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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.05.20 Mon
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2008.11.30 Sun

11月28日。
演劇集団キャラメルボックス2008年クリスマスツアー
『君の心臓の鼓動が聞こえる場所』
11月1日から札幌、神戸、名古屋を経て、29日から始まる東京公演に先立ち
ゲネプロを拝見させて頂ける幸運に恵まれた。
"ブログライター"という、素人が舞台を見て取材をし、ブログに記事を上げるという招待企画。
どの道レビューを必ずブログに上げている自分。いつもと同じことをするだけなのに
無料招待して頂けて取材までできるとは。
いつも応募しそこねていて今度こそは、と応募したところ当選し
初めてのブログライター取材参加となった。


ヒロインが黒川智花さん。客演な上に『芸能人』が主役だ。
正直、ある程度以上演劇を齧っている人間なら、芸能人が舞台に立つことに否定的になる人は多いだろう。
いくら女優でも、映画やテレビと舞台は全く違う。
求められるスキルが違うのだ。
何年もみっちり基礎から訓練をして舞台に立つ役者陣の中にあって
たとえば声量が足りないなどは致し方ない話。
それを「芸能人だから」。「女優さんだから」。とそのまま許したりマイクをつけさせたり
そういった観客はもちろん客演者ご本人を馬鹿にしないところがキャラメルボックス。

舞台に白いダウンのコートを纏って登場した黒川さんに私は目を奪われた。
稚拙な表現をするなら、『芸能人のオーラ』というものだろうか。
立っているだけでそこが輝いていて、ちょっとした手の仕草までが可愛らしい。
しかし舞台が進み話が明らかになっていくうち、彼女が可愛らしく見える別の理由に思い至った。
それは黒川智花ではなく、彼女が演じるいぶきの、溢れんばかりの父への愛が
いぶきを可愛らしく輝いて見せるのではないかと。

黒川さん演じるいぶきは19歳。
西川浩幸さんが演じる脚本家、根室典彦の娘だ。
典彦はいぶきが5歳の頃に妻の亜希子と離婚し、それ以来一度も娘とは会っていない。
ばかりか、自分の娘がいることも、結婚していたことも周りには話さず
元教え子の砂川と立ち上げた会社『ダブルハーツ』で日々執筆に励む日々。
クリスマスの近いある日。そんな典彦の家に、いぶきが自分の書いた小説を持って現れる。
14年ぶりの愛娘との再会だった。


重たくなりがちな親子愛というテーマだが
そこはやはりキャラメルボックス。
テンポ良くまさに笑いあり涙ありで軽快に物語が進んで行く。

拝見した後の"取材"では、製作総指揮の加藤昌史さん、脚本・演出の真柴あずきさん
更にたった今ゲネプロを終えたばかりの西川さんが来てくださった。
舞台自体にも感激したが、我々の質問に真摯に丁寧に答えてくださり
一質問すれば十返ってくるという体で、大変感激した。
舞台の余韻で感想ばかりが浮かび、みなさんの質問を聞きながらいくつか質問を考えたが
他の方の質問とかぶったり、コアな質問をしても…と自分なりに厳選して
ひとつだけ質問をさせて頂くことが出来た。
取材でのみなさんと真柴さんのやりとりを聞いていて気が付いた。
自分はどうも、典彦のマネージャーを務める、岡内美喜子さん演じる真知子の立場で
典彦を見ていたようだ。

このお芝居は、成井さんの同タイトルの小説が原作としてあって
それを舞台化したものだ。
残念ながらまだ小説の方は読んでおらず、比較して見られなかったのがもどかしい。
原作を読んでから舞台を見たのは、自分は『クロノス』が初めてだった。
これは自分としては、かなりの挑戦でもあった。
何故なら、先に原作を読んでしまえば原作が面白いと思うに決まっている。
原作に忠実でない部分ばかりが目に付き、映画やドラマや舞台を純粋に楽しめなくなる。
それが大抵のパターンなのだ。
しかしながら、何度も書いているがクロノスは違った。
原作で疑問のあった部分が全て解消され、感動し、
あれほどまで面白くすることが出来る『脚本家』という人に対し
悔しいと感じるほどだった。
それ以来、キャラメルの舞台で原作モノは、原作を先に読むようになった。
却ってその方が、「まさかあれをこうしてしまうとは!」と驚嘆し楽しめてしまうからだ。

繰り返しになるが、今回は原作をまだ読んでいないのだが
真柴さんが脚本にするにあたり、女性としての視点を入れた、というのが印象的だった。
原作は成井さんが、自分をモデルに書いた小説とおっしゃっているほどのもの。
典彦の一人語りともいうようなお話だという。
だが、主人公は女性であるいぶき。典彦の母、妹、マネージャーの真知子
プロデューサーの奥尻、マネージャーの亀田
そしていぶきの母の亜希子。
みな女性だ。
リアルでシビアな女性視点が、男性視点の話に取り入れられることで
同性が見ても嫌味にならない女性の可愛さ、外で働く女性の恰好良さ
結婚という"家内"としての仕事と外の仕事との両立の大変さ
がさりげなく散りばめられることで、物語はよりリアルに観客の心に迫ってくる。

脚本家典彦を尊敬し、仕事を尊重してあげたい。
しかし娘との再会も大切にしてあげたい。
いぶきを信じ、可愛いいと思い、
そう思いたいのにある過去の事件の罪悪感から素直に思うことができない典彦を
理解し、助けたいと思う。
正に自分は、真知子と似た心境で典彦といぶきを見ていたようだ。

物語の中では、典彦たちが物書きであることもあり
色々な有名作品やそれをもじった作品名がたくさん出てくる。
自分はコインランドリーから吹きっぱなしだったが
『ヒトミ』をもじったものが出てくるのは驚きだった。
その理由について、成井さんに聞かなければ本当のところはわからないが
ヒトミはどこまで信じられるか、という物語だから使ったのでは
という真柴さんのお話、成る程と思った。
離れ離れだった親子。
いぶきにとっては、5歳のときに別れたきり
写真でしか顔も見られない父。時折テレビなどのテロップで
名前を見るだけの父。
典彦にとっては、5歳までのいぶきの記憶しかなく
突然再会したいぶきは、言ってしまえば一人の見知らぬ女性に過ぎない。
14年という年月の中で、互いに何があったのかを知らないふたり。
それでも親子であるという繋がりを思い
互いを信じるふたり。


自分は、愛娘に会えずにどんな思いで14年間を過ごしてきたのか
という質問をさせて頂いた。
会えないことが損失という西川さんの言葉が印象に残った。
『損失』とまで言わせてしまうほどに、しかもそれに聞き手が納得するほどに
それは重いことなのだろう。
それと同時に、そこまで会えないことが辛いほどに愛されたいぶきに羨望も感じた。
典彦がいぶきの話を誰にもしなかった理由。
真柴さんと西川さんのお話を聞いて、はっとした。
辛かったから、言えなかった。
離婚したのが恥ずかしいから、娘に会えないのが寂しいから
それだけではない深い理由がそこにはあるのだ。
償いたくても償えない罪。
いぶきが笑顔でいてくれればくれるほどに感じてしまう罪悪感。
そんなものを抱えて過ごす14年間の重み。
加藤さんが、お子さんが12歳で…とおっしゃっておられたが
加藤さんがお子さんと過ごした12年丸まる。しかもそれ以上に長い14年という月日。
会えないなど信じられない、という本当の『お父さん』である加藤さんの言葉で
改めて長い時間、辛い日々、ある意味で仕事に逃げ
それでもどこかで、仕事で成功することで愛娘に何か伝え、
少しでも償えることがあるかもしれないと思いながら
執筆に打ち込んできた典彦のことを考えた。

今回の舞台に限ったことではないが
キャラメルのお芝居はストーリーが面白く、深い。
何故なら舞台上でそれぞれの役柄が本当に『生きている』からだ。
いぶきの14年間。典彦の14年間。
少しだけ事情を知っていた砂川。傍にいた真知子。
典彦の家族。仕事で関わるひとたち。
それぞれが生き、考え、それぞれの視点がある。

原作を読んだ上で、もう一度
いぶきや典彦の14年間抱えてきた思いについて考えながら
舞台を観に行きたいと思う。

 


以降ネタバレです。


 







       ***

いぶきが典彦の家族と話していて、初めは全く感じないのに
同じ台詞を祖父の孝造と祖母の花絵が繰り返すことで徐々に観客が感じる違和感。
実は孝造が死んでいて、そこにいるのは霊であるとわかったときに
正直言うと「またか」と思った。
初めは気付かないが、物語が展開するにつれ違和感が出てきて実は
というのは、キャラメルにおいて初めて使われる手法ではないのだ。
となると、霊感があるわけでもないのに幽霊が見えてしまういぶきは?
いぶきも死んでいるというパターンだとしたらとても嫌だ。
あまりに典彦が可哀想だからだ。
流石にそれはないだろうが、ただ再会した娘という設定でも終わらないだろう。

段々と妻亜希子との出会いや結婚、いぶきとの生活が明かされていく中で
典彦が会社を辞めさせられ、暫く亜希子が働き典彦が主夫をしていたことが分かる。
私には子どもがいないが、夫が仕事で身体を壊したとき
自分が食わせてやるからあんな仕事は辞めてしまえ、と言ったことがある。
事実自分の稼ぎだけで暮らし、夫が家で家事をしていた時期があるので
亜希子の気持ちは理解できるつもりだ。
初めはそれでもいい。しかし時間が過ぎるにつれて、
落ち着いたならまた働いて欲しいと思う。
「旦那さんはなにしてる人なの?」と訊かれて気まずい思いをすることもあるだろう。
いつまでも出版関連の仕事にこだわったり、娘と遊ぶだけで日々を過ごす夫に
しっかりしてよ、と思い辛くなってしまうだろう。
自分だったら、夫がかねてからの夢をかなえようとまた小説を書き出したら
俄然応援してしまうと思うので、そこだけやや感情移入できなかったのだが。

いぶきが料理の真似事をしている間、典彦が小説を書くのに集中してしまい
目を離した隙に、いぶきが使っていたナイフが彼女の胸に刺さるという事故が起きる。
勿論彼女の手術は成功して回復したのが、典彦と亜希子の関係がぎくしゃくしてしまう。
ここまできてやっと、私は亜希子の気持ちが理解できた。
典彦が物書きを目指していたことは知っていて、応援したい気持ちがあったとしてもだ。
典彦は夢ばかり追い、挙句娘に怪我をさせた。
しかも傷跡が残るほどの大怪我だ。
「あなたがきちんといぶきを見ていれば」と典彦を恨みたくもなる。
自分が家にいたのなら、とも思うだろうし
外で働いていて娘の傍にいてやれなかった彼女なりの罪悪感もあっただろう。
いくら娘が元気に笑っていようと、鎹であるはずの娘が
亜希子と典彦の間では亀裂の原因になっただろう。
離婚に至り、しかもそのとき今後娘には会うなと通告した亜希子の気持ち。
話の初めではなぜそこまで、と思った亜希子の冷たい印象が
辛く切ないものに変わった。

また、自分は本当に元気で、父も母も大好きで
怪我をしたのは自分のせいで、自分が悪いのに
自分のせいでぎくしゃくしてしまい離婚し、それぞれに苦労している両親を見ていた
いぶきの辛さ。
また私事で恐縮だが、自分の場合祖父母だが、5歳の頃に会えなくなった祖父母を
16年ぶりにたずねた経験がある。
5歳だ。記憶は当然ある。が、互いに面影は変わっている。
しかも、向こうは大人だったのだからきっちりある記憶も
こちらはおぼろげでしかない。
この人は祖父母だ、と思うからなんとか会いに行けるし
小さい頃の記憶と同じ声やしゃべりかたに本当に自分の祖父母だと思いはしても
目の前にいるのは見知らぬ人。
初めて会うときも、会っている間中もずっと緊張して、別れた後どっと疲れた。
いぶきは、父に会いたい気持ちと同じくらい、会うのが怖いとも思っただろう。
父が自分のせいで母と離婚することになったと自分を恨んでいたら?
別の人と結婚していたら?
自分の中にある、5年という長いようで短い時間を過ごした優しかった父の記憶。
その父と今の父が同じである保証はどこにもないのだ。

しかし私が一番打ちのめされたのは、典彦の罪悪感だった。
仕事をしていない自分。それでもいぶきといるのが楽しい自分。
物書きの夢を捨てられない自分。
その中で起きた事故。典彦の中で、事故ではなく明らかに自分のせいだ、と感じだはずだ。
自分が加害者である事件だ思うほどに、彼の中では重いことだっただろう。
娘の胸にナイフが刺さったことがある、という衝撃の告白を
私はそれを聞かされた真知子の立場で聞いてしまっていたのだが
終演後の取材でお話を聞いて、より典彦の辛さに思いを馳せた。
結婚していた、娘がいたと言えば、そのあまりに辛い事故のことまで典彦は思い出してしまう。
だから誰にも言わなかった。
言わなかったけれど、忘れることなどできるはずがなかった。
ただ娘に会えないだけでも辛いだろうに、それは自分が傷物にしてしまった愛娘だ。
しかも自分が小説を書いていたせいで。

懸命に脚本を書きながら、その懸命さがいぶきに怪我をさせたと思うこともあっただろう。
それでも捨てられない夢でもあった。
もう二度と会うことができない娘に、父が元気でいることを伝えたくて
成功したかったという部分もあったのではないだろうか。

矛盾とも言える複雑な思いを抱えて
娘に会いたくて仕方なくて、しかし会えない14年間という長い年月。
亜希子と約束したからだけではなく、自分の罪悪感も手伝っていぶきに会う勇気はなかっただろう。
しかしながらその罪悪感故に、会いたくてたまらなかったに違いない。


実はいぶきは入院中で意識がなく、
自分が死ぬかもしれないと思ったいぶきの心がいぶきの身体を抜け出して
友達の身体を借りてその子が書いた小説を持ち
それに託けて父に会いに来たのだということが分かり
典彦はいぶきが入院している札幌まで会いに行く。
いぶきの魂が身体に戻り、いぶきの容態が丁度安定する。
観客は、いぶき=黒川智花で今まで見てきて、感情移入もしている。
そこで、ベッドに寝ているだけで顔も見えず声も発しないとは言え
本当のいぶきを出すというのは、小説やアニメならまだしも
舞台でやるには下手をすれば観客がひきかねない演出だと個人的には思うのだが
西川さん演じる典彦が本当のいぶきを撫でながら、14年間抱えていた思いを隠し
語りかける様子に、やっと会えたのだと思って涙が止まらなかった。
これが、キャラメルボックスの型破りでありつつも擢んでたところだと思う。

ラストでは雪が降ってくる。
北海道育ちの自分からしたら、はっきり言ってクリスマスに雪なんて
嫌というほど降り積もっていて当然のものだ。
生まれも今の生活も本州な私は、クリスマスに雪が降ることに感動もするし
本州の人がホワイトクリスマスをロマンチックに感じる気持ちもわかるのだが
札幌公演で雪が降るという感動は果たして伝わったのだろうか。

とは言え、天からの贈り物。
雪のあたたかさ、静かさがわかる北海道人だからこそ、伝わるものもあったかもしれない。

雪が降っていると伝える、いぶきの祖父である孝造。
孝造のちょっとしたひとことひとことと、それが聞こえていないのに
心のどこかで理解している花絵。

典彦といぶき、典彦と亜希子、
真知子と夫や、真知子と小樽、奥尻と典彦…
様々にそれぞれの信頼関係を、
信じること、愛することの大切さと美しさを、孝造がさりげなくも
強く訴えてくれたように思う。

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