ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2010.11.28 Sun
週末。
池袋に羽海野先生の原画展示を見に行って、
3月のライオンの5巻を買った。
(勿論カーディガンで!(笑))
帰りの電車で読んだ。
ひなたと零くんの言葉に涙した。
とても辛くて泣きながら、でも
間違ったことはしていない
後悔なんてしない
と言い切るひなはとても真っ直ぐで痛々しくて
その前に跪く零のモノローグは胸に突き刺さった。
"その時 泣きじゃくりながらも そう言い切った彼女を見て 僕は かみなりに撃たれたような気がした 不思議だ ひとは こんなにも時が 過ぎた後で 全く 違う方向から 嵐のように 救われる事がある"
私は、見かけによらず男らしいねとか
恰好いいねとか言われることがあって
それは結構嫌いじゃなかったんだけど
強くあることと、ひとりでいることは違ったのかもしれない。
ひとりでも進めると思い込もうとしてた。
それは、信じようとしてなかっただけかもしれない。
失った時の傷を、少しでも浅くしようとしていただけなのかもしれない。
間違ってると言われた。
ひとりは寂しいと。
悲劇のヒロインぶってる女なんて目も当てられない。
不幸自慢なんて最低だ。
だから、あまり本心を話したり愚痴ったりすることは
避けるようにしてきた。
でも時々緩んでしまって、話してしまって
あとで言わなきゃ良かったと悔やんだりする。
なのに、うっかり吐露してしまった。
私の抱えている"闇"を。
言いながら、とても怖かった。
目が合わせられなくなる。
逸らされるのが怖くなる。
沈黙が、怖くなる。
態度が変わるかもしれない。
冷たくなるかもしれない。
なって当然じゃないか。
でも、私が沈黙の後に貰ったのは熱だった。
とても透明な涙と、熱い気持ちだった。
あまりの衝撃に、立っていられなくなるほどの、熱風だった。
零と同じだった。
自分が間違ったことをしたとは思っていない。
でもうまくいかなくて、自分がいることで世界はどんどん壊れていって
ひとりぼっちでしゃがみ込んでいた幼かった私は
こんなにも時が過ぎた後で
嵐のように救われた。
温かくて強くて大粒の雨が降る
夏の台風みたいな嵐だった。
その帰り道に零とひなたを見て、
言い当てられた気がして驚いた。
あの帰り道にこの本に出会ったのは、きっと必然なのだと思った。
私は、私に吹いた温かい風を一生忘れる事は無いし
この本を読む度に思い出すだろうと思う。
零はひなに言った。
君は僕の恩人だ。
一生かけてでも恩を返すと。
私もそう出来たらいい。
一生傍にいて、恩を返せたらいいな。
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