ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2010.11.28 Sun
週末。
池袋に羽海野先生の原画展示を見に行って、
3月のライオンの5巻を買った。
(勿論カーディガンで!(笑))
帰りの電車で読んだ。
ひなたと零くんの言葉に涙した。
とても辛くて泣きながら、でも
間違ったことはしていない
後悔なんてしない
と言い切るひなはとても真っ直ぐで痛々しくて
その前に跪く零のモノローグは胸に突き刺さった。
"その時 泣きじゃくりながらも そう言い切った彼女を見て 僕は かみなりに撃たれたような気がした 不思議だ ひとは こんなにも時が 過ぎた後で 全く 違う方向から 嵐のように 救われる事がある"
私は、見かけによらず男らしいねとか
恰好いいねとか言われることがあって
それは結構嫌いじゃなかったんだけど
強くあることと、ひとりでいることは違ったのかもしれない。
ひとりでも進めると思い込もうとしてた。
それは、信じようとしてなかっただけかもしれない。
失った時の傷を、少しでも浅くしようとしていただけなのかもしれない。
間違ってると言われた。
ひとりは寂しいと。
悲劇のヒロインぶってる女なんて目も当てられない。
不幸自慢なんて最低だ。
だから、あまり本心を話したり愚痴ったりすることは
避けるようにしてきた。
でも時々緩んでしまって、話してしまって
あとで言わなきゃ良かったと悔やんだりする。
なのに、うっかり吐露してしまった。
私の抱えている"闇"を。
言いながら、とても怖かった。
目が合わせられなくなる。
逸らされるのが怖くなる。
沈黙が、怖くなる。
態度が変わるかもしれない。
冷たくなるかもしれない。
なって当然じゃないか。
でも、私が沈黙の後に貰ったのは熱だった。
とても透明な涙と、熱い気持ちだった。
あまりの衝撃に、立っていられなくなるほどの、熱風だった。
零と同じだった。
自分が間違ったことをしたとは思っていない。
でもうまくいかなくて、自分がいることで世界はどんどん壊れていって
ひとりぼっちでしゃがみ込んでいた幼かった私は
こんなにも時が過ぎた後で
嵐のように救われた。
温かくて強くて大粒の雨が降る
夏の台風みたいな嵐だった。
その帰り道に零とひなたを見て、
言い当てられた気がして驚いた。
あの帰り道にこの本に出会ったのは、きっと必然なのだと思った。
私は、私に吹いた温かい風を一生忘れる事は無いし
この本を読む度に思い出すだろうと思う。
零はひなに言った。
君は僕の恩人だ。
一生かけてでも恩を返すと。
私もそう出来たらいい。
一生傍にいて、恩を返せたらいいな。
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2010.11.25 Thu
街灯に誘われる蛾のように、誘われることがある。
たとえばバイクに乗っている時の、対向車の明かりに。
自殺願望がある訳じゃない。
どちらかというと、自殺は負けだと思っている。
それでも、時々ハンドルを、右に切ってみたくなる。
大好きなミュージシャンが雑誌のインタビューで
「時々ある」
と言っていた。
「自転車に乗っていて、これを今右に切ったら死んじゃうだろうな
とふと思って、とてつもなくやりたくなることがある」
って。
あぁ、この人もか、と思った。
別に死にたいわけじゃない。
でも、やりたくなるのだ。
きらきら闇をつっきってくる車のライトは、とても美しい誘惑に満ちている。
今突っ込んだら、死んでしまう。
それは勿体ないことだとは思う。
でも、今死んだら、私はきっと幸せで、死ぬことを勿体ないと思いながら死ねる。
それはひとつの幸せの形だと思った。
そう。私は今、幸せだ。
***
随分昔にテレビで、涙を売っているのを見た。
魔除けに使うのだったかな。
もう忘れてしまったのだけど、小瓶に詰めて売られているのだ。
それは本当に正真正銘本物の涙で、乙女たちが感動する映画を見たり
悲しいことを思い出したり、いろんなことをして涙を流して、それを漏斗みたいなもので受けて
瓶にためて納品していた。
ちょっと馬鹿馬鹿しいけど、ちょっと面白いなと思う。
商売だから、動機も泣いている理由も不純だけれど
涙はやっぱり、特別に綺麗なものだと思ってる。
*
とてもきらきらした涙を見た。
悲しかった。
嬉しかった。
綺麗だと思った。
真摯な気高い魂を見た。
畏れ多いと思った。
穢したくないと思った。
でも、触れたかった。
私は自分で思っているよりもずっとずっと自分勝手で
欲の深い人間なのかもしれない。
とても死にたかった。
それぐらいに、幸せ。
2010.11.17 Wed
2010.11.10 Wed
2010.11.10 Wed
2010.11.08 Mon
人前で寝入ることなんて滅多に無いのに。
覚えていないけれど、なにかとても良い夢を見ていた。
ふと覚醒した瞬間、咄嗟に自分がどこにいるのか
わからないくらい深く眠っていて
眠っていた事実に気が付いて驚いた。
久し振りにぐっすり眠った気がする。
時間にしたら、ほんの1時間ほどなのだけど。
***
三月のライオンであかりさんが作っていた
栗の渋皮煮。
いつか食べてみたいと思ってたのを
ご相伴させて頂く機会に恵まれ。
ふわふわ、しっとりした渋皮がとても不思議。
甘いシロップが染み込んで
ほくほくした栗の実。
鬼皮を剥くだけでも手間がかかるのだろうに
改めてレシピを調べてみたら
本当に、なんて手間のかかるお料理なんだろう。
愛が溢れてるなって思った。
私なんかが頂いて良い物かしらって思った。
一生懸命、手間暇を惜しまず
ひとつひとつ丁寧に磨かれて煮られた栗は
まるで宝石みたいにきれいだった。
***
同じことをしていても違う。
誰とするか。どこでするか。
どうやってするか。
環境とか。
友達とか。
なんだか、色々ぐるぐる考える。
うまく言葉にならないけれど
恥ずかしいなぁとか戸惑ったりもしたのだけど
一言で言うなら、しあわせ。
甘い眠り。
きらきらのシロップ。
しあわせだと、思った。
覚えていないけれど、なにかとても良い夢を見ていた。
ふと覚醒した瞬間、咄嗟に自分がどこにいるのか
わからないくらい深く眠っていて
眠っていた事実に気が付いて驚いた。
久し振りにぐっすり眠った気がする。
時間にしたら、ほんの1時間ほどなのだけど。
***
三月のライオンであかりさんが作っていた
栗の渋皮煮。
いつか食べてみたいと思ってたのを
ご相伴させて頂く機会に恵まれ。
ふわふわ、しっとりした渋皮がとても不思議。
甘いシロップが染み込んで
ほくほくした栗の実。
鬼皮を剥くだけでも手間がかかるのだろうに
改めてレシピを調べてみたら
本当に、なんて手間のかかるお料理なんだろう。
愛が溢れてるなって思った。
私なんかが頂いて良い物かしらって思った。
一生懸命、手間暇を惜しまず
ひとつひとつ丁寧に磨かれて煮られた栗は
まるで宝石みたいにきれいだった。
***
同じことをしていても違う。
誰とするか。どこでするか。
どうやってするか。
環境とか。
友達とか。
なんだか、色々ぐるぐる考える。
うまく言葉にならないけれど
恥ずかしいなぁとか戸惑ったりもしたのだけど
一言で言うなら、しあわせ。
甘い眠り。
きらきらのシロップ。
しあわせだと、思った。
2010.10.28 Thu
今再放送してて録画して見てるけど
とても好き。よく出来たドラマだと思う。
派遣社員という生き方はこのドラマをきっかけに見直されてもよかったのに
結局は、派遣=日雇いという報道の国の政策に押し切られ
派遣はとても生きにくくなった。
黎明期からずっと、大前さんみたいな
しかもヒューマンスキルもそれなりに磨いて
派遣を続けて来たけれど
少なくとも今の派遣先は辞めようと思ってる。
三ヶ月契約で、今月末までだったので
次の更新はしないと先月ちゃんと伝えたのだけど。
最近の企業は
特に今の派遣先は、
雇ってやっているとしか思ってない。
無理難題を押し付けて、嫌なら辞めろと平気で脅して来る。
でも、派遣てのは会社に縛り付けられて
ご機嫌取りしなきゃいけない正社員と違って
もっと対等で自由なものだ。
いつも自分が契約きることしかしないから
なんだか勘違いしているみたいだけれど。
今回、あなたたちは私に契約を切られたの。
あなたたちが馬鹿過ぎて付き合いきれないから。
いつも派遣を切るとき、
派遣が泣こうが頼もうが今月末までなら今月末までで切ってる癖に
私には辞めないでとか引き継ぎ一月くらいしてって
とか冗談じゃない。
何甘えてるの?
契約は三ヶ月ですよ?
更新してくれるかわからないのが派遣ですよ?
今迄平気で三人分の仕事押し付けて来て
私が出来ちゃうからやってましたけど
一人に三人分が多いことを学びましょうよ。
引き継ぎはするよ。
ちゃんと簡単なマニュアルも作ったよ。
でも、出来る訳が無い。
今迄私が辞めた派遣先で
私の後任が私と同じ仕事の量を
こなせた試しがないんだから。
2人がかりで残業しても終わらなくて
「頼むから戻って来てくれ」
と言われてm9て感じだったけど。
今回はこのわたしがきつかったし
残業も時々してこなしてた仕事量。
三人でも無理だよ。断言する。
でも、私の預かり知るところじゃない。
冷たいんじゃない。
契約終了するからもう関係ないの。
引き継ぎもしたし
1人じゃ無理だとも言った。
言ってもわかんないんだから、終わらないで痛い目見て下さい。
あいつは残業しないとか
だから仕事してないとか散々陰口言ったことを
悔い改めて下さい。
でも無理だろうね。
学習能力無いものね。
けど君たち効率悪いことも残業も大好きだもんね。
少しは派遣に全部押し付けるんじゃなく
助け合えば?
と思うけど、出来ないで殺伐と終電まで仕事すればいいじゃない。
まあ、私は定時で帰ってたけど。
君らみたいに無能じゃないからさ。
一体何時まで引き継ぎさせられるのかわからないけど
本当にいい加減にして欲しい。
早く解放されたい。
私情持ち込んで無視とか嫌がらせするのが
楽しい女とかもうほんとどうでもいいの。
付き合いきれないの。
わたしそんな暇じゃないのよ?
私はつるんで陰口言うんじゃなく
仕事して対価を貰う為に会社来てるんだから。
いい加減にして欲しいわ。
2010.10.26 Tue
友達って、なんだろうね。
そんなもの人それぞれだし、きっちり数値やラインで
区分け出来るものじゃないことくらいわかってる。
自分が所謂お人よしで、利用されたり裏切られたり
何度もしてきた自覚はあるけれど
結局どうもがいてもこういう生き方しか出来なくて
生身でぶつかって、それを受け止めてくれて
馬鹿正直に生身でぶつかり返してくれるような人が
時々現れて。
そんなときに涙が出るほど嬉しい。
***
私の好きなラノベのひとつ、オーラバにあったのだけど
私は自分の友達と友達がトラブっていたら、自分になにか出来ないものかと思う。
自分は直接そのトラブルに関係ないので、無関係にそのどっちとも
それぞれに仲良くしておくということがどうも出来ない。
況して、自分が冷静に判断して、片方が間違ってると思ったら
尚更困ったりする。
とても、そんなことは冷たいだろって思うことがあった。
友達が、あたしの友達に対して冷たいことを言った。
それで友達が傷ついている。
争いじゃない。傷つけられても、相手の言い分にも理があると、
彼は冷静に対応している。
それでも、やっぱり傷つくだろうと思う。
見ていて、居た堪れなくなる。
おれは友達じゃなかったんだ。
その言葉を目にして、抉られるようだった。
私はなにも出来なかった。
悔しい。悲しい。そして虚しい。
無力だ。
力足らずで申し訳ないと思った。
でも、彼に逆に励まされた。
下向いてたら顔を上げさせてくれるし声をかけてくれるって。
一緒に傍にいた、それで少しでも力になれたのなら。
それに、今度のことで私たちは友達だって確認しあえた。
それはとても、とても良かったと思う。
友達だって思っていても、
私なんかが友達って言っていいのかな、と臆病になって
友達って呼べないことが多々ある中で
臆面もなく友達だって言い合えた。
良かったんだ。とても、嬉しかった。
出会いは運命だと思ってる。
幸せには、運命という意味も入っているらしい。
出会えたことを、幸せだと思う。
2010.09.29 Wed
昨日ヒロスエちゃんが帰った後、
「15時までに送らないといけないFAXを送らずに帰った!」
と仕事出来ない阿呆社員が騒ぎ出した。
先方が「きてません」って言ったから、っていうのが論拠なんだけど
こっちは電話確認もしてるし、向こうが失くして問題になることが
近頃頻発しているという状況なのに、ヒロスエちゃん本人がいないところで
ヒロスエちゃんが送って無いと決めつけて、大声で広める。
「15時に送って無いと思ったんだよ、俺」
いや、だったら「送った?」って一言確認したらいいんぢゃねーの?
それしないあんたも同罪だろ。気付いてたんだから未必の故意だぞ。
阿呆、女社員に密告。
女、局に密告。
「やっぱりやらかした」「やるとは思ってたけど」「信じられなーい」
未着FAXの中に発注書があって、納品日が遅れてしまうのだけど
その手配を阿呆、ヒロスエちゃんにやらせる、と。
「おしおきだ。やらないと覚えないし」
で、今日。
阿呆がヒロスエちゃんに確認したら、「送った」と。
だったら、発注担当は阿呆なので、自分で手配するべきなのに
そのままヒロスエちゃんにふる。
やってもらっておいて、女に
「送ったって言うんだよ」「がっかりですね」「不発だった」。
がっかりってどういうことかと。
ほんとびびる。
こいつら会社に何しに来てるんだろう。
2010.08.05 Thu
エンジンと聞いて思いだすのは、伊坂氏の『重力ピエロ』。春が描いた壁画のタイトル。
円陣でもいいし、猿人でもいい。なにか、動き出すもの。エンジン。
*
鞍と愛馬を手に入れて、先月末で一月が経過した。
週末に近場にしか出掛けていないので、跨った回数は10回以下。
総走行距離も100kmをやっと越えたところ。
公道をひとりで巡航速度で走行するのは骨が折れるし
あまり長い時間連続しての運転はまだ無理。
それでも、教習所に通いだしたときは一時間もたすことがやっとで
40km出すのもがくぶるしていたわけだから
些細ながらもそれなりの進歩ではある。
機械は好きだけれど全く詳しくない自分が
近頃エンジン音に反応するようになったのもまた進歩。
愛馬はYAMAHAのSR400なわけなのだけど
選んだのは全くの一目惚れ。
単気筒だとかキックスタートだとか
そういうことはちんぷんかんぷんのまま、
ホンダかカワサキのバイクを探すつもりで
教習所に通いだした頃に見かけた、ただそれだけ。
このバイクは、マイチェンは多少あるものの
基本設計が生まれたときからずっと変わっていない。
そこがまた、気に入ったのである。
何を隠そう、SRは自分と同い年なのだ。
成長し変化しつつも、根底にある信念と魂は変わらず
押し流されることなく流れを作り走り続けるSR。
多少取扱が面倒でも、多少ぐずろうとも
共にこれから歩んでいきたいと思う。
*
購入当初はあたふたしている間にエンスト
復帰に時間がかかっていたけれど
もういい加減、余程渋滞に巻き込まれて
抜くことも出来ない状況でもなければエンストもしなくなった。
たとえしたとしても、流石にまだその場でかけなおすほど
自信がないにしろ
路肩に寄せてほぼ一発でエンジンも始動させられるようになった。
今週末は車で出かける予定なので恐らくお預けだけれど
また次の休みにはどこかへ出かけよう。
時の流れは、いつだって今が一番新しい。
遅すぎるということはない。
本当は、学生時代の内にやっておきたかったと思うけれど。
今より早い時間はどこにもないのだから
少しでも取り返そうと思う。
いろんなところへ行って、いろんなものを見ようと思う。
折角やっと、手に入れたのだから。
2010.08.03 Tue
powered by ブクログ
2010.08.01 Sun
少し前に、twitterのアイコンを自分の顔にしないのは
残念アイコン、というblog(だったかな)の記事を読んだ。
その記事内容は、単なる決め付けだったのと
かなり胡散臭かったので、どうかと思った。
たとえばペットのアイコンにも個性は出るし
日本人だと、著名人以外で本名&顔写真にしている人の中には
結構胡散臭い人が紛れていたりする。
というのは飽く迄も自分の印象なのだが、post内容が
非常にうんざりするものが多かったりする。
大体、一般人が本名&顔写真にしても
本当にそれが本人の名前と写真なのか判断がつきにくいし
本名を晒して発言する=責任の所在がはっきりする
とは必ずしも言いがたいと思う。
個人情報保護法が浸透して結構たつけれど
逆にこれで個人情報に過敏になって
変な解釈をしている人もいると思っている。
個人的には、名前、住所、電話番号程度は
調べようと思えば調べられる範囲の個人情報だと思っているので
流出について然程過敏にはなっていないのだが
長くなるのでこれは置いておいて
安易にネットに個人情報を晒すな、というのが
ネットの常識だと、少なくとも私は思ってきた。
うっかり晒して、そこから個人を特定されて
あることないこと晒されて大惨事になるという事件だって
実際ひとつやふたつではない。
「twwiterは2chとは違うと分かったから実名にした」
というpostを見た。
これは恐らく上記のような件を指したのだと思うが
偏見だと思う。
確かに自分も2chの最初の印象が
猫虐殺の生中継だったものでとても嫌なイメージしかなかったけれど
実際の社会がそうであるように、2chにだっていい人も悪い人もいる。当たり前。
mixiだろうがtwitterだろうが、それは変わらないと思っている。
そもそもmixiも、はじめは本名登録だったはず。
それが、実名登録は控えようという流れになってきたのは
使用者数が増えてきたあたりだったろうか。
twitterなどで中傷してくる人は
実名や顔写真アイコンでない人たちだ、というpostもあったが
個人的には、逆にmixiなんかでわけのわからない突っ込みをいれてくる人は
本名っぽかったり写真がプリクラだったりすることが多いと思っている。
結局、ツールはツールであって飽く迄その価値と使い方は
それを使う人間次第だ、と思うのだ。
匿名=自由であって、必ずしも匿名=中傷とも言い切れないと思う。
確かに一部ネットユーザーの無責任さには私も飽き飽きしているが
そういう人が実名なら自分の発言に責任を持つかと言ったら、そんなこともないと思う。
無責任な人はそんなことにかかわりなく無責任だ。
学校で同じクラスの人に匿名で意見が言えるが本名では言えない
ということはあるかもしれないが
ネットという広い世界の中では、本名でも匿名でも相手が『知らない人』であることは変わらない。
別名・匿名だから言えることもある。
無責任な中傷だから言える、というパターンだけではなく
権力であるとか立場であるとか
色々な理由から意見を言えない人が言えるようになるという
良い面だって少なからずあるはずだ。
たとえば作家さんで筆名をわけている人
有名になった自分の名前ではないところで勝負したい
なんてこともあるだろう。
実際、自分の名前が売れすぎないように、筆名をいくつも使い分けている作家が友人にいる。
私は、ネット環境が整備されてからネットを介して出来た友人が結構多い。
顔だけ知っているが名前を知らない人
名前を知っているが顔を知らない人
顔も名前も知らない人
顔も名前も知っている人
色々いるけれど、別にどんなパターンでも友情の質に差はない。
いちいち住民票を交換するわけでもないのだから
本名と顔が一致していないと正体がはっきりしていない、
のだとしたら、はっきりしている友人なんて
学校の友達くらいだろう、今時。
それでも、友達は作れる。
ところで私は、twitterのIDはそれでとれなかったので
huitaineにしているわけだけれど
名前はsayにしている。
これは、ネットをはじめたときから
もうかなりの年数、この名前を使ってきている。
2chにもコテハンなんかがあるわけで
実名でなくとも、責任を持って発言している人はいっぱいいるはず。
戸籍にある名前を晒すつもりはないし
アイコンは、一眼を手に入れたら自分の顔写真にしようと思っていたのだけど
趣味のアイコンにすることで、それを見てフォローしてくれる方もあるわけだし。
顔写真アイコンではない=卑怯者
という考えの人がいるのなら、逆に顔写真にするのはやめようかなと
思い出した。
匿名反対派の意見はとても納得はするし
基本的に同意見ではあるのだけれど
ネット=匿名性=陰湿な中傷
という偏見とも思える図式には賛成しかねる。
顔を晒すことで責任ある意見を言おうという
自戒の為には、本名&写真晒しは使えると思うが
他人にそれをしろと言うのは違うのでは、と思う。
2010.07.26 Mon
どうして自分は全然なにひとつちゃんと出来ないのだろう
と思う。
時々「すごい」と言ってもらえることがあるけれど
自分なんてちっとも凄くなんかない。
逆に、「羨ましい」と言われることがあるけれど
これには少し不快を覚える。
別に羨ましがられるようなことはなにひとつない。
あの人は、どうしてあんなに忙しいのに
たくさんの友人たちもいるのに
不義理もせず、仕事もこなして、きっちり遊んで
どこにどうやったらそんな時間があるのだろう
と、思うことがある。
「睡眠削ってるからかな?」
と答えられたことがある。
その人を、凄いと思う。
見習わなくちゃと思う。
でも、羨ましいとは思わない。
別に彼は、やろうとしてやっているだけで
やっているから出来ているだけで
別に妬まれるようなことはなにひとつない。
彼の努力の結果だ。
「いろんなやることあっていいね」
だの
「寝ないで済んで羨ましいね」
だの
ちょっと可笑しいと思うんだ。
別にやりたいからやっているだけで
そして別に趣味でやっているわけでもなくて
真剣にやっているだけだし
寝ないのは辛い。
本当はたっぷり寝ていたいとも思う。
2,3時間の睡眠で事足りるようになれるように
期間をかけて練習もした。
だから別に、羨ましがられることじゃない。
そんな些細なことも数に入れて良いのなら
きっと、出会った頃よりは近づいた。
でも、私の尊敬する人たちは
揺るがない。弛むことがない。
私が苦労して数歩進んでいる間に、何十歩も先んじてしまう。
だからと言って、追うのを諦める理由にはならない。
努力しなくていい言い訳にはならない。
疲れたからとさぼっているわけにはいかない。
誰かに無理強いされたわけでも
課された訳でもない。
やりたいからやっているだけ。
好き好んで、自分で目指しているだけ。
どんなに尊敬する人たちの背中が遠くても
それを越えた先がまだまだ険しく遠くても
それでもこの道を進みたいと思ったのだから
血反吐を吐いてでも進むしかない。
時々辛く思っても
羨ましく思っても
あの人たちが軽々しく簡単に歩んでいる訳では
ないことを知っているから
簡単に羨ましがったり
況してや諦めたりなんてしたくない。
2010.07.16 Fri
以前サッカーについて熱く語っていたら
「所詮娯楽だろう」
と言われた。
違うと言っても伝わらなかった。
しかし、あれは戦争だ。
血は流れないけれど、国家の威信をかけた戦いだ。
少なくとも、
「戦争代わりにやっている国もどこかにあるかもしれないけど
あれはただのスポーツであって娯楽だよ」
って言っているのは、平和ボケしている日本くらいじゃないかと思う。
平和ボケなんて言われて久しい。
近頃読んだ文献で、全然ジャンルは違うのに
『専守防衛を選ぶ日本の愚かさ』
について触れられていて、いろんなことを考える。
「サッカーなんて娯楽放映してないで選挙とか大事なことがもっとある」
なんて言葉もよく聞いたけど
百歩譲ってサッカーが娯楽だとしても娯楽だって必要だ。
というか、戦況なので報じて当然。
問題は、何故事実がきちんと報道されないのか
偏らずに報じられないのか
国民が何故メディアを鵜呑みにするのか
というところ。
平和ボケしているからかもしらん。
素直で気の長い農耕民族だからかもしらん。
でも、危機感を持たないのは何故(なにゆえ)だろう。
戦いを忘れた日本国民は、
サッカーで国の威信を守ることも
種牛を守って国の財産を守ることも
投票する権利を行使することも
そうやって戦うことまで、忘れてしまったのだろうか。
*
サッカーが娯楽と言い捨てられた話を相方としていて
愛国心の問題に発展したのだけれど
日本という国を愛し政治に興味を持つとしても
あの人は自分の生活に根差した現時点以降の日本を語るが
俺たちの愛国心は歴史を重要視しているから
その時点で愛国心の方向性が違うと言われ
妙に納得した。
同じように選挙に関心を持ち、口蹄疫や基地問題などに
憂いや憤りを覚えても
仕分けや子供手当に苛立ちを感じても
根底にあるものが違うわけだ。
別段、それが悪いとか、どっちがいい悪いとは全く思わない。
両方大事だと思うのだけど。
たとえば選挙権にしたって、どういう歴史を経て得ることになったかなんて考えたら
「雨だから投票いかない♪」なんて言えないと思うんだけど。
…そうでもないのかな。
自分は某城の広間に見学に行った時
当時この位置まで入って良いのは何万石以上
この位置はどれくらい、門の前はどれくらい
なんて説明を受けて、そんなところにただの平民の自分が座っていいものかと
申し訳なく思ったことがあるんだけど。
そういう階級的な話をすると、『平和主義』の人に「平等!」と叫ばれるけど
士農工商って教科書にあるようなものではないと思う。
武士は権力があったが、その分それを行使して農工商を守る義務もあったわけ。
東のエデンで有名になった、ノブレス・オブリージュ。
持てる者の義務ってやつ。
***
絶対に実現出来ないと分かっている夢があって
それでも諦めきれない夢で
抱えて憤りを覚えて
憧れて庭に竹を植え、剣術の稽古をする反面
正式に入門して剣術を学ぼうとはしなかった
若き日の土方さんの気持ちが、自分にはよくわかる気がする。
歴史じゃなければ、グラスハートの土岐さんとか。
自分が漫画家になる前の間、違う入れ物に入れられているような不快を感じながら生きてきたっていうやつ。
自分の居場所はここじゃない。それはわかってる。
守りたいものがなにか。それもわかってる。
どうやって守ればいいのか。それもわかっているつもりなのに
ただそれだけのことが、実現出来ないのは何故なのだろう。
自分がしたいことはこんなことじゃない。
この国をなんとかしなければならない。
それが分かっていて、日々の生活の為に働くしかない。
家族を守ることも紛れもない自分の仕事だから。
あくせく働いて合間に時々剣を振ったって。
本当にこんなことで守れるのだろうか。
それでも今日も働くしかない。
薬を売りながら剣の腕を上げる方法を土方さんは考え付いたけれど
ならば私には何が出来るのだろう。
もどかしい。
2010.06.30 Wed
中学生の時、大好きだったバンドが解散した。
発表されたのは夜中のラジオで、
私はその日に限って録音だけして眠ってしまった。
翌日、親友に電話をした。
何も知らずにいつも通り楽しげに、午後の待ち合わせについて
同じバンドが好きだった彼女と話してしまった。
後から彼女には、
「あぁ、ラジオ聞いてないんだなって思ったよ」
と言われた。
知らなかったとは言え、私は落ち込んでいる親友の傷を、あの電話で抉ってしまったのだ。
同じ気持ちで過ごしていると信じていただろう私が
明るい声で電話をかけてしまったことで。
今でも忘れられないでいる。
そして彼女と一緒にラジオを聞いた。
ふたりで延々と泣いた。
あのラジオのエアチェックテープは、未だに持っている。
けれど、彼女と聞いて以来、一度も聞いていない。
*
「仲が悪かったから」「**のせいで解散した」
なんて言葉は聞きたくもなかったし
同じような真剣さで落ち込んでいる人を見ると
それはそれで引き摺られてより落ち込んでしまうし
そのバンドに関して様々な人が様々なことを言うのを
目にしたくなかったし、耳にしたくなかった。
今年のワールドカップの、昨日の日本戦。
今、久し振りにあの時と同じ気持ちだ。
心無い中傷は勿論、俄かの騒ぎたいだけのファン気取りの
「よくやった」「感動した」なんて言葉は聞きたくない。
傷口に塩を塗るようなインタビューや、
似非評論家の批評なんて目にしたくない。
笑顔で「残念だったねー」と話しかけてくるくらいなら
黙っていて欲しい。
興味が無いのなら、いっそ観ないで欲しい。
***
自分でサッカーをしたことがない私でも。
たとえば、絆は表裏合計15分弱の短い戦い。
それでも集中して戦えば息はあがる。
たとえば、歩いて走ってを繰り返す適当なランニングでも
45分も続けていれば汗が吹き出し
体内の塩分が足りなくなるのが自覚出来る程になる。
それが、45分×2、更に延長15分×2だ。
想像すればいい。人間なのだから。
しかも、アウェイで、世界の舞台で。
120分も走り回り神経を磨り減らし
攻防で肉体的にももうぼろぼろで、そこからの
息も詰まるPK戦。
プロだから? 入れて当然?
止めて当然?
馬鹿を言うなと思う。
きっかけはなんでもいい。
ここから真剣なサポーターになるも良し。
でも、やったこともない人が批判するのは可笑しい。
そして分かっている人は、尚更に
とても選手たちを批判できないだろう。
勝負なのだ。結果が全てだ。
選手たちは当然、勝つ為にやっている。
感動したなんて言えない。
感動したという言葉が安っぽく
惜敗という言葉が手垢がついて感じるほどの
試合内容だった。素晴らしかったと思う。
だからこそ納得がいかない。
何故勝てなかったのか。
本人たちが一番納得いっていないだろう。
そう思えば、私はかける言葉を持てなかった。
ただ、泣くしかなかった。
感動なのか、悔し涙なのか、貰い泣きなのか
色々なものが混じった自分でも説明のつかない涙。
観戦してあんなにぼろぼろ泣いたのは、昨日が初めてだ。
試合後のインタビュー。
どんな心情であれ選手が応えているのだから
見てあげなくては申し訳ないと思ったのだけど
相方に不愉快だとテレビを消されてしまいました。
本当にあのインタビューは不愉快だった。
サムライと煽てるなら、武士の情けってもんはないのだろうか。
試合後の疲れているところ
しかも負けた試合の後のインタビューだなんて。
今日になって、TBSが駒野選手のお母さんにインタビューして
謝罪させたという話を聞いた。
本当に最低。マスコミとしてというより、人としておかしい。
取り敢えず、TBSとBPOに問い合わせはしたけれど。
***
初めて相方不在の観戦で生きた心地がしなかったけれど
アドパでみんなと観戦出来て
相方も頑張って早く帰ってきて延長戦には間に合ったので
とても助かりました。
傲慢だとか生意気だとか
悪役になってでも正しいと思う道を進んで
夢の実現に向けて前を見ている。
私が好きになる人は、いつだって変わらないのだと。
改めて思った。
勝たせてあげたかった。
もっと見ていたかった。
ありがとうとかお疲れ様とか
そんな私の言葉じゃうまく伝えられない気がするから
ネット等で見かけたみんなの言葉を
以下にメモ代わりに書いておきます。
駒野のせいだと思ってるのはたぶん世界中で駒野だけなんだよなあ…だからつらい。
どれだけ慰められたって、彼は一生悔しいだろう。
だから俺は言葉を失う。
彼がどこかでこの悔しさを、
別のかたちで晴らすことができますように。
あの修羅場、経験のなさの中、
1本しか外さなかったのは、絶対に明日に繋がる。
やることは全部やったと言える試合でした。
負けは負けです。
けど8年前の負けより胸を張って誇れる決勝トーナメントでした。
扉は開いていました。
スペインもポルトガルも、日本とやりたかったと思う。
世界は、日本のベスト8を見たかったはずだ。
たとえぼろぼろに負けようとも
強豪の中でどれだけの戦いぶりを見せるかを見たかったはずだ。
それほどのインパクトを、日本は予選とトーナメント一戦目で世界に与えた。
2010.06.20 Sun
目的地は最寄の赤い男爵様ですよ。
えぇ勿論、馬を手に入れる為に!!
前に別の店舗に見に来たときは、
教習所に通いだしたばかりだったし
こんなの見る資格はない、ただのお上りさんじゃない、
と、店内を一周してすごすご帰ったのですが
今回は資格はちゃんとある!
「ここにあるのどれでも乗れるんだ!(※大型除く)」
と思うと、興奮と感動で涙ぐみそうに。(笑)
お兄さんが「何かお探しですか」と訊いてくれたので
「SRありますか」
「昨日1台売れちゃって、今1台しかないですが…」
と案内してくれたのが、2004年モデルの黒。
前のオーナーさんがこかしていて、左側に擦り傷や
へこみがあるんだけど
言いたかないしやりたかないけど
きっと自分でもっと酷くこかすと思うので…
全然気にならない。(・ω・`)
「これください」
と言いたい気持ちを抑えて、取り敢えずお兄さんの話を聞く。
予算教えてもらえたら全国の店舗から探して取寄せますよ、とか
SR狙ってるならこれとか、これとかもいいですよ、とか
キックスタート練習してみます? とか
で、5,6回やらせてもらったけどサパーリかからん。(`・ω・´)
でも…でも…
この子しか考えられないんです。
この子をおうちに連れて帰りたいんです。
「これください」
お兄さんもびっくりの即決ぶりでその場で契約。
予算の半分くらいで済んでしまったので
「現金一括払いで」
と言いまたもびっくりされつつ
とりま来週の日曜日引き渡しで契約しました。
うひゃー。これでうちの子だよマイハニー。(・ω・*)
なんかお客さんがうちの子を見ていたけど
「それうちの子なんで触らないでくださいっ(・ω・´)」
と言いたいテンション。(苦笑)
あーもう、心配で心配で、早く引き取りたくて仕方ないゆ。
書類を貰って最後にハニーに暫しの別れを告げていると
担当してくれたのとは別のお兄さんがやってきて
「SRですか、渋いですね!」
とうちの相方さんに話しかけ。相方が
「あ、買うのは彼女なんですけどね」
と言ったらとってもびっくりされますた。
あー。ちゃんと丁寧に可愛がってあげられるのかしら。
ちゃんと懐いて貰えるのかしら。
色々不安ではありますが
取り敢えずまず、自分で平日休みはもう厳しいので
相方さんに仕事前に住民票を取りに行って貰って、
それ次第では最速火曜日、遅くとも日曜日には
うちに引き取ってこられそうです。
楽しみ過ぎる。
あ、ところでSRに跨らせて貰ったら、
初めて両足が同時に着きました!!(快挙)
両足が着くって素晴らしい♪
それにしても、人に一目惚れしたことは一度もないけど
事こういう局面ではよく一目惚れするし
直観を大事にするなぁ、我ながら。
2010.06.18 Fri
今日はお仕事をお休みして、はるばる鴻巣の
免許センターまでおでかけです。
本当は日曜日休日出勤予定だったんで
振替休日を前倒しで今日貰おうと思ってたら
急遽「日曜人足りてるからこなくていいよ♪」
嬉しいけど嬉しくないっ。
てことは振替で仕方なくじゃなくて
私用で申し訳ないけど休ませて頂きますになるやないの。
しかも有休一日減っちゃうし。
でもまぁ予定は予定、お休み決行。
池袋で湘南新宿ラインに乗り換え。
実は乗るの初めて。この界隈に住んでいた頃
湘南新宿ラインってまだ出来てなかったんだもの。
北上して、赤羽を通過。
学生時代東十条に住んでいて、
赤羽に自転車でスーパーや図書館へ来ていたので
とても懐かしい。
降りたいとこですが、我慢我慢。
更に大宮を通過。
初めて一人暮らししたのが東大宮なのよね。
車の免許を取ろうと教習所に通ったのもこの頃。
うーん。懐かしす。
で、鴻巣駅に到着。
てくてく歩いて免許センター到着。
ほんといつもいつも埼玉の免許センターは
視力検査超適当だなぁ。
あと、全体的に態度悪い人多いし
交通安全協会のおじさん訛り過ぎてて何言ってるかわからん。(-ω-;)
「入会の協力お願いします」って割にはほぼ強制って感じだし。
なんかでも今回は、そうでもなかった。
少しは改善されたみたいだ。
70人ほどいて、女子は私を含め2人くらいしかおらず。
少ないなぁ。
13時過ぎに到着して、免許貰ったのが16時前。
改めて免許を見直してみると、MTの免許取ったのが
平成11年の8月なのね。
10年前だ。
なんかこぅ、色々感慨深いものがあります。
車好きではりきってMTで取ったはいいけど
周囲に大反対されて車を買えず
そのまま運転する機会も減ってペーパードライバーになって
ここまで来てしまって、物凄く後悔してます。
やっぱりあの時、車買えば良かったなと。
あの二の舞にならないように、今回は
即バイクを手に入れて、がんがん乗りまわして技術向上して
あちこち出掛けたいなぁと思うのです。
帰りは雨も凄かったので、バス使いました。
で、朝から何も食べてないしと駅ビルに立ち寄り。
こんなの10年前はなかったよね…。
やっぱそりゃ色々変わるわよねぇ。
お店をあちこち覗いて、靴屋さんでレインシューズが置いてあって
ちと高めだけど中々可愛いのがあったので購入。
更に本屋さんに立ち寄って、文庫本購入。
サンマルクカフェによって、ウィンナーのクロワッサンと
ロールケーキとカフェオレでひとやすみ。
クロワッサン大好き。
生クリーム大好き。
降る雨をぼんやり眺めつつ、本を読みつつ。
中々素敵な休日。
10年前の失敗と後悔を、違う形でやり直す為に
第一歩を踏み出して、ついにそれが法的に認められた
記念すべき今日。
忘れないでおこう…。
それにしても、意図したわけじゃないけど
やっぱり私になんらかの関係のある日付って
8か9がついていることが多いなぁ。
今日も18日だし。
さて、お腹も満たされたし、長靴に履きかえたし
本の続きを読みながら帰ることに。
本当は大宮か赤羽で降りたい気もしたけど
雨だし、暗くなってきたしなぁと諦める。
バイクを手に入れたら、いつだって来られるさ。(・ω・´)
もしこの先大型の免許を埼玉で取るにしても
はるばる電車で来て、駅からてくてく歩くことはないのだ。
バイクがあるからね。(・ω・´)
免許センターまでおでかけです。
本当は日曜日休日出勤予定だったんで
振替休日を前倒しで今日貰おうと思ってたら
急遽「日曜人足りてるからこなくていいよ♪」
嬉しいけど嬉しくないっ。
てことは振替で仕方なくじゃなくて
私用で申し訳ないけど休ませて頂きますになるやないの。
しかも有休一日減っちゃうし。
でもまぁ予定は予定、お休み決行。
池袋で湘南新宿ラインに乗り換え。
実は乗るの初めて。この界隈に住んでいた頃
湘南新宿ラインってまだ出来てなかったんだもの。
北上して、赤羽を通過。
学生時代東十条に住んでいて、
赤羽に自転車でスーパーや図書館へ来ていたので
とても懐かしい。
降りたいとこですが、我慢我慢。
更に大宮を通過。
初めて一人暮らししたのが東大宮なのよね。
車の免許を取ろうと教習所に通ったのもこの頃。
うーん。懐かしす。
で、鴻巣駅に到着。
てくてく歩いて免許センター到着。
ほんといつもいつも埼玉の免許センターは
視力検査超適当だなぁ。
あと、全体的に態度悪い人多いし
交通安全協会のおじさん訛り過ぎてて何言ってるかわからん。(-ω-;)
「入会の協力お願いします」って割にはほぼ強制って感じだし。
なんかでも今回は、そうでもなかった。
少しは改善されたみたいだ。
70人ほどいて、女子は私を含め2人くらいしかおらず。
少ないなぁ。
13時過ぎに到着して、免許貰ったのが16時前。
改めて免許を見直してみると、MTの免許取ったのが
平成11年の8月なのね。
10年前だ。
なんかこぅ、色々感慨深いものがあります。
車好きではりきってMTで取ったはいいけど
周囲に大反対されて車を買えず
そのまま運転する機会も減ってペーパードライバーになって
ここまで来てしまって、物凄く後悔してます。
やっぱりあの時、車買えば良かったなと。
あの二の舞にならないように、今回は
即バイクを手に入れて、がんがん乗りまわして技術向上して
あちこち出掛けたいなぁと思うのです。
帰りは雨も凄かったので、バス使いました。
で、朝から何も食べてないしと駅ビルに立ち寄り。
こんなの10年前はなかったよね…。
やっぱそりゃ色々変わるわよねぇ。
お店をあちこち覗いて、靴屋さんでレインシューズが置いてあって
ちと高めだけど中々可愛いのがあったので購入。
更に本屋さんに立ち寄って、文庫本購入。
サンマルクカフェによって、ウィンナーのクロワッサンと
ロールケーキとカフェオレでひとやすみ。
クロワッサン大好き。
生クリーム大好き。
降る雨をぼんやり眺めつつ、本を読みつつ。
中々素敵な休日。
10年前の失敗と後悔を、違う形でやり直す為に
第一歩を踏み出して、ついにそれが法的に認められた
記念すべき今日。
忘れないでおこう…。
それにしても、意図したわけじゃないけど
やっぱり私になんらかの関係のある日付って
8か9がついていることが多いなぁ。
今日も18日だし。
さて、お腹も満たされたし、長靴に履きかえたし
本の続きを読みながら帰ることに。
本当は大宮か赤羽で降りたい気もしたけど
雨だし、暗くなってきたしなぁと諦める。
バイクを手に入れたら、いつだって来られるさ。(・ω・´)
もしこの先大型の免許を埼玉で取るにしても
はるばる電車で来て、駅からてくてく歩くことはないのだ。
バイクがあるからね。(・ω・´)
2010.06.17 Thu
ある作家さんのブログを読んでいて
”サッカーもはやぶさも自分は俄か知識しかないが
同じ国土に育ったものとして応援している”
という趣旨の言葉がありました。
そうなんだよなぁ。同じ濃さである必要はないけれど、
こういうことなんだけども。
当たり前のはずなのに。
『個』を重んじる近代の教育方針のお蔭なのか
はたまた昔からいたけど最近よく出会うのか
自分の住んでいる国のことに興味の無い人って増えてしまったなぁ。
嘆かわしいことです。
自分の立っている場所のことがよくわからないなんて。
***
で。そのブログで知ったんですが、ミネルバ。
はやぶさに積まれていた探査ロボットです。
2005年11月。はやぶさから投下されましたが、うまくイトカ
ワに投下出来ず
分離後回転しながら放出されていく過程で
はやぶさとの通信が継続された18時間の間多くの写真を撮影、画像を転送しました。
ミネルバには、不要な画像データを自動消去する機能がついていたそうで
殆どの画像データは消されて転送されたようです。
ミネルバが転送した、『必要』と判断した画像。
それは、ここまで3年ほどの時と苦難を共にしたはやぶさの姿でした。
*
そりゃあね。たまたまですよ。
たまたまなんか映ったから、人工物っぽいから
必要と判断して転送しただけでしょって言ったらそりゃそうですよ。
でもさ。
それだけじゃないと思うんだ。
言葉にしたら最早手垢のついた表現に聞こえてしまうけどさ。
運命ってやつ。
必然ってやつ。
だと思うのよね。
***
とりまUstでもニコ生でも生中継見られたことは嬉しいし
W杯の放映権持ってたらそれ潰して生中継は出来ないのもわからんこたない。
と思ってたんだけど、マイミクさんの日記を見て
ニュース速報くらい出しても罰あたらんのになと激しく思った。
事業仕分を考え直すのは結構だけれど
人気だからが理由なら、元々大して知識もなく否定したのだと自白しているようなものよね。
もっと本質を見極めて欲しい。
政治家も国民もね。
***
アフガニスタンで拉致されていた常岡さんの無事が
確認されたそうです。
http://bit.ly/a4GMIC
私が異国の地で誘拐されて
やっと母国の人と会話出来る時に
同じ事を言えるだろうか。
残念ながら自信が無い。
早期解放を祈ります。
2010.06.14 Mon
最初全く内容を知らなかった時点では
小説の映画化だと思っていた。
が、番宣でその後の大人になったアリスが
ハートの女王と戦う話と聞いて俄然興味が出た。
折角なので、3D・字幕で見た。
正直、内容は面白いとは思えない。
ところどころ話が可笑しいところがあったし
説得力の無い展開には疑問が残る。
小説のアリスのイメージが崩された感は拭えない。
笑いを入れるのは良いが、ちょっと無理矢理過ぎた点も
多かった。
ただ、それを補って余りある映像の美しさは凄い。
空想上の生き物や小さな生き物たちがリアルだし
迫力あるカメラワークと相俟って面白い。
3Dで見たのでそれが尚の事感じられた。
エンドテロップなども、世界観を大事にしようと
細部にこだわったのだろうと感じた。
3Dはそこまで興味がなかったのだが、予想外に面白かった。
小説の映画化だと思っていた。
が、番宣でその後の大人になったアリスが
ハートの女王と戦う話と聞いて俄然興味が出た。
折角なので、3D・字幕で見た。
正直、内容は面白いとは思えない。
ところどころ話が可笑しいところがあったし
説得力の無い展開には疑問が残る。
小説のアリスのイメージが崩された感は拭えない。
笑いを入れるのは良いが、ちょっと無理矢理過ぎた点も
多かった。
ただ、それを補って余りある映像の美しさは凄い。
空想上の生き物や小さな生き物たちがリアルだし
迫力あるカメラワークと相俟って面白い。
3Dで見たのでそれが尚の事感じられた。
エンドテロップなども、世界観を大事にしようと
細部にこだわったのだろうと感じた。
3Dはそこまで興味がなかったのだが、予想外に面白かった。
2010.06.14 Mon
帰還という単語を初めて知ったのは、多分『指輪物語』の『王の帰還』。
あの、体の底から湧き上がる歓声。喜び。
あのイメージ。
今朝になってテレビのニュースで、『はやぶさ帰還』の報道を見た。
帰還という言葉が引っ掛かる。
遠くから戻っては来たけど、カプセルを届けてはやぶさは燃え尽きてし
まったのに。
それは帰還なのかな?
それこそライカ犬とか生命体が乗っているわけでもないのに
感傷的になるのも可笑しいかもしれないけど
故郷を目前にいなくなっちゃうのに
お帰りってのは可笑しくないのかな。
テレビでは昨日NHKでちょっぴりやっていたくらいだったのかな?
ネットではUstream、ニコ生、公式サイトなどで中継がされてい
た。
私はtwitterで見たのだけど、白く輝く地球の写真。
通信が途中で途絶えた為、下部は灰色になっている。
イトカワ撮影後、省エネの為にカメラ関係の電源は切っていたそうだ。
うまく機動するかも分からない。
そのままの姿勢では地球側にカメラは向いていない。
それでも研究者たちは決意した。
カメラを機動し、残りのエネルギーを使ってはやぶさの態勢を変えさせて
地球の方を向かせて撮影に挑んだ。
理由は
「最後に故郷の地球の姿を見せてあげたかったから」
はやぶさは6枚程写真を写し、
殆どは真っ黒だったけれど
最後の、最期の一枚に地球が映っていたのだそうだ。
なんたる浪漫。そして愛情。
ほしのこえのノイズ混じりのメール並の切ない写真。
感動せずにはいられない。
そして、『親』が覚悟して送り出し
愛情をかけ、そして迎えたのだからと思うと
やっと言っても良いのだという気になった。
「おかえりなさい」
と。
はやぶさが持ち帰ってくれたカプセルは今日回収予定とのこと。
無事回収出来るのを楽しみにしていようと思います。
2010.06.08 Tue
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
***
中学に入って、聖書の授業で最初に出された宿題が、
主の祈りを暗記してくることだった。
未だにそらで言える。
英語演劇部的なものに所属していた私。
公演の前の緊張を解すために
「私たちらしく主なるイエスにお祈りでもしようか」
と先輩が冗談で言って、みんなで手を組んで目を閉じて
主の祈りをしたことがある。
お祈りで落ち着くような敬虔な信徒ではなかったけれど
何故か今でもみんなでお祈りしたあの時間
講堂の裏の廊下
舞台を広げる為に避けてこっちに運び込んだ長椅子
窓から差し込む光が映し出す埃の粒まで
鮮明に思い出せる。
そのせいか、今でも時々冗談半分に
緊張したときに主の祈りを諳んじることがある。
半分冗談で、半分真剣に。
先生たちは、洗礼を受けろなんて言わなかったけど
聖書は卒業してからも大事にしておいて
ふとしたときに開くと、答えが載っていることがあるから
と言ってくれた。
これは宗教に限らず、なにげない日々の中で
良く起きることなのだと、段々思うようになってきた。
ハチクロでも、悩んでいるあゆ(陶芸科の学生さん)に先
生が
手を動かせ、100枚目の皿に答えがのっていることもある
って言っていたことがあったけど。
答えは、実はいつだってちゃんと近くにいる。
遺伝子に生まれてから死ぬまでの計画が書かれていると
か
全世界の人間の運命が書かれた葉があるとか
そういったこととは別にしても
人生は偶然ではなく必然で出来ていると思う。
悩んで後悔することなんて、日々山の様にあるけれど
後悔することも答えを見つけるタイミングも
全部が必然なのじゃないかなと思う。
振り返ってみれば、あのときの回り道が
今役に立っている、ということは結構あるのだ。
だから、時々振り返っても、立ち止まっても、
歩くのをやめたくはないと思う。
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
***
中学に入って、聖書の授業で最初に出された宿題が、
主の祈りを暗記してくることだった。
未だにそらで言える。
英語演劇部的なものに所属していた私。
公演の前の緊張を解すために
「私たちらしく主なるイエスにお祈りでもしようか」
と先輩が冗談で言って、みんなで手を組んで目を閉じて
主の祈りをしたことがある。
お祈りで落ち着くような敬虔な信徒ではなかったけれど
何故か今でもみんなでお祈りしたあの時間
講堂の裏の廊下
舞台を広げる為に避けてこっちに運び込んだ長椅子
窓から差し込む光が映し出す埃の粒まで
鮮明に思い出せる。
そのせいか、今でも時々冗談半分に
緊張したときに主の祈りを諳んじることがある。
半分冗談で、半分真剣に。
先生たちは、洗礼を受けろなんて言わなかったけど
聖書は卒業してからも大事にしておいて
ふとしたときに開くと、答えが載っていることがあるから
と言ってくれた。
これは宗教に限らず、なにげない日々の中で
良く起きることなのだと、段々思うようになってきた。
ハチクロでも、悩んでいるあゆ(陶芸科の学生さん)に先
生が
手を動かせ、100枚目の皿に答えがのっていることもある
って言っていたことがあったけど。
答えは、実はいつだってちゃんと近くにいる。
遺伝子に生まれてから死ぬまでの計画が書かれていると
か
全世界の人間の運命が書かれた葉があるとか
そういったこととは別にしても
人生は偶然ではなく必然で出来ていると思う。
悩んで後悔することなんて、日々山の様にあるけれど
後悔することも答えを見つけるタイミングも
全部が必然なのじゃないかなと思う。
振り返ってみれば、あのときの回り道が
今役に立っている、ということは結構あるのだ。
だから、時々振り返っても、立ち止まっても、
歩くのをやめたくはないと思う。
2010.06.08 Tue
私の故郷はどこかと問われると、少し回答に困る。
でも、多感な時期を過ごした北の港町が
妥当なのではないかと思う。
私は、あの町が嫌いだった。
過去形で言うには正確ではない。
現在進行形で、あの町のことは嫌いだ。
しかしそれは、けしてあの町並みが嫌いなのではない。
過日読んだ本に、あの町を表現するこんな言葉があった。
『でもあそこは、ローマと同じさ。
遠くから見た分には、美しいけれど、住むには活力がなさすぎる。
ふらっと旅行しに来るにはいいけれど、そこで暮らす街としては魅力はないな』
ローマのことはよく分からないが
この表現には頷ける。
とても美しい町だ。
が、住んでしまうと色褪せる。
一口に言うなら、権力者が己の利益だけを考えて
貪るだけの町だから。
元からあるものを大切に展示するのでなく
ぶち壊して趣味の悪い博物館を作ってしまったり
200年近い歴史のある建物を
反対されないよう市民に内密で壊したり
CMでもよく使われる景色の良い場所にあるビルを
ショッキングピンクで塗ってしまったり
先日も、何故か坂の上に自由の女神像を作ったらしい。
これは市がではなくて、そこの建物の経営者が
勝手に作ったもののようだ。
正直、お台場の自由の女神だってどうかと思うのに
歴史ある観光都市の石畳の坂道の上に
しょぼい張りぼての女神像は尚いただけない。
市民や旅行客からクレームは寄せられているらしいが
今のところ所有者も市も動いていない様子。
センスがダサいことは置いておくとしても
何故こうした景観を壊すようなことをしてしまうのか。
若しくは、それを許してしまうのか。
自分たちの住む町の歴史を知らないからだと思う。
歴史を知っていれば、誇りももてるし
如何に大切にすべき財産か理解していれば
当然もっと大切にするはずだと思う。
同じように歴史を積み重ねていたはずなのに
たとえば京都などとは自覚に雲泥の差がある。
町の歴史を、小学校の社会科の授業で
2時間ほど別冊を使用して学んだ覚えはあるものの
正直言って大した内容ではなかった。
大火が二度も起きた、戦争時空襲にあった、
どこそこに防空壕があった、など
”辛かった””大変だった”という記憶しか残っていない。
大人になってから自分で調べるようになり
こんなにも誇らしい歴史の数々を経て
あの町があると知り嬉しくも悲しくもなった。
先人たちに、なんと恥ずかしい町になりさがったことか。
あんな壮大な歴史を経ているなら
もっと栄えた誇り高い城下町になっていても
可笑しくは無かったはずなのに。
金銭的な価値があるとか
ドラマで出てきたから
という上っ面な歴史ではなく
あの町に根差す歴史をきちんと学ぶことで
郷土愛も育ち、町の運営も市民の生活も
変わっていくのではないか、などと考える。
いつかあの町を、『行きたい』に止まらず
『住みたい』魅力のある町に再興できたなら。
それに自分が微力ながらも尽力できたなら
多少なりとも恩返しになるのでは、とも、思う。
*
母校は広いキャンパスがあった。
あそこに通った6年間は、あの町での数少ない
良い思い出のひとつだ。
桜やクロッカス、紅葉、クリスマスツリー。
四季折々に美しく、近所の幼稚園児が遠足に来るほどだった。
治安の悪化から、自分たちの在校時から
文化祭もチケット制に変更されセキュリティが強化されており
現在では流石に校門を開け放して誰でも自由に出入りできる
とはいかないようである。
ただそれでも、歴史ある建物を見学したい
庭の花を愛でたいといった理由があれば
卒業生でもない無関係の人でも
校門で帳簿に名前等を記入すれば、入ることが出来るのだそうだ。
今時、花が見たいだけの理由で
名前を書くだけで女子校に入れてもらえるなんですごい
とても有難いことだ
と、知人から言われた。
セキュリティとしては、甘いだろう。
何かあれば問題にされるかもしれない。
しかしそれでも、美しいものを望む誰にでも見て欲しい
という我が母校の対応を誇らしく思う。
そして、いつまでもそのままでいて欲しいと思う。
2010.06.04 Fri
昨日、なんとか定時に仕事を終わらせることが出来たので
前々から行こうと思っていたキャラメルのBBBを観に行くことに。
今回はほぼ全曲AIR。しかも開演まで開場で流れているのもAIR尽くし。
開場の18時から行きたいところだけれどどんなに急いでもそれは無理。
勿体ない。
サンシャインに着いたのは18時半頃。
2階席1列のチケットを取った。
劇場に入ると、既にそこからAIRがかかっており、否応無しにテンションが上がる。
久し振りの2階席。恒例の階段シアター。階段に誰もいなかったので
いつになくゆっくりひとつひとつ堪能。
そう言えば、改装されてから初めての2階席。
辿り着くと、荷物は置かれているものの誰も席にはついていない。
1列目に陣取りiPhoneを取り出すと
東池袋に着いた時点のツイートに加藤さんからRTが!!
すごいなこれ。こういうのってほんとに、twitterの醍醐味だなと思う。
spiral lifeがライブで聴けなくなって、今一番良い音で聴けるのはALONE AGAINだけ!
と当時言われていて、その事実に物凄く揺り動かされたものだけれど
今回のBBBも同じことが言えるわけで。
こんな広い場所でこんな大音量でAIRが聴けるのはリキッドのラストライブぶりだ。
それだけでもうテンションは最高潮。
誰もいないのをいいことに、すっかりノリノリで聴き惚れる。
今回私にしては珍しく、ネタばれを一切排除して
プレーンな状態で臨んだので、
青く照らされた舞台、並ぶ椅子も初めて見る光景。
Laika Came BackのLandedもかかったのは嬉しい誤算。
自分の結婚式でもかけた、大好きなsomehowがかかり
これ以上無い期待感。
ついに、幕が開く。
***
バイ・バイ・ブラックバード。
2010年6月、世界各地で新種の熱病が流行。
その後遺症で、数百万の人々が記憶を失った。
ナツカの場合は、11年分の記憶。
その結果、彼女の心は16歳の頃に戻ってしまった。
ナツカは、記憶喪失者が再教育を受ける学校に通い始める。
そこには、他に4人の16歳がいた……。
http://www.caramelbox.com/stage/byebyeblackbird/index.html
私は、記憶を失ったことがない。
一般的には、当たり前だろう。
いつの間にか眠っていたとか、酔っぱらっていたとか
そんな短時間記憶があやふやになることはあるにしても
年単位で記憶がとんだことはないわけだ。
ただ、ナツカたちの気持ちが少しわかることが出来る部分はある。
自分に覚えはないのに、相手は自分のことを覚えている。
そして、自分に少なからず同情して、優しくしてくれる。
そんな状況。
私は事情があって、幼稚園に別れて以来
親戚付き合いというものが一切無かった。
二十年近く経ってから、親戚に会わざるを得ない状況になった。
向こうは、私のことを覚えている。
「大きくなって」「すっかりお姉さんになって」
「昔こんなことがあって、あなたはこう言ったのよ」
その一言一言、全てが苦痛だ。
正直、知らないおじさんおばさんにしかこちらには見えない。
でも、はっきりそう言ってしまっては気を悪くするだろう。
だから、愛想笑いをして誤魔化す。
それでも、ぎくしゃくする。つい敬語になる。
「他人行儀な」
と言われ、無理に喋る。
全く覚えていない訳では無くて、4歳くらいの記憶が
時々断片的に出てくる。
同じようなことを、同じ声に言われた気がする。
けれど、それが目の前のこの人なのか確証が持てない。
赤の他人と、家族を演じなければならない。
だって、家族なのだから。
相手は、私のことを思って優しくしてくれるのだから。
だからこそ、辛い。
お互いに知らない人同士ならまだ良いのだ。
向こうには、私との記憶があるから困る。
私だけが覚えていない。
みんなは普通に、記憶の中の私の成長した姿として私に接してくる。
私は覚えていない。記憶の断片を思い出したところで、打ち解けられない。
いっそのこと全く何も覚えていなければ、ゼロから始められるのに。
これは、ひとりでいる以上の深い孤独を感じた。
それと、焦燥感。
100からも0からも始められず
ちゅうぶらりんに1から始めなければならない主人公たち。
もし自分が、心だけ16歳になってしまったら?
やはり、出来れば記憶を取り戻したいと思うだろう。
そうでなければ自立したいと思うだろう。
知らない人と家族ごっこをして気遣われて暮らすのは辛いし。
迷惑をかけたくないから。
そうやってひとりになっても、鏡を見るのも苦痛に違いない。
16歳なのに、鏡にはオバサンの姿が写る。
思い知らされる。
人によって、感情移入する人が変わると思うが
私は多分、一番充に入れ込んでいたと思う。
記憶が無いから、「おまえはこうだったんだ」という周囲の言葉を信じるしかない。
それが事実かどうかはわからない。
思いだした記憶が、実は思いだしたくもないような事実だったら?
知らない方が良かったのだろうか。
アダムとイブが林檎を食べたのと同じく、永遠の命題だと思う。
自分が、自分の思っていたような自分じゃなかったらどうしよう。
もう一度16歳のときに戻ってやり直して
果たして今の自分になるだろうか?
きっとそんなことはないと思う。
なんだかんだ言って、今の自分は好きだ。
それに、16歳から数年間経験したあの辛い日々を
二度と繰り返し経験したくはない。
(また同じことが起きるとは限らないとしても)
だから、選べるのなら、戻りたくない。
しかし、選べないとしたら。
私は私になれるだろうか。
私のままでいられるのだろうか。
***
以降ネタばれ。
私はAIRが、というか、車谷さんが好きで。
ロックに傾こうがジャズになろうが、「遠くへ行ってしまった」と感じたことは一度もない。
好きな人の行くところならどこでも行くし
彼が選ぶものなら間違いはないし
たとえ間違えていても、全ては大切で必然だ。
言葉にするなら、こんな感じだろうか。
車谷さんの音が変われば、それだけ自分の聴く音の幅も広がる。世界が広がる。
そんなに好きだから思うだけだろう、とつっこまれればそれまでかもしれないが
AIRの曲で凄いと思うことのひとつは、イントロ。
ほんの一瞬の音でその曲の世界に引き込まれてしまう。
特に”Are you sleeping Brother John?”と”I hate chopin”は凄かった。
とんと肩を押されて地面から足が離れるような。
落ち込んでいくように物語に引きずり込まれた。
勿論どの曲もどれもこれも好きに決まっているが
中でも好きな”夏の色を探しに”と”one way”、”Last Dance”。
このパフォーマンスシーンは素晴らしかった。
どこか切なく、懐かしい弦の響き。
映像を併用した表現の仕方。
計算しつくされた役者さんたちの動き。
2階席から俯瞰していたことも良かったのだろうが
心底美しいと思った。
やり直すチャンスだ、と言った充のお父さんを責めたくはない。
わかる気がしてしまうから。
先生がナツカの恋人だったのだろうとは
割と早い段階で気付けてしまうのだけれど
それはそれで沢野の言動ひとつひとつが切なく、痛々しく、いとおしく思える。
記憶があやふやでも、温もりや音は覚えているものだと思う。
肌も耳も、感覚が閉じることがない器官だから。
眠るとき、死ぬときも、耳は最後まで聞こえているという。
ナツカが充の台詞をきっかけにし、沢野の声を聴き
手を繋いで思いだす。
鳥肌がたった。
たとえ思いだせなくても、ここからまた二人で始めればいい。
沢野とナツカがふたりで見詰め合う、そこに流れるのが再び”One Way”。
”あしたからの夢の続き”。
不器用でも、今日を掴み、きっとふたりは明日を生きていける。
そう思えた。
2010.06.04 Fri
お芝居を見た。
帰り道、電車が止まってしまってある駅から動けなくなる。
ノートも持ってきていなくて仕事も出来ないから
鞄に入れていた文庫本を読みきる。
終電で帰宅したら、大好きな小説シリーズの特製冊子が
届いていた。
短編が3本。夢中になって読む。
胸がいっぱいになった。
感動で満たされるのは、お腹がいっぱいになるのとちょっ
と似ている。
もうおなかいっぱい。これ以上入らない。
透明な金魚鉢に水が満たされているみたいに。
胸と頭の中がいっぱいになって、もったいなくて
こぼしたくないからじっとしている。
重たくて、疲れてしまうけれど、とても幸せな気持ち。
”あしたからの夢の続きが薫る”
明日になれば、今日摂った夢たちは私の血肉になり
新しい夢の続きを見る糧になる。
しあわせ。
2010.05.31 Mon
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