ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2011.09.06 Tue
powered by ブクログ
2011.08.19 Fri
大好きな漫画家の羽海野先生のツイッターでのツイートで、
以下の様な発言がありました。
ふわふわの友達の為に@itoi_shigesato: 動物のことを真剣に思っている「ペットショップ」の方々にも、賛成してもらえるんじゃないかと思いながらまとめました。動物愛護法改正への意見の出し方とても簡単にわかりやすくなったと思います。http://t.co/h54bVMY
私はこの、環境省が動物取扱業の適正化についてパブリックコメントを求めている
ということが、あまり広く知られていないだろうことが残念でなりませんでした。
動物好きさんにはまったくもって当たり前のことが法律化されません。
意見は、動物愛護の人たちだけでなく、ペットショップ、ブリーダー、
動物園など動物取扱業者の人たちもたくさん出してくるからです。
そういう人たちの中には、現状維持、または現状より規制を緩和することを求める人が
数多くいるのではないかと思います。
※勿論、ペットショップやブリーダーさんにも
とってもペットに愛情があってそのお仕事をされている人はたくさんいます。
一律に、業界の人が法改正に反対していると言いたいわけではないですよ。
私の知り合いにも犬に愛情のある素敵なブリーダーさんがいますし。
羽海野先生のツイートとそのリンク先を読んで、自分が提出した意見をブログに載せることで
誰かの参考になって、ちょっとでも意見を出しやすくなるということもあるのか、と
気がつきました。
そこで、以下に私が出した意見を載せようと思います。
*環境省のページはこちら
動物取扱業の適正化について(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)について(お知らせ)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14069
意見は規定の様式があります。それに従って記載したものを
郵送・ファクシミリ・電子メールで送ることができます。
8月27日必着です。
まだ一週間近く時間がありますので、是非ひとりでも多くのご意見が寄せられることを望みます。
みなさま、是非とも宜しくお願い致します。
以下の様な発言がありました。
ふわふわの友達の為に@itoi_shigesato: 動物のことを真剣に思っている「ペットショップ」の方々にも、賛成してもらえるんじゃないかと思いながらまとめました。動物愛護法改正への意見の出し方とても簡単にわかりやすくなったと思います。http://t.co/h54bVMY
私はこの、環境省が動物取扱業の適正化についてパブリックコメントを求めている
ということが、あまり広く知られていないだろうことが残念でなりませんでした。
動物好きさんにはまったくもって当たり前のことが法律化されません。
意見は、動物愛護の人たちだけでなく、ペットショップ、ブリーダー、
動物園など動物取扱業者の人たちもたくさん出してくるからです。
そういう人たちの中には、現状維持、または現状より規制を緩和することを求める人が
数多くいるのではないかと思います。
※勿論、ペットショップやブリーダーさんにも
とってもペットに愛情があってそのお仕事をされている人はたくさんいます。
一律に、業界の人が法改正に反対していると言いたいわけではないですよ。
私の知り合いにも犬に愛情のある素敵なブリーダーさんがいますし。
羽海野先生のツイートとそのリンク先を読んで、自分が提出した意見をブログに載せることで
誰かの参考になって、ちょっとでも意見を出しやすくなるということもあるのか、と
気がつきました。
そこで、以下に私が出した意見を載せようと思います。
*環境省のページはこちら
動物取扱業の適正化について(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)について(お知らせ)
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=14069
意見は規定の様式があります。それに従って記載したものを
郵送・ファクシミリ・電子メールで送ることができます。
8月27日必着です。
まだ一週間近く時間がありますので、是非ひとりでも多くのご意見が寄せられることを望みます。
みなさま、是非とも宜しくお願い致します。
2011.08.12 Fri
1996年版の『風を継ぐ者』が大好きで、2009年版も二回観に行くほど好きだったので、百万粒にはかなり期待しいた。
自分的に先週がはずれだったので、今回は大丈夫、と安心していたのだけれど、
結果はちょっと微妙。
期待しすぎたせいもあるし、風が良すぎるせいもあるかもしれない。
風で完結していた物語のスピンオフが、個人的には余計に感じてしまった。
まず、タイトルの理由があまり良い理由には思えなかった。なので肝心の決め台詞も、良いものには聞こえなかった。
昭島のキャラクターが迅助とかぶっていて、迅助の魅力があまり出ていなかったように思う。今回の迅助はあまりいいところがなく、足の速さでも昭島には敵わない。活躍と言えば、昭島にはめられた土方を助けに行くシーンくらい。
迅助はあんなに裏切られても変わらず昭島に友情を感じているようだけれど、私としてはその理由が理解出来ない。
いくら友達だからといって、すぐに土方に剣を向けてしまい、そのまま脱走というのが今までの迅助からは考えにくいように思うし
そこまでさせられておいて、なぜ昭島を恨まないのだろう。真っ直ぐというより、ちょっとこれは…。
それに、昭島が何故友達を裏切らせてまで龍馬暗殺犯を新選組の中に求めたがったのかもいまいち理解出来ない。
風では敵である長州勢に理由もあれば魅力もあった。しかし昭島にそれが感じられない。感情移入できないので、迅助に対しても微妙な気持ちになってしまう。
風でも近藤さんは出さなかったが、風の場合はうまく、本人は出てこなくても存在感があったように思う。
百万粒ではそれがなく、中身が非常に薄い感じ。
重要なシーンもナレーションのみですまされていく。
近藤さんは出ていないから仕方ないにしても
土方・沖田の最期も描かれない。
笑いをいれたい、笑顔で終わりたい、敢えて死に際を描きたくない。
それはよくわかるのだが、ナレーションだけで淡々と過ぎていくのはあまりに厚みがないと思った。
全体的に厚みがないし、キャラがたっていない。
みいもなんのためにいるのか。初対面のときに沖田を励ましたかと思えば「人を殺した事なんて無いですよね」と訊くのだが、この台詞も後々生きてくるわけでもなく
次のシーンからは沖田と打ち解けて、沖田を心配してあとをついて回っている。
まるで猫のよう、らしいが、新選組の文献を読みあさっている人間なら、猫と沖田と聞けば色々思うところがあると思うのだが。
辰次郎や、室戸も影が薄い。
室戸は折角のキャラクターなのに、もう少し丁寧に書いてあげれば面白かった気がするので残念。
昭島か室戸か、どちらかだけで良かった気がする。
土方が沖田に別れを告げに来たときの、
「意地をはっているみたいだ」
「傍から見ればそうかもしれない」
というときとのやりとりに違和感。
土方なら、意地くらいはらずにどうする、と返しそうなものだと思った。
迅助の物語の完結編と謳うからには、風のときのように走り回り活躍してくれることを期待していた。
今度は江戸の町を走る、というあおりもあり、期待していたが、結局昭島にだしぬかれてばかり。
箱館まで土方と向かい、今度こそ活躍かと思いきやナレーションだけで、しかも土方の死と同時に新選組も終わった、とされてしまう。
あとはつかまって、ちょっと龍馬を知っていて止めをささなかったことを恩義に感じる随分と真面目な室戸に命を救われ、それで大団円という雰囲気。
そもそも、会津会津と名前だけは出ていたが、原田永倉の名前は出たが、齋藤一の名前が出てこない。
会津戦争のことも出てこないのには違和感。
新選組が賊軍の汚名を着せられて転落していく時期を描いた作品なのだから
ある程度悲痛なシーンも描いてくれないと重みに欠ける。
何度も再起をかけて必死だったことや、近藤さんを助けようと土方さんが必死で走り回ったことがまったくといっていいほど伝わらない。
だったらそもそも、迅助を箱館まで行かせず、流山で捕虜になるなり、会津へ行くなりの展開の方が良かった気がする。
ただその中にあっても、特筆すべきは畑中さんではないだろうか。
元々、色白で紳士的な剣士という沖田像には疑問を禁じ得ない。
ただ、そのイメージをキャラメルの中でがらりとくず訳にはいかないが
たとえば迅助との面接試合で楽しそうに笑っているなど風での畑中さんの役作りは非常に史実に近いのではと思わされた。
そこで今回も期待していた訳だが、残念ながら出番が少なすぎる。病に伏しているわけだから仕方ないし、だからこそああした生き霊や幻の類として出すのも致し方なく、元気な沖田の姿が少しでも見られたことは嬉しい。
芝居がはじまって舞台に立っている沖田が
どきっとするほど具合が悪そうで
わざとらしく咳などしなくても病状が伝わってきたのがまず凄いと思った。
そして、幻として出てくるときと病床のときと、きっちり演じ分けられており
土方を救おうと迅助が奮闘する際に沖田さんが現れたときには鳥肌がたつほどだった。
沖田がつぐみに刀を届けてくれと迅助に頼むのも、ぐっとくるエピソード。
それが知れただけでも、見た甲斐はあったと言える。
自分的に先週がはずれだったので、今回は大丈夫、と安心していたのだけれど、
結果はちょっと微妙。
期待しすぎたせいもあるし、風が良すぎるせいもあるかもしれない。
風で完結していた物語のスピンオフが、個人的には余計に感じてしまった。
まず、タイトルの理由があまり良い理由には思えなかった。なので肝心の決め台詞も、良いものには聞こえなかった。
昭島のキャラクターが迅助とかぶっていて、迅助の魅力があまり出ていなかったように思う。今回の迅助はあまりいいところがなく、足の速さでも昭島には敵わない。活躍と言えば、昭島にはめられた土方を助けに行くシーンくらい。
迅助はあんなに裏切られても変わらず昭島に友情を感じているようだけれど、私としてはその理由が理解出来ない。
いくら友達だからといって、すぐに土方に剣を向けてしまい、そのまま脱走というのが今までの迅助からは考えにくいように思うし
そこまでさせられておいて、なぜ昭島を恨まないのだろう。真っ直ぐというより、ちょっとこれは…。
それに、昭島が何故友達を裏切らせてまで龍馬暗殺犯を新選組の中に求めたがったのかもいまいち理解出来ない。
風では敵である長州勢に理由もあれば魅力もあった。しかし昭島にそれが感じられない。感情移入できないので、迅助に対しても微妙な気持ちになってしまう。
風でも近藤さんは出さなかったが、風の場合はうまく、本人は出てこなくても存在感があったように思う。
百万粒ではそれがなく、中身が非常に薄い感じ。
重要なシーンもナレーションのみですまされていく。
近藤さんは出ていないから仕方ないにしても
土方・沖田の最期も描かれない。
笑いをいれたい、笑顔で終わりたい、敢えて死に際を描きたくない。
それはよくわかるのだが、ナレーションだけで淡々と過ぎていくのはあまりに厚みがないと思った。
全体的に厚みがないし、キャラがたっていない。
みいもなんのためにいるのか。初対面のときに沖田を励ましたかと思えば「人を殺した事なんて無いですよね」と訊くのだが、この台詞も後々生きてくるわけでもなく
次のシーンからは沖田と打ち解けて、沖田を心配してあとをついて回っている。
まるで猫のよう、らしいが、新選組の文献を読みあさっている人間なら、猫と沖田と聞けば色々思うところがあると思うのだが。
辰次郎や、室戸も影が薄い。
室戸は折角のキャラクターなのに、もう少し丁寧に書いてあげれば面白かった気がするので残念。
昭島か室戸か、どちらかだけで良かった気がする。
土方が沖田に別れを告げに来たときの、
「意地をはっているみたいだ」
「傍から見ればそうかもしれない」
というときとのやりとりに違和感。
土方なら、意地くらいはらずにどうする、と返しそうなものだと思った。
迅助の物語の完結編と謳うからには、風のときのように走り回り活躍してくれることを期待していた。
今度は江戸の町を走る、というあおりもあり、期待していたが、結局昭島にだしぬかれてばかり。
箱館まで土方と向かい、今度こそ活躍かと思いきやナレーションだけで、しかも土方の死と同時に新選組も終わった、とされてしまう。
あとはつかまって、ちょっと龍馬を知っていて止めをささなかったことを恩義に感じる随分と真面目な室戸に命を救われ、それで大団円という雰囲気。
そもそも、会津会津と名前だけは出ていたが、原田永倉の名前は出たが、齋藤一の名前が出てこない。
会津戦争のことも出てこないのには違和感。
新選組が賊軍の汚名を着せられて転落していく時期を描いた作品なのだから
ある程度悲痛なシーンも描いてくれないと重みに欠ける。
何度も再起をかけて必死だったことや、近藤さんを助けようと土方さんが必死で走り回ったことがまったくといっていいほど伝わらない。
だったらそもそも、迅助を箱館まで行かせず、流山で捕虜になるなり、会津へ行くなりの展開の方が良かった気がする。
ただその中にあっても、特筆すべきは畑中さんではないだろうか。
元々、色白で紳士的な剣士という沖田像には疑問を禁じ得ない。
ただ、そのイメージをキャラメルの中でがらりとくず訳にはいかないが
たとえば迅助との面接試合で楽しそうに笑っているなど風での畑中さんの役作りは非常に史実に近いのではと思わされた。
そこで今回も期待していた訳だが、残念ながら出番が少なすぎる。病に伏しているわけだから仕方ないし、だからこそああした生き霊や幻の類として出すのも致し方なく、元気な沖田の姿が少しでも見られたことは嬉しい。
芝居がはじまって舞台に立っている沖田が
どきっとするほど具合が悪そうで
わざとらしく咳などしなくても病状が伝わってきたのがまず凄いと思った。
そして、幻として出てくるときと病床のときと、きっちり演じ分けられており
土方を救おうと迅助が奮闘する際に沖田さんが現れたときには鳥肌がたつほどだった。
沖田がつぐみに刀を届けてくれと迅助に頼むのも、ぐっとくるエピソード。
それが知れただけでも、見た甲斐はあったと言える。
2011.08.10 Wed
私はそれなりに、女にしては機械に強い方らしい。
自覚は無かったがどの職場に行っても、なんでそんなに詳しいのと言われたり、「パソコンが可笑しいから直して」と頼られたりする。
我が大切な友人に
「ハチ(渾名)はハイテクさんやねぇ」
としみじみ言って頂いたこともある。
それなりに、パソコンやスマートフォン等を使いこなしているという自負もある。
デジカメや携帯、モバイルノートは必需品。
デジタルは非常に便利である。
データ化しておけば検索や加工、共有が容易というのが最大の利点だと思う。
しかし、デジタル一辺倒になるのが必ずしもいいこととは言えないのではないか。
私は幼い頃、父からペンを貰った。
幼稚園児には高価な、書き味の良いキャップ付きの黒いボールペン。
兎に角なんでもいい、気になったことはメモをしろと言われた。
八百屋の人参の値段、先生が言ったこと、思ったこと、なんでもいい。メモをして読み返すことからなにかが生まれる。
言われたときは、そうかなぁ?と半信半疑だったが
メモをとり読み返せというのは多くのビジネス本等で言われていることだ。
父に言われたから、という訳ではないのだが
読み書きすることが大好きだった私は実際にいろいろな物を書き留めた。
一番自分好みのことが書いてあるのは、自分が書いた物である。
そう思っていたので、自分の書いたものを読み返すことも多かった。
初めはB5のスパイラルリングのノートに書いていたのが、B6の手帳になった。
平行して日記をつけていたが、いつしか手帳を持ち歩くようになってから、簡単な日記も手帳に書き付けるようになった。
今はこうしてブログやスケジュールなど
ネット上で事足りるものが多い。
公表してやりとりをしたり、アラームをかけられたりと、デジタルツールの方が機能は多い。
iPhoneを使うようになってから、手帳を持ち歩く必要はもうないのではないかと思ったこともあるのだが
結局未だに手帳を使い続けている。
その理由はいくつかある。
人は使わないと退化していく。手書きをする機会がめっきり減った昨今、ペンを握って物を書くという行為が非常に重要になってくる。
たまに書くと手がすぐ疲れる、字が下手になる、漢字を忘れるなど、様々な弊害が出てきてしまう。
また、パソコンや携帯を取り出してメモ帳を起ち上げるより、手帳を取り出した方が早い。
キーボードで入力するより、手を動かすことで記憶にインプットされやすい。
などの、いくつかの利点がある。
そして、利点としてはあげられないかもしれないが、温度があると思う。
学生時代、友人が休んだときに、レポート用紙に板書の写しを作って渡していたことがあった。
学校に出てきた時に、ノートを貸してくれと頼み、借りてコピーし返すのが手間だろうと思ったわけで
「なら自分のノートをコピーして渡せば早いのでは」
と言われたこともあったのだが手書きにこだわった。
理由は、味気ないからだ。
コピーして渡されたものと、手書きのノートでは、見た瞬間の印象や頭に入ってくる度合いが違う。
少なくとも私はそう思っていた。
授業中二回同じノートを取る時間は普通にあったし、二度書くことで理解も深まるし
コピー代金もかからないし、一石三鳥ではないか。
そう思っていたし、それは今も変わらない。
世の中には利便性や効率だけで割り切れるものではなく
肌触りや温度も大事にしていくのが良いと思っている。
自覚は無かったがどの職場に行っても、なんでそんなに詳しいのと言われたり、「パソコンが可笑しいから直して」と頼られたりする。
我が大切な友人に
「ハチ(渾名)はハイテクさんやねぇ」
としみじみ言って頂いたこともある。
それなりに、パソコンやスマートフォン等を使いこなしているという自負もある。
デジカメや携帯、モバイルノートは必需品。
デジタルは非常に便利である。
データ化しておけば検索や加工、共有が容易というのが最大の利点だと思う。
しかし、デジタル一辺倒になるのが必ずしもいいこととは言えないのではないか。
私は幼い頃、父からペンを貰った。
幼稚園児には高価な、書き味の良いキャップ付きの黒いボールペン。
兎に角なんでもいい、気になったことはメモをしろと言われた。
八百屋の人参の値段、先生が言ったこと、思ったこと、なんでもいい。メモをして読み返すことからなにかが生まれる。
言われたときは、そうかなぁ?と半信半疑だったが
メモをとり読み返せというのは多くのビジネス本等で言われていることだ。
父に言われたから、という訳ではないのだが
読み書きすることが大好きだった私は実際にいろいろな物を書き留めた。
一番自分好みのことが書いてあるのは、自分が書いた物である。
そう思っていたので、自分の書いたものを読み返すことも多かった。
初めはB5のスパイラルリングのノートに書いていたのが、B6の手帳になった。
平行して日記をつけていたが、いつしか手帳を持ち歩くようになってから、簡単な日記も手帳に書き付けるようになった。
今はこうしてブログやスケジュールなど
ネット上で事足りるものが多い。
公表してやりとりをしたり、アラームをかけられたりと、デジタルツールの方が機能は多い。
iPhoneを使うようになってから、手帳を持ち歩く必要はもうないのではないかと思ったこともあるのだが
結局未だに手帳を使い続けている。
その理由はいくつかある。
人は使わないと退化していく。手書きをする機会がめっきり減った昨今、ペンを握って物を書くという行為が非常に重要になってくる。
たまに書くと手がすぐ疲れる、字が下手になる、漢字を忘れるなど、様々な弊害が出てきてしまう。
また、パソコンや携帯を取り出してメモ帳を起ち上げるより、手帳を取り出した方が早い。
キーボードで入力するより、手を動かすことで記憶にインプットされやすい。
などの、いくつかの利点がある。
そして、利点としてはあげられないかもしれないが、温度があると思う。
学生時代、友人が休んだときに、レポート用紙に板書の写しを作って渡していたことがあった。
学校に出てきた時に、ノートを貸してくれと頼み、借りてコピーし返すのが手間だろうと思ったわけで
「なら自分のノートをコピーして渡せば早いのでは」
と言われたこともあったのだが手書きにこだわった。
理由は、味気ないからだ。
コピーして渡されたものと、手書きのノートでは、見た瞬間の印象や頭に入ってくる度合いが違う。
少なくとも私はそう思っていた。
授業中二回同じノートを取る時間は普通にあったし、二度書くことで理解も深まるし
コピー代金もかからないし、一石三鳥ではないか。
そう思っていたし、それは今も変わらない。
世の中には利便性や効率だけで割り切れるものではなく
肌触りや温度も大事にしていくのが良いと思っている。
2011.08.08 Mon
2011.08.05 Fri
迷ったのだが、27歳のとき成井さんが書いた脚本を、27歳の柿喰う客の演出家が演出する、という文言に興味を惹かれて観に行ってみた。
ナツヤスミ語辞典は初見ではないので、ある意味余裕を持てたとは言える。
が、どうしても前に見たキャラメルの同作と比較してしまい、純粋に楽しめたとは言い難い。
単純に好みの問題ではあるのだが、のっけから舞台でリズムを刻み出されたときに、これはまずいなと思った。
苦手なタイプの演出だなと。
柿喰う客については名前は聞いたことがあったものの、芝居を見たこともなければ予備知識も殆どなかったのだが、こうしたタイプの劇団だとは思わなかった。
客層もいつもと随分違う印象で、芝居が終わればさーっと帰ってしまうし
隣の客は独り言が多く気になって舞台に集中できなかった。
何より、演劇初心者の友人を連れて行ったため、ひいているのではないかと終始気が気ではなかった。
実際、終演後恐る恐る訊いてみるとびっくりしていたし
『ナツヤスミ語辞典』だ、と思わずに、きちんと下調べをしてから誘うかどうか判断すべきだった。
逆に言えば、同じ脚本でも役者と演出が違えばこうまで違うかといった感じで
その違いは面白かったし、キャラメルのいつもの公演だけではできないような演技をキャラメルの役者がしているのは面白かったと思う。
それでも、先生はやっぱり二日酔いで授業をすることがあっても好かれるどこか爽やかな先生であって欲しかったし
ヤンマの一人の戦いがただの我が儘にしか見えずとても残念だった。
ムロマチはこの役者さんも中々恰好良く演じてくれてはいたが、強く見えてもどこかに弱さがあるような坂口さんの演技の方が自分としては好みだった。
ナツヤスミ語辞典は初見ではないので、ある意味余裕を持てたとは言える。
が、どうしても前に見たキャラメルの同作と比較してしまい、純粋に楽しめたとは言い難い。
単純に好みの問題ではあるのだが、のっけから舞台でリズムを刻み出されたときに、これはまずいなと思った。
苦手なタイプの演出だなと。
柿喰う客については名前は聞いたことがあったものの、芝居を見たこともなければ予備知識も殆どなかったのだが、こうしたタイプの劇団だとは思わなかった。
客層もいつもと随分違う印象で、芝居が終わればさーっと帰ってしまうし
隣の客は独り言が多く気になって舞台に集中できなかった。
何より、演劇初心者の友人を連れて行ったため、ひいているのではないかと終始気が気ではなかった。
実際、終演後恐る恐る訊いてみるとびっくりしていたし
『ナツヤスミ語辞典』だ、と思わずに、きちんと下調べをしてから誘うかどうか判断すべきだった。
逆に言えば、同じ脚本でも役者と演出が違えばこうまで違うかといった感じで
その違いは面白かったし、キャラメルのいつもの公演だけではできないような演技をキャラメルの役者がしているのは面白かったと思う。
それでも、先生はやっぱり二日酔いで授業をすることがあっても好かれるどこか爽やかな先生であって欲しかったし
ヤンマの一人の戦いがただの我が儘にしか見えずとても残念だった。
ムロマチはこの役者さんも中々恰好良く演じてくれてはいたが、強く見えてもどこかに弱さがあるような坂口さんの演技の方が自分としては好みだった。
2011.08.01 Mon
powered by ブクログ
2011.07.01 Fri
powered by ブクログ
2011.06.17 Fri
朝、めざましテレビを見ていた。
もうテレビは嘘ばかりで見ていて嫌な思いしかしないのだけれど
小学生の頃からの習慣でつい、時計代わりにつけてしまう。
あるコーナーで、犬が出てきたのだけど、アナウンサーと目線を近くして一緒にカメラに収めたいが為か
公園かどこかのベンチの上に犬が座らされていた。
私は非常に不愉快になったが、昨今なんとも思わない人の方が増えたのだろう。
上下の区別がつかない人というのが、まったく本当に増えてしまった。上下だけでなく、公私の別もつかないのだろう。
それで平気で、靴を履いたままの子供を抱き上げて靴底がすれ違う人に当たるのに任せて歩いたり
電車の中や公園のベンチで靴を脱がさずに椅子やベンチにあげる人が多いのだろう。
前にディズニーランドへ行ったとき、パレードを見るのに多くの人間がベンチに立ち上がっていて
一組だけ靴を脱いでいた親子がいて、かえって違和感があったくらいだった。
ずっと外にあるものだからいいだろう、という考えの人もいるだろうし
汚いこと前提で外のベンチに座らないとか、座るなら何か敷くという人もいるだろう。
でもやっぱり私は、尻を置くところに土足で乗るのはどうかと思う。
犬は靴を履いていない(最近は履いている子もいるけれど)から脱ぐこともできないのだし、飼い主が抱き上げて膝にのせるか
そうでなければやはりベンチにはのせるべきではない。
事前に足を拭いたとしても、あとでベンチを拭いたとしても
それがはっきりしない状況を、公共電波で流すのは良くないと思う。
近頃のテレビにそうした責任感を求めること自体が既に土台無理なことになってしまっているのだろうが
私は随分昔にお話しした犬の飼い主さんが、犬を絶対に公園のベンチにあげなくて、その理由を聞いたときに
とても納得したし、素敵だなと思った。
だからたとえ土足が常識でこちらがマイノリティになったとしても(もうそうなのかも)
私は土足で地面や床以外のところに足をおかせないようにしようと思う。
土足でのるところにのらなかったり、靴を脱いであがったところで
その逆よりは迷惑はかからないだろうし。
もうテレビは嘘ばかりで見ていて嫌な思いしかしないのだけれど
小学生の頃からの習慣でつい、時計代わりにつけてしまう。
あるコーナーで、犬が出てきたのだけど、アナウンサーと目線を近くして一緒にカメラに収めたいが為か
公園かどこかのベンチの上に犬が座らされていた。
私は非常に不愉快になったが、昨今なんとも思わない人の方が増えたのだろう。
上下の区別がつかない人というのが、まったく本当に増えてしまった。上下だけでなく、公私の別もつかないのだろう。
それで平気で、靴を履いたままの子供を抱き上げて靴底がすれ違う人に当たるのに任せて歩いたり
電車の中や公園のベンチで靴を脱がさずに椅子やベンチにあげる人が多いのだろう。
前にディズニーランドへ行ったとき、パレードを見るのに多くの人間がベンチに立ち上がっていて
一組だけ靴を脱いでいた親子がいて、かえって違和感があったくらいだった。
ずっと外にあるものだからいいだろう、という考えの人もいるだろうし
汚いこと前提で外のベンチに座らないとか、座るなら何か敷くという人もいるだろう。
でもやっぱり私は、尻を置くところに土足で乗るのはどうかと思う。
犬は靴を履いていない(最近は履いている子もいるけれど)から脱ぐこともできないのだし、飼い主が抱き上げて膝にのせるか
そうでなければやはりベンチにはのせるべきではない。
事前に足を拭いたとしても、あとでベンチを拭いたとしても
それがはっきりしない状況を、公共電波で流すのは良くないと思う。
近頃のテレビにそうした責任感を求めること自体が既に土台無理なことになってしまっているのだろうが
私は随分昔にお話しした犬の飼い主さんが、犬を絶対に公園のベンチにあげなくて、その理由を聞いたときに
とても納得したし、素敵だなと思った。
だからたとえ土足が常識でこちらがマイノリティになったとしても(もうそうなのかも)
私は土足で地面や床以外のところに足をおかせないようにしようと思う。
土足でのるところにのらなかったり、靴を脱いであがったところで
その逆よりは迷惑はかからないだろうし。
2011.06.01 Wed
powered by ブクログ
2011.06.01 Wed
KDDIさんに三度目の正直?で連絡してみましたが
『ご不快な思いをおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。
この度の、弊社窓口の対応につきましては、当メール窓口より、担当した部署へ報告し、対応の改善に努めるよう手配を行わせていただく所存でございます。
なお、この度いただいたご意見につきましては、弊社全体へのご意見として真摯に受け止め、今後、業務の改善を徹底し、このような不手際を招かぬよう、再発防止に努めて参ります。
au携帯電話の解約を検討されていることをお伺いしておりますが、上記に記載しておりますように、可能な限り、改善に努めて参りますので、何とぞ、ご容赦いただき、継続利用をご検討くださいますようお願い申し上げます。』
との、やっぱりなにひとつ名言しない政治家調のテンプレ回答しかもらえませんでした。
お菓子でデパ地下とかにも入ってるアンリ・シャルパンティエさんなんか
顧客のクレームに尼崎から埼玉まで店長が謝りに来ちゃったり
自分たちに落ち度はないのにA4用紙5枚に渡る報告や説明、今後の具体的対策を
手書きの宛名で封書で送ってきてくれちゃうのに
そういう『顧客満足』っていう接客業なら当たり前(アンリさんはちとすごすぎますが)
のことを考えている大手企業って、もう殆どないんでしょうかね。
今度もアンリさんは利用するし、KDDIはもう二度と利用しません。
客もちゃんと考えて選択するべきだと思う。
じゃないとちゃんとやってるところが可哀想だし。
さて、どこの携帯にしよう。ウィルコムかなぁ…。
『ご不快な思いをおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。
この度の、弊社窓口の対応につきましては、当メール窓口より、担当した部署へ報告し、対応の改善に努めるよう手配を行わせていただく所存でございます。
なお、この度いただいたご意見につきましては、弊社全体へのご意見として真摯に受け止め、今後、業務の改善を徹底し、このような不手際を招かぬよう、再発防止に努めて参ります。
au携帯電話の解約を検討されていることをお伺いしておりますが、上記に記載しておりますように、可能な限り、改善に努めて参りますので、何とぞ、ご容赦いただき、継続利用をご検討くださいますようお願い申し上げます。』
との、やっぱりなにひとつ名言しない政治家調のテンプレ回答しかもらえませんでした。
お菓子でデパ地下とかにも入ってるアンリ・シャルパンティエさんなんか
顧客のクレームに尼崎から埼玉まで店長が謝りに来ちゃったり
自分たちに落ち度はないのにA4用紙5枚に渡る報告や説明、今後の具体的対策を
手書きの宛名で封書で送ってきてくれちゃうのに
そういう『顧客満足』っていう接客業なら当たり前(アンリさんはちとすごすぎますが)
のことを考えている大手企業って、もう殆どないんでしょうかね。
今度もアンリさんは利用するし、KDDIはもう二度と利用しません。
客もちゃんと考えて選択するべきだと思う。
じゃないとちゃんとやってるところが可哀想だし。
さて、どこの携帯にしよう。ウィルコムかなぁ…。
2011.06.01 Wed
KDDIさんに三度目の正直?で連絡してみましたが
『ご不快な思いをおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。
この度の、弊社窓口の対応につきましては、当メール窓口より、担当した部署へ報告し、対応の改善に努めるよう手配を行わせていただく所存でございます。
なお、この度いただいたご意見につきましては、弊社全体へのご意見として真摯に受け止め、今後、業務の改善を徹底し、このような不手際を招かぬよう、再発防止に努めて参ります。
au携帯電話の解約を検討されていることをお伺いしておりますが、上記に記載しておりますように、可能な限り、改善に努めて参りますので、何とぞ、ご容赦いただき、継続利用をご検討くださいますようお願い申し上げます。』
との、やっぱりなにひとつ名言しない政治家調のテンプレ回答しかもらえませんでした。
お菓子でデパ地下とかにも入ってるアンリ・シャルパンティエさんなんか
顧客のクレームに尼崎から埼玉まで店長が謝りに来ちゃったり
自分たちに落ち度はないのにA4用紙5枚に渡る報告や説明、今後の具体的対策を
手書きの宛名で封書で送ってきてくれちゃうのに
そういう『顧客満足』っていう接客業なら当たり前(アンリさんはちとすごすぎますが)
のことを考えている大手企業って、もう殆どないんでしょうかね。
今度もアンリさんは利用するし、KDDIはもう二度と利用しません。
客もちゃんと考えて選択するべきだと思う。
じゃないとちゃんとやってるところが可哀想だし。
さて、どこの携帯にしよう。ウィルコムかなぁ…。
『ご不快な思いをおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。
この度の、弊社窓口の対応につきましては、当メール窓口より、担当した部署へ報告し、対応の改善に努めるよう手配を行わせていただく所存でございます。
なお、この度いただいたご意見につきましては、弊社全体へのご意見として真摯に受け止め、今後、業務の改善を徹底し、このような不手際を招かぬよう、再発防止に努めて参ります。
au携帯電話の解約を検討されていることをお伺いしておりますが、上記に記載しておりますように、可能な限り、改善に努めて参りますので、何とぞ、ご容赦いただき、継続利用をご検討くださいますようお願い申し上げます。』
との、やっぱりなにひとつ名言しない政治家調のテンプレ回答しかもらえませんでした。
お菓子でデパ地下とかにも入ってるアンリ・シャルパンティエさんなんか
顧客のクレームに尼崎から埼玉まで店長が謝りに来ちゃったり
自分たちに落ち度はないのにA4用紙5枚に渡る報告や説明、今後の具体的対策を
手書きの宛名で封書で送ってきてくれちゃうのに
そういう『顧客満足』っていう接客業なら当たり前(アンリさんはちとすごすぎますが)
のことを考えている大手企業って、もう殆どないんでしょうかね。
今度もアンリさんは利用するし、KDDIはもう二度と利用しません。
客もちゃんと考えて選択するべきだと思う。
じゃないとちゃんとやってるところが可哀想だし。
さて、どこの携帯にしよう。ウィルコムかなぁ…。
2011.05.31 Tue
2月にauひかりマンションミニギガを申し込みました。
1~2か月工事にはかかるということでした。
携帯もauだったので、まとめて請求にしたら、その手続きは早々と
2月中に完了しましたという通知がきたのに
ネットの方はさっぱり連絡がこないので
4月にこちらから連絡してみました。
すると、
「震災の影響で工事日が設定できない」
「いつになるか皆目見当がつかない」。
見当がつかないのは困るというと、
「二週間ごとに定期連絡をします。動きがあればそれ以外でもすぐに連絡します」
ここまでの対応は至極普通だと思ったので、待っていました。
二週間ごとの連絡は約束通りきましたが、
「まだです」。
5月に入ったある日の定期連絡で、
「工法を検討している」
に理由が変わりました。定期連絡じゃなく、動きがあったのだから
すぐに連絡してこいよと思いつつ、まぁ我慢。
その二週間後も
「工法を検討している」。
2月に申し込んで早3ヶ月。
遅れている理由を「震災の影響」と言っていたときは
ガソリン等燃料が無いせいで、あればすぐ順番に再開する
という調子だったのに、今更工法の検討。
一体それはいつまでかかるのでしょうか。
どれくらいかかるのか、検討した結果使えない可能性はあるのか。
「どれくらいかかるかわかっていれば最初から言っている」
「使えない可能性があるとしか言えない」
「嫌ならこの電話でキャンセルを承る」
この態度にあんまり頭にきたのですが、これ以上この人と話しても仕方ないと思い
サイトからメールをしました。
折り返し電話がきましたが、完全なクレームに対しても
変わらずバイトのテレアポの人がかわるがわるかけているのか
担当者はそのたびごとに違います。
クレームをして一週間で、「工事日のお知らせ」という電話に変わったのが
不審感でいっぱいです。
文句を言ったから早くなったのでしょうか?
3月の時点でマンションの管理人に工事の了承はとったと言っていたのに
先週の金曜日に管理人から私のもとへ
「そこにはフレッツが入っているんだからそれを使え」
と電話がきて益々不審。
どの担当者も慇懃無礼な態度で、マニュアルを読みあげているだけで
もってまわった言い方ばかり。こちらの質問にストレートには答えてくれません。
まるで責任逃れする政治家みたいな言い草。
結局申し込みはキャンセルしたのですが
「でもオーナーに許可はもらったから工事はします」。
まとめて請求も、本来ならネットが開通してからサービスを開始してくれればいいのに
勝手にネットは遅らせておいて勝手にまとめておいて
結局ネットは開通しないのに、元に戻すにはキャンセル扱い。
電話もらっても仕事しているから出られないから、と言ってあったのに連日電話。
日本語がわからないんでしょうか。
さっきやっと会社帰りに電話に出て、
「じゃあ元に戻しますね」って。
auにしてみればそれぞれネットも携帯も部署が違うから関係ないのかもしれないけど
客にとってはひとつのKDDIという会社なのに、
そっちのミスでこちらは迷惑を被っているんだけど、全員がそれを考えてない態度。
しかも帰宅したらポストに紙が入ってて、
「6/7に3時間くらい工事します。不在でもベランダに梯子かけて入って工事するから
洗濯物とか外に出しておくな。
問い合わせがあるなら自分で以下の電話番号に問い合わせて」
(しかも設備についての問い合わせ先はフリーダイヤルですらない)
いやだって言ってるのに無視、
申し込んだ私がキャンセルしても、オーナーに許可もらったから
工事だけはする。まぁそれはチャンスだからするだろうけど
勝手にベランダ入られるとかたまったもんじゃない。
友人も、フレッツが入ってるマンションに住んでてフレッツ使ってるのに
auの営業がしつこくて、できるとかできないとか二転三転して
モデム押しつけて帰って行ったらしいけど。
(友人はフレッツ使ってるから当然auのモデムは使ってないので部屋の隅で邪魔になったまま)
随分昔の、2位だなんだいってたころはすごく頑張ってると思って
サービスもいいと思ったから、高校生のピッチから数えたらもう
随分長年KDDIを使って来たけど、愛想が尽きました。
普通もっと誠意を見せて、謝るなり提案するなりするのが接客だと思うんだけど
そういうまともなことが主流ではない世の中になってきてしまて
KDDIという会社は顧客満足を考えるのではなく、マニュアルと利益しか考えていない会社なんですね。
顧客満足が結局は利益につながるはずなのに、そんなことももう忘れて
ごり押しでうまくいくと思ってる、大手企業が陥る最悪思考におちてしまったんですね。
昔はそういうNTTとかをCMでセンス良く揶揄してたのにね。
もうほんとうに頭にきたから、携帯も解約しようと思います。
窓口の人も何度言ってもわかってくれなかったけど、
工事が遅れてることが不愉快なんじゃないんです。
いつまで遅れるか、遅れた末使えるかもわからないけど、嫌ならやめたら?
って態度が酷過ぎるって言ってるんですけどね。
本当に残念です。
私がネットも携帯もやめることで、毎月1万~の利益がなくなるわけなんだけど
そんなのへっちゃらって思ってるんでしょうね。
たかが1万かもしれませんが、そんな会社に落とすよりも別のことに使おうと思います。
1~2か月工事にはかかるということでした。
携帯もauだったので、まとめて請求にしたら、その手続きは早々と
2月中に完了しましたという通知がきたのに
ネットの方はさっぱり連絡がこないので
4月にこちらから連絡してみました。
すると、
「震災の影響で工事日が設定できない」
「いつになるか皆目見当がつかない」。
見当がつかないのは困るというと、
「二週間ごとに定期連絡をします。動きがあればそれ以外でもすぐに連絡します」
ここまでの対応は至極普通だと思ったので、待っていました。
二週間ごとの連絡は約束通りきましたが、
「まだです」。
5月に入ったある日の定期連絡で、
「工法を検討している」
に理由が変わりました。定期連絡じゃなく、動きがあったのだから
すぐに連絡してこいよと思いつつ、まぁ我慢。
その二週間後も
「工法を検討している」。
2月に申し込んで早3ヶ月。
遅れている理由を「震災の影響」と言っていたときは
ガソリン等燃料が無いせいで、あればすぐ順番に再開する
という調子だったのに、今更工法の検討。
一体それはいつまでかかるのでしょうか。
どれくらいかかるのか、検討した結果使えない可能性はあるのか。
「どれくらいかかるかわかっていれば最初から言っている」
「使えない可能性があるとしか言えない」
「嫌ならこの電話でキャンセルを承る」
この態度にあんまり頭にきたのですが、これ以上この人と話しても仕方ないと思い
サイトからメールをしました。
折り返し電話がきましたが、完全なクレームに対しても
変わらずバイトのテレアポの人がかわるがわるかけているのか
担当者はそのたびごとに違います。
クレームをして一週間で、「工事日のお知らせ」という電話に変わったのが
不審感でいっぱいです。
文句を言ったから早くなったのでしょうか?
3月の時点でマンションの管理人に工事の了承はとったと言っていたのに
先週の金曜日に管理人から私のもとへ
「そこにはフレッツが入っているんだからそれを使え」
と電話がきて益々不審。
どの担当者も慇懃無礼な態度で、マニュアルを読みあげているだけで
もってまわった言い方ばかり。こちらの質問にストレートには答えてくれません。
まるで責任逃れする政治家みたいな言い草。
結局申し込みはキャンセルしたのですが
「でもオーナーに許可はもらったから工事はします」。
まとめて請求も、本来ならネットが開通してからサービスを開始してくれればいいのに
勝手にネットは遅らせておいて勝手にまとめておいて
結局ネットは開通しないのに、元に戻すにはキャンセル扱い。
電話もらっても仕事しているから出られないから、と言ってあったのに連日電話。
日本語がわからないんでしょうか。
さっきやっと会社帰りに電話に出て、
「じゃあ元に戻しますね」って。
auにしてみればそれぞれネットも携帯も部署が違うから関係ないのかもしれないけど
客にとってはひとつのKDDIという会社なのに、
そっちのミスでこちらは迷惑を被っているんだけど、全員がそれを考えてない態度。
しかも帰宅したらポストに紙が入ってて、
「6/7に3時間くらい工事します。不在でもベランダに梯子かけて入って工事するから
洗濯物とか外に出しておくな。
問い合わせがあるなら自分で以下の電話番号に問い合わせて」
(しかも設備についての問い合わせ先はフリーダイヤルですらない)
いやだって言ってるのに無視、
申し込んだ私がキャンセルしても、オーナーに許可もらったから
工事だけはする。まぁそれはチャンスだからするだろうけど
勝手にベランダ入られるとかたまったもんじゃない。
友人も、フレッツが入ってるマンションに住んでてフレッツ使ってるのに
auの営業がしつこくて、できるとかできないとか二転三転して
モデム押しつけて帰って行ったらしいけど。
(友人はフレッツ使ってるから当然auのモデムは使ってないので部屋の隅で邪魔になったまま)
随分昔の、2位だなんだいってたころはすごく頑張ってると思って
サービスもいいと思ったから、高校生のピッチから数えたらもう
随分長年KDDIを使って来たけど、愛想が尽きました。
普通もっと誠意を見せて、謝るなり提案するなりするのが接客だと思うんだけど
そういうまともなことが主流ではない世の中になってきてしまて
KDDIという会社は顧客満足を考えるのではなく、マニュアルと利益しか考えていない会社なんですね。
顧客満足が結局は利益につながるはずなのに、そんなことももう忘れて
ごり押しでうまくいくと思ってる、大手企業が陥る最悪思考におちてしまったんですね。
昔はそういうNTTとかをCMでセンス良く揶揄してたのにね。
もうほんとうに頭にきたから、携帯も解約しようと思います。
窓口の人も何度言ってもわかってくれなかったけど、
工事が遅れてることが不愉快なんじゃないんです。
いつまで遅れるか、遅れた末使えるかもわからないけど、嫌ならやめたら?
って態度が酷過ぎるって言ってるんですけどね。
本当に残念です。
私がネットも携帯もやめることで、毎月1万~の利益がなくなるわけなんだけど
そんなのへっちゃらって思ってるんでしょうね。
たかが1万かもしれませんが、そんな会社に落とすよりも別のことに使おうと思います。
2011.05.04 Wed
とても久し振りだった。
前回のチケットが取れず、遠征にも行けていないので、私にとっては最後のThree cherrs~以来のライブとなる。
整理券番号107番だったにも関わらず
あまりに久し振りで前回のAIRのクアトロ以来に来る渋谷クアトロなので
あっさり道を間違えて迷ってしまい
到着したときには300番台の人が入場している段階だったので
良い場所を取るのは諦めてグッズを先に買うことに。
列に並んでいるとき後ろの人たちの会話が聞こえてきたのだけれど
AIRの中盤以降、アルバムで言えばFREEDOMくらいの頃から若い人
はっきり言うなら、曲の善し悪しはどうでもよくて、ただでかい音でがしがし鳴っている場所で暴れたいだけの人
もよくライブ会場で見るようになっていて
禁煙の会場で煙草を吸ったり靴を履いたままダイブしたりやりたい放題
ってことが結構あった。
でも、段々と客層が変わってきたよね、というお話をされていて。
これがLaika Came Backになって初めての生ライブな私には
客層もセットリストも何もかも初めてで
恐る恐る様子見というところが大きかったのだけど
確かに全体的に年齢層が高くなっていて
勿論マナーが微妙な人もゼロじゃないなりに
落ち着いた雰囲気。
若くても二十代、子連れで来ている人もいる状況。
車谷さんご本人がどう思われているのかはわからないけれど
少なくとも落ち着いて音楽を聴くのには向いた環境だった。
会場がスタンディングではなく、椅子がおいてあるというのも
NKホール以来初めて見た。
既配信の曲、出来たばかりの曲、
カバーやプライベートな曲などを
座ったまま演奏するという
AIR時代のBread of Life に近いライブで
非常にまったりとゆるやかな時間が流れた。
AIRのPansyが発表されたとき、誰かが書いたレビューか何かで
名曲なのにライブで演奏されることがないと思うと非常に残念だ
という趣旨のコメントがあって、非常に印象に残っている。
車谷さんの今までの傾向からいって
前の曲を演ったりはしないわけで
今回もやはり予想通りだった。
仕方のないことだが、シングルのPansyは勿論
AIR時代の名曲たちがもう生で聴けないのかと思うと
本当に心底残念だ。
Everything or ~などで客席をスポットライトが照らし
みんなの上気した笑顔と振り上げた腕が見えるのがとても好きだった。
ああいった光景は、もう見られないのだろう。
それでも、人は変わっていくものだし
過ぎ去るものは懐かしく寂しいけれど
その分得るものもあり、続いていくものもある。
この先の時間をまた共有できることに幸せを感じた。
終演後、車谷さんがお見送りします、とグッズ売場付近に立たれて
みんなと握手しておられた。
あまりそういったことが苦手な私だが
素敵な時間を提供してくれた人にお礼を言うのは自然のこと
という連れの後押しもあり、自分も列に並んで握手して頂いた。
「ありがとうございました」
と車谷さんもみんなに応えて握手をしておられた。
私の連れのときだけ、
「おっ、ありがとう」
だったのが個人的にちょっと印象的だった。
連れが、もしかしたら一番(ちびっこたちを除いて)若い学生
しかも男子だったせいかなと勝手に思っている。
BAKU時代、女性ファンばかりと嘆いておられたという話もあった。
Spiral、AIRと経て、男子はとても増えた。
その中には上記のような、ファンとは言い難い人もいたわけだが
若い男の子が激しい曲でダイブしまくったあと、
マナー良くにこにこLast Danceを聴いていたりということも当然よくあった。
年齢層があがり落ち着くのも結構なのだが
やはり良い曲なので、幅広い世代に、若い人にも聴いて欲しいと私は思う。
車谷さんが音楽業界に足を踏み入れた頃生まれた世代も
車谷さんの曲を聴き、ライブに足を運ぶということが
音楽らしい素晴らしいことだと思うし、そんな事実がちゃんとあることを
ご本人に知って貰えたという意味で、ちょっと嬉しかった。
まだ曲名や歌詞もないような今日歌われた歌が
アルバムとして世に出る日がとても楽しみだ。
それがまたライブで歌われ、そうして続いていく日々が
とても眩しく明るいものに感じられた。
とても素敵な時間だった。
2011.05.02 Mon
真夏なのに寒くなって、道が暗く見えて
なんか怖いからここは通りたくない
と思ったところが後から調べたら江戸時代に土壇場のあった場所だったとか
なんか突然右手が痛くてぷるぷるするし
涙が出るんだけどなんだろうと思ったら
友達が右手を怪我したとか
そんなことがときどきある。
無宗教だしあまりにスピリチュアルなものは
寧ろひいてしまう私だけれど
こういう本能とか第六感とかいうのは
結構信じてるし、それなりに大事にしているつもり。
先週ちょっと落ち込むことがあって
盛り返してきたかと思っていたのだけど
昨日あたりから訳もなく悲しい。
別に何か新しく困ることがあったわけでもないのに
ちょっと油断すると涙ぐんでしまう。
大事な人になにかあったのか
近くでなにかあったのか
それとも誰かが私のことを恨んでいるのか
恨まれているとしたら心当たりはありすぎるほどある。
でも悪いけど、知ったこっちゃないとも思う。
私の人生は、私だけのものです。
あなたに不快な思いをさせたのは残念なことだけれど
あなたの思うような人生を私が生きてあげることはできない。
それに、もし本当にそういう人の悲しい思いがとんできて
私が訳もなく悲しいのだとして
それで気が晴れるのかといえば
そんなことはないと思う。
だったら好きな人に好きだよって気持ちを送って
訳もなく笑顔にさせてあげた方がよっぽど良い。
その人の生き方も、きっと少しでも前向きになると思う。
自分ではどうにもならないことっていうのは
悲しいけれど世の中にはどうしてもたくさんあって
それを憂うよりも、できることをやっていく方が絶対に良いと思う。
でも、それでも人を羨み妬み恨むことで生きていきたいのなら
それはそれで私にはどうにもしてあげられないことです。
私が不幸になっても何も解決しないのに
それでも不幸であって欲しいと願うとしても
私はあなたのために不幸になってはあげられません。
***
これは言い訳でしかないのだけれど。
何かを作るときに、自分の精神状態がそこに入ってしまうことが怖いと思う。
暗いものを作るのに自分の黒い気持ちが入る分にはいいかもしれないけど
素敵なものを作るときにはまずいと思う。
私の作り方が、煉瓦を焼いて順繰りにくみ上げていくのではなくて
ただ心から流す涙だとか
石を彫り上げていくよりも
砂や土を集めて捏ね上げていくような
やり方をするタイプなので
自分が綺麗な気持ちでいるときじゃないと
作品にまで変な物が入ってしまいそうで
中々取りかかれないでいる。
下準備は着々しているつもりなのだけど
肝心の作業に入れる心づもりが出来ないでいて
早くやらなくちゃと焦っているところ。
でも、やっつけで適当にやったものを
人様にお見せするなんてとんでもないことだし
綺麗な気持ちでやったものではないと
見る人も綺麗な気持ちになんてなれるはずがない。
焦るけど仕方ない。
立て直して作業に入らなくてはなぁ。
なんか怖いからここは通りたくない
と思ったところが後から調べたら江戸時代に土壇場のあった場所だったとか
なんか突然右手が痛くてぷるぷるするし
涙が出るんだけどなんだろうと思ったら
友達が右手を怪我したとか
そんなことがときどきある。
無宗教だしあまりにスピリチュアルなものは
寧ろひいてしまう私だけれど
こういう本能とか第六感とかいうのは
結構信じてるし、それなりに大事にしているつもり。
先週ちょっと落ち込むことがあって
盛り返してきたかと思っていたのだけど
昨日あたりから訳もなく悲しい。
別に何か新しく困ることがあったわけでもないのに
ちょっと油断すると涙ぐんでしまう。
大事な人になにかあったのか
近くでなにかあったのか
それとも誰かが私のことを恨んでいるのか
恨まれているとしたら心当たりはありすぎるほどある。
でも悪いけど、知ったこっちゃないとも思う。
私の人生は、私だけのものです。
あなたに不快な思いをさせたのは残念なことだけれど
あなたの思うような人生を私が生きてあげることはできない。
それに、もし本当にそういう人の悲しい思いがとんできて
私が訳もなく悲しいのだとして
それで気が晴れるのかといえば
そんなことはないと思う。
だったら好きな人に好きだよって気持ちを送って
訳もなく笑顔にさせてあげた方がよっぽど良い。
その人の生き方も、きっと少しでも前向きになると思う。
自分ではどうにもならないことっていうのは
悲しいけれど世の中にはどうしてもたくさんあって
それを憂うよりも、できることをやっていく方が絶対に良いと思う。
でも、それでも人を羨み妬み恨むことで生きていきたいのなら
それはそれで私にはどうにもしてあげられないことです。
私が不幸になっても何も解決しないのに
それでも不幸であって欲しいと願うとしても
私はあなたのために不幸になってはあげられません。
***
これは言い訳でしかないのだけれど。
何かを作るときに、自分の精神状態がそこに入ってしまうことが怖いと思う。
暗いものを作るのに自分の黒い気持ちが入る分にはいいかもしれないけど
素敵なものを作るときにはまずいと思う。
私の作り方が、煉瓦を焼いて順繰りにくみ上げていくのではなくて
ただ心から流す涙だとか
石を彫り上げていくよりも
砂や土を集めて捏ね上げていくような
やり方をするタイプなので
自分が綺麗な気持ちでいるときじゃないと
作品にまで変な物が入ってしまいそうで
中々取りかかれないでいる。
下準備は着々しているつもりなのだけど
肝心の作業に入れる心づもりが出来ないでいて
早くやらなくちゃと焦っているところ。
でも、やっつけで適当にやったものを
人様にお見せするなんてとんでもないことだし
綺麗な気持ちでやったものではないと
見る人も綺麗な気持ちになんてなれるはずがない。
焦るけど仕方ない。
立て直して作業に入らなくてはなぁ。
2011.05.01 Sun
powered by ブクログ
2011.04.30 Sat
蔵書の量、システム、立地、なにからなにまで便利で
お気に入りだった図書館が、仕事を変えたらちょっと遠くなって不便になり
地元の図書館に先週初めて行った。
最近の図書館は民間委託しちゃってることが殆どで
職員さんは大概どこに行っても接客業っぽく、丁寧。
そこもそうだったし、児童書架の近辺はチューリップの折り紙がつるしてあった。
昨日行ったら、それが鯉幟に変わっていた。
そういうところはとても素敵だし
駅ビルの中に入っていて綺麗なのだけれど
蔵書の量や種類はいまいち。市内の図書館と相互に融通してはいるものの
全体量が少ないので、自分の借りたい物がどうもない。
多分それは、ネット上の予約ではなくて
書面にしてリクエストとして提出すれば買ってもらえるのだと思うので
まぁいいのだけど。
ちょっと気になるのが、本の汚さなのだ。
随分前に、雨が降り出したばかりのとき図書館へ行き
折りたたみの傘を持っていてさしていたのだけど
まだ傘立てが出おらず、いつも傘立てがある玄関付近に傘を置いて
返却だけして帰ろうとしたとき
数分もたっていなかったのに、傘が盗まれてしまってたことがある。
別に思い出がある訳でもない500円の安物だったけど、
何がびっくりって、借りた物を返す図書館という場所を利用している人が
いくら突然の大雨でびっくりしたからって
人の物、濡れたての傘を、持って帰っちゃうっていうのが信じられなかった。
その図書館はその後段々と貼り紙や注意書きがうるさくなった。
いつまでも借りた本を返さないとか、盗んじゃうとか
借りたCDを故意に割ったり傷つけたり(なぜ?)という事件が
多発したらしい。
とても悲しいことだと思う。
今通い出した図書館は、まだ二度しか利用していなくて
読んだ本も三冊だけなのだけど、
そのどれもが汚れている。
1冊目は中身が3ページくらい、べりべり下から三分の一破れていた。
ちゃんと補修もしてあったのだけれど
装丁を保護するとき補助に使うマスキングみたいなテープで
中のページまで貼ってしまっているから、半透明なので文字が読みづらくなっており
しかも埃をまきこんだまま貼っていて
びっくりするほど見た目が汚かった。
2冊目は、なんだか湿った後乾いていて
ページを開こうとする度ぺりぺり音がした。
ひどいところは破れていた。
3冊目は、酷い染みがあった。
クレヨンみたいな、多分化粧品の、紫色の汚れで
うっかり擦ってそのあとまぁいいやと拭きもせず閉じて
裏や反対側のページにまで写ってしまっていた。
たまたま運が悪いだけならそれでいい。
いろんな人が利用しているから、本を愛している人だけではない。
でも、わざわざ足を運んで利用者カードを作って借りてまで
本を読みたい人なのだから、一定以上の愛があると信じたいのだけど
3冊中3冊がこのありさまなので、ちょっと不安になってしまった。
私は幼稚園の頃から図書館を利用しているけれど
ちょっと潔癖症の母に、
「誰が触ったかわからないから」
と、本をベッドに置いたり寝ながら読むのはやめるように言われた。
実際、ゴミとか汚いものが挟まっていることもあった。
けどそれ以上に、綺麗に読んであったり
丁寧に扱っているのにうっかり破ったり汚してしまって
そこを一生懸命補修してあったりする古い本とたくさん出会って
そこには作者や出版にかかわった人だけでなく
いろんな人の思いがのっていたと思う。
「みんなが使うものなのだから」
と丁寧に扱い、期限内に返却する、ということも教えてもらって
それを当然だと思っていて、それも本を買って読むだけでは得られないことだと思う。
私が小さいときは、今みたいにネットがあったわけでもなかったから
自分の感想を人に伝える、ということが知り合いにしかできなかったけど
たまに、紙に感想が書いてあって栞みたいに最後のページに挟まっていたりした。
あの時代の良さだったと思う。
たとえば、ジブリの耳をすませばの図書カードもそうだけど
そういう、人の手から人の手へ渡るからこその良さがあった。
貸本というのはもう随分と昔からの日本の文化なのだから
消費社会に溺れることなく、丁寧に使い、返し、そうやってまわっていく
こんなことも、ちゃんと大切にしていくべきだと思った。
お気に入りだった図書館が、仕事を変えたらちょっと遠くなって不便になり
地元の図書館に先週初めて行った。
最近の図書館は民間委託しちゃってることが殆どで
職員さんは大概どこに行っても接客業っぽく、丁寧。
そこもそうだったし、児童書架の近辺はチューリップの折り紙がつるしてあった。
昨日行ったら、それが鯉幟に変わっていた。
そういうところはとても素敵だし
駅ビルの中に入っていて綺麗なのだけれど
蔵書の量や種類はいまいち。市内の図書館と相互に融通してはいるものの
全体量が少ないので、自分の借りたい物がどうもない。
多分それは、ネット上の予約ではなくて
書面にしてリクエストとして提出すれば買ってもらえるのだと思うので
まぁいいのだけど。
ちょっと気になるのが、本の汚さなのだ。
随分前に、雨が降り出したばかりのとき図書館へ行き
折りたたみの傘を持っていてさしていたのだけど
まだ傘立てが出おらず、いつも傘立てがある玄関付近に傘を置いて
返却だけして帰ろうとしたとき
数分もたっていなかったのに、傘が盗まれてしまってたことがある。
別に思い出がある訳でもない500円の安物だったけど、
何がびっくりって、借りた物を返す図書館という場所を利用している人が
いくら突然の大雨でびっくりしたからって
人の物、濡れたての傘を、持って帰っちゃうっていうのが信じられなかった。
その図書館はその後段々と貼り紙や注意書きがうるさくなった。
いつまでも借りた本を返さないとか、盗んじゃうとか
借りたCDを故意に割ったり傷つけたり(なぜ?)という事件が
多発したらしい。
とても悲しいことだと思う。
今通い出した図書館は、まだ二度しか利用していなくて
読んだ本も三冊だけなのだけど、
そのどれもが汚れている。
1冊目は中身が3ページくらい、べりべり下から三分の一破れていた。
ちゃんと補修もしてあったのだけれど
装丁を保護するとき補助に使うマスキングみたいなテープで
中のページまで貼ってしまっているから、半透明なので文字が読みづらくなっており
しかも埃をまきこんだまま貼っていて
びっくりするほど見た目が汚かった。
2冊目は、なんだか湿った後乾いていて
ページを開こうとする度ぺりぺり音がした。
ひどいところは破れていた。
3冊目は、酷い染みがあった。
クレヨンみたいな、多分化粧品の、紫色の汚れで
うっかり擦ってそのあとまぁいいやと拭きもせず閉じて
裏や反対側のページにまで写ってしまっていた。
たまたま運が悪いだけならそれでいい。
いろんな人が利用しているから、本を愛している人だけではない。
でも、わざわざ足を運んで利用者カードを作って借りてまで
本を読みたい人なのだから、一定以上の愛があると信じたいのだけど
3冊中3冊がこのありさまなので、ちょっと不安になってしまった。
私は幼稚園の頃から図書館を利用しているけれど
ちょっと潔癖症の母に、
「誰が触ったかわからないから」
と、本をベッドに置いたり寝ながら読むのはやめるように言われた。
実際、ゴミとか汚いものが挟まっていることもあった。
けどそれ以上に、綺麗に読んであったり
丁寧に扱っているのにうっかり破ったり汚してしまって
そこを一生懸命補修してあったりする古い本とたくさん出会って
そこには作者や出版にかかわった人だけでなく
いろんな人の思いがのっていたと思う。
「みんなが使うものなのだから」
と丁寧に扱い、期限内に返却する、ということも教えてもらって
それを当然だと思っていて、それも本を買って読むだけでは得られないことだと思う。
私が小さいときは、今みたいにネットがあったわけでもなかったから
自分の感想を人に伝える、ということが知り合いにしかできなかったけど
たまに、紙に感想が書いてあって栞みたいに最後のページに挟まっていたりした。
あの時代の良さだったと思う。
たとえば、ジブリの耳をすませばの図書カードもそうだけど
そういう、人の手から人の手へ渡るからこその良さがあった。
貸本というのはもう随分と昔からの日本の文化なのだから
消費社会に溺れることなく、丁寧に使い、返し、そうやってまわっていく
こんなことも、ちゃんと大切にしていくべきだと思った。
2011.04.26 Tue
私は朝、新宿駅で電車を乗り換える。
私鉄やJRや地下鉄や、いろんな路線があって
学校や仕事やいろんなところに向かう人たちで溢れている。
乗り換えをするときとても難しいのが、横切ることだ。
改札から入ってくる人、出て行く人
埼京線に乗る人、売店へ向かう人
やなんかの流れをぶったぎって真横に歩いて山手線のホームへ通じる階段を上らなければならない。
横切るのが難しいのは人が多いからというより
みんなが自分の見たいものしか見ていないからだ。
それは行きたい場所だったり、携帯の画面、DSのモニターだったりもする。
それしか見ていないから、見たいもの以外の障害物が入ってくると邪魔でしか無くて
思い通りに歩いて行けなくなったので舌打ちをする。
それぞれが真っ直ぐ歩いて行こうと必死で、苛々が溢れている。
肩がぶつかって、ごめんなさいじゃなく
舌打ちをしたり無視したりするのが、田舎者の私には不思議で仕方ない。
けれど、ここは都会だから事情が違うということはわかっている。
人が多すぎるのだ。いちいちかまっている暇がない。無意識に他人を消して生きている。
通行人だけじゃない、ビラ配りの人やホームレスの人、酔っぱらいの人
コンタクトを落として困っている人やなんかだ。
無視することに違和感のある田舎者な私だけれど
本当は東京者だって、みんな元はどこかの田舎者なはずなのに。
もし生粋の江戸っ子なら、逆にますます無視なんてしないだろうし。
もったいないなぁと感じる。
ちょっと立ち止まったり、数センチ良ければ
お互い快く歩けることなのに。
電車に乗ったり降りたりするときもそうだ。
降りる人が降りてから、と車掌さんが言っていても
その何十秒かが待ちきれなくて降りる人を押しのけて乗ってきてしまう。
座りたくてその席しか見えて無くて
ぶつかっても気にしないし、先着されるといらっとする。
きっと、とてももったいないことを私たちはしている。
こんなにたくさんの人がいるからこそ
ちょっとの工夫でもっといろんなすごいことが出来そうなものなのに
たくさんの人がいることがマイナスに出ているのが、こういう部分なんだろうなと思った。
ちょっとでも東京を居心地良くするために、ゆっくり歩いている。
という文言が、あるエッセイの中にあった。
私は東京という町が嫌いじゃないので
寧ろ好きな部分が多いので
やっぱり居心地をよくするために、ほんの少しゆっくり歩いてみようと思った。
ただし、本当に急いでる人の邪魔にならない程度に。
2011.04.25 Mon
昨日はとても久し振りに図書館へ行った。
節電の影響で、17時に閉館してしまっているので、平日に行けなくなってしまったので
日曜日に時間を作って犬の散歩がてら無理矢理出掛けていった。
私が図書館が好きなのは、貧乏性で本好きだから
ただで好きなだけ本が読めるから、というのもあるのだろうけど
地元にあって小さい頃から通ったあの図書館のせいでもあるのだろうと思う。
古い大きな洋館で、とびきり天井が高くてお洒落で
それでいて地下の児童用のフロアには
古びた手洗い用の水道があって
漆喰の壁に
”オテテハキレイニアライマセウ”
なんて刻み込まれていたあの図書館。
古書の匂いと、古い建材の匂い。
残念ながら、あの素敵な図書館はもうなくなってしまったらしい。
昨日行った図書館も、近代的なビルの2フロアを使った図書館だけれど
どこでも紙の匂いは同じだ。
それは、私をとても落ち着かせる。
新しい本を開拓しよう! というほど前向きな気持ちは
残念ながら落ちている時期なのでわいてこなかったので
お気に入りの作家の、まだ読んだことのないハードカバーを一冊だけ借りてきた。
今朝はそれを読みながら通勤した。
”知っている”人が今この世界に
同じ時代にちゃんとこうしているのだ。
それに温かな喜びと
きっと大丈夫、なんとかなる、という
ささやかでも前向きな気持ちが貰えるエッセイだった。
貰っているだけではいけない。
インプットしたならアウトプットしなくては。
さぁ、行こう。
ちょっとでも進もう。
2011.04.13 Wed
試写会に当選した為、ニッショーホールまで観に行った。
内容を全く知らず、映画のパート1は勿論、漫画からアニメから何も接していなかったので
流石にこの映画だけでは意味のわからないところが多かった。
wikiで確認したところ、原作自体は未完であり
当然ながら原作からの改変はいくつか行われているようだ。
となれば、あのラストで『パーフェクトアンサー』とするのも仕方ないのだろう。
ただ、”完全回答”と謳うには中途半端なエンディングではないかと、個人的には思った。
原作はゆびわ星人など、連載漫画ならではのネタが盛り込まれているようだが
全体的にそうした”ノリ”が映画では端折られているように感じ、
笑わせたいのかそうではないのかわからず、歪な印象を受ける箇所がいくつかあった。
ただ、映像は兎に角迫力があったし
松山さんの演技力は特に見物だと思った。
内容を全く知らず、映画のパート1は勿論、漫画からアニメから何も接していなかったので
流石にこの映画だけでは意味のわからないところが多かった。
wikiで確認したところ、原作自体は未完であり
当然ながら原作からの改変はいくつか行われているようだ。
となれば、あのラストで『パーフェクトアンサー』とするのも仕方ないのだろう。
ただ、”完全回答”と謳うには中途半端なエンディングではないかと、個人的には思った。
原作はゆびわ星人など、連載漫画ならではのネタが盛り込まれているようだが
全体的にそうした”ノリ”が映画では端折られているように感じ、
笑わせたいのかそうではないのかわからず、歪な印象を受ける箇所がいくつかあった。
ただ、映像は兎に角迫力があったし
松山さんの演技力は特に見物だと思った。
2010.12.15 Wed
天気予報よりも雨がやむのが遅くて
雲も多くて、ちょっと心配だったけれど
夜には晴れたのでふたご座流星群を観測に。
都内でも普通に見えた。
暗いところを求めて最寄丘陵へ行ったものの
あまりの寒さで靄が。^^;
それでも晴れ間があったので見られましたが
あまりの寒さでマックへ避難。(笑)
そんな長時間じゃなかったし、寒かったけど
楽しかった。
翌朝も、朝靄が随分出ていた。
某大橋を移動中冠雪した富士山がくっきり見えた。
山頂付近だけだけれど。
都内から見える事実に、いつ見ても驚くし感動する。
昔は星も富士山も、空気が綺麗だし
町の灯りや建物なんかの障害物がなくて
もっともっと綺麗に見えていたのだろうけど。
今でも、空気中に夾雑物の少ない冬なんかには
こうやって見えたりする。
とても綺麗。
2010.12.08 Wed
2010.12.06 Mon
週末はこの上ない充実した時間を過ごして
昨日日暮れ前に帰って来て
溜まっていた作業をいくつか片付ける。
お風呂に入って、
転た寝もせず仕事作業がしやすいように
いくつかデータ処理もして
iPodに何枚かCDを入れて、
きちんと3時間以上の眠りについた。
横に寝ていた愛犬を抱き締めておはようを言って
シチューとパンの朝食を取って
ランチにサンドイッチを作った。
メールチェックをして
素敵な日記を読んで
iPhoneにデータをいくつか移して
素振りをしてから家を出た。
新しくiPodに入れた曲を聴きながら
iPhoneで作業の続きをしつつの電車の中。
自分では、粘り強くて諦めないタチだと思ってた。
でも、弱気になって諦めることが多かったことに
最近気付かされた。
やりたかったことがたくさんある。
本当はこうしたかったのになって、諦めてたことがいくつもある。
全てが取り返せる訳じゃないけど
取り返せないことばかりでもない。
取り返したくて、もがいてる。
バイクの免許もそのひとつだった。
バイクは、自分一人で一念発起したんだ。
物凄く勇気がいったし、身も心も傷だらけになったけど
本当に免許を取って良かったって思ってる。
でも、今思えばそれが始まりだった。
それで私はここにいて、
諦めるな、焦るなって
傍で言ってくれる人と出会って
少しずつでも、やりたかったように生きてみようって
諦めずに進んでみようって
思える様になった。
ほんとはまだ少し怖い。
でも、きっと大丈夫。
昨日は頑張れた。
今日も頑張ろう。
まだ先は見えないけど、積み上げて行けば
いつかあの空まで届く筈。
焦ってしまうけど。
ひとつひとつ。
2010.12.03 Fri
フロアは同じだけれど別の部署の社員さんとトイレで出会
い。
彼女は2年目。若くて見た眼も性格も可愛くて
とても大好きな女の子。
でも、仕事もかぶらないのでそんなに話したことは無い。
なのに彼女が、
「sayさん辞めちゃうんですか?」
って話しかけてきてくれて。
そうですーと答えたら
「えー。そんなぁ。うー」
と袖をひっぱられました。
うあー。かーわーいー。(笑)
寂しいと言ってくれるとは思わず、とても萌えた。
あぁ、かわゆす。
「残り少ないですが宜しくお願いします」
と頭をさげられました。
あう。私の台詞でつ。
頭下げ合った後に、「うー」と駄目押しの泣き。(笑)
社交辞令だとしてもかわゆすぎる!
嬉しすぎる!
そんな夕方。