ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2010.07.16 Fri
以前サッカーについて熱く語っていたら
「所詮娯楽だろう」
と言われた。
違うと言っても伝わらなかった。
しかし、あれは戦争だ。
血は流れないけれど、国家の威信をかけた戦いだ。
少なくとも、
「戦争代わりにやっている国もどこかにあるかもしれないけど
あれはただのスポーツであって娯楽だよ」
って言っているのは、平和ボケしている日本くらいじゃないかと思う。
平和ボケなんて言われて久しい。
近頃読んだ文献で、全然ジャンルは違うのに
『専守防衛を選ぶ日本の愚かさ』
について触れられていて、いろんなことを考える。
「サッカーなんて娯楽放映してないで選挙とか大事なことがもっとある」
なんて言葉もよく聞いたけど
百歩譲ってサッカーが娯楽だとしても娯楽だって必要だ。
というか、戦況なので報じて当然。
問題は、何故事実がきちんと報道されないのか
偏らずに報じられないのか
国民が何故メディアを鵜呑みにするのか
というところ。
平和ボケしているからかもしらん。
素直で気の長い農耕民族だからかもしらん。
でも、危機感を持たないのは何故(なにゆえ)だろう。
戦いを忘れた日本国民は、
サッカーで国の威信を守ることも
種牛を守って国の財産を守ることも
投票する権利を行使することも
そうやって戦うことまで、忘れてしまったのだろうか。
*
サッカーが娯楽と言い捨てられた話を相方としていて
愛国心の問題に発展したのだけれど
日本という国を愛し政治に興味を持つとしても
あの人は自分の生活に根差した現時点以降の日本を語るが
俺たちの愛国心は歴史を重要視しているから
その時点で愛国心の方向性が違うと言われ
妙に納得した。
同じように選挙に関心を持ち、口蹄疫や基地問題などに
憂いや憤りを覚えても
仕分けや子供手当に苛立ちを感じても
根底にあるものが違うわけだ。
別段、それが悪いとか、どっちがいい悪いとは全く思わない。
両方大事だと思うのだけど。
たとえば選挙権にしたって、どういう歴史を経て得ることになったかなんて考えたら
「雨だから投票いかない♪」なんて言えないと思うんだけど。
…そうでもないのかな。
自分は某城の広間に見学に行った時
当時この位置まで入って良いのは何万石以上
この位置はどれくらい、門の前はどれくらい
なんて説明を受けて、そんなところにただの平民の自分が座っていいものかと
申し訳なく思ったことがあるんだけど。
そういう階級的な話をすると、『平和主義』の人に「平等!」と叫ばれるけど
士農工商って教科書にあるようなものではないと思う。
武士は権力があったが、その分それを行使して農工商を守る義務もあったわけ。
東のエデンで有名になった、ノブレス・オブリージュ。
持てる者の義務ってやつ。
***
絶対に実現出来ないと分かっている夢があって
それでも諦めきれない夢で
抱えて憤りを覚えて
憧れて庭に竹を植え、剣術の稽古をする反面
正式に入門して剣術を学ぼうとはしなかった
若き日の土方さんの気持ちが、自分にはよくわかる気がする。
歴史じゃなければ、グラスハートの土岐さんとか。
自分が漫画家になる前の間、違う入れ物に入れられているような不快を感じながら生きてきたっていうやつ。
自分の居場所はここじゃない。それはわかってる。
守りたいものがなにか。それもわかってる。
どうやって守ればいいのか。それもわかっているつもりなのに
ただそれだけのことが、実現出来ないのは何故なのだろう。
自分がしたいことはこんなことじゃない。
この国をなんとかしなければならない。
それが分かっていて、日々の生活の為に働くしかない。
家族を守ることも紛れもない自分の仕事だから。
あくせく働いて合間に時々剣を振ったって。
本当にこんなことで守れるのだろうか。
それでも今日も働くしかない。
薬を売りながら剣の腕を上げる方法を土方さんは考え付いたけれど
ならば私には何が出来るのだろう。
もどかしい。
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