだと思う。

タリバンといったら凄くマイナスイメージしか自分の中に植え付けられていなくて、
イメージがとても違った。
更に、タリバンと一口に言ってもいろいろな人がいるわけなのだし。
こうやってそれぞれの「顔」が見えてくると、結局戦う理由なんて消えていくんだと思う。
政府が決めたら仕方無い、部分もあるとは思うけど、互いを憎みあって、っていう戦いは
薄れていくと思う。
戦争を訴えるところから、どうしたら戦争を無くせるか、を訴えようとして見事に監督と脚本が甘く
失敗というか大失態を来たしたガンダムSEED DESTINYだけど、
その構想を聞いて歌を作ってくれたSEE-SAWさんの、君は僕に似ている、
そうした共通点を見つけていけたら戦争は無くなるかも、というのはかなり核心をついた
名曲だと思う。あのアニメにはもったいないほどに。(声優陣とかみんなもったいなかったがな!)

どうしてこんなにも分かり合えるのに、戦友なのに今は敵味方に別れたりして
戦いは起きるんだろう。
結局それは、戦場にいる人間よりも、日本政府みたいに戦場を知らずに
好き勝手やって下手な外交している人たちのせいで、戦争が起きるんじゃないのかな。
アフガンにしろイラクにしろ、結局アメリカのプライドで起こした戦争で、
何かを得た戦いではなかったと思う。

町全体にかみそりの刃が舞っている感じ
という緊張感についての表現があったが、正に身を切られるような極度の緊張だったと思う。
一瞬でもそんなものにさらされて、そしてその覚悟をして旅立って、
しかも観光ではなく仕事だったり使命だったり欲求で行っている人に対して
尊敬こそすれ批判なんて私には到底できない。

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