ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2011.04.26 Tue
私は朝、新宿駅で電車を乗り換える。
私鉄やJRや地下鉄や、いろんな路線があって
学校や仕事やいろんなところに向かう人たちで溢れている。
乗り換えをするときとても難しいのが、横切ることだ。
改札から入ってくる人、出て行く人
埼京線に乗る人、売店へ向かう人
やなんかの流れをぶったぎって真横に歩いて山手線のホームへ通じる階段を上らなければならない。
横切るのが難しいのは人が多いからというより
みんなが自分の見たいものしか見ていないからだ。
それは行きたい場所だったり、携帯の画面、DSのモニターだったりもする。
それしか見ていないから、見たいもの以外の障害物が入ってくると邪魔でしか無くて
思い通りに歩いて行けなくなったので舌打ちをする。
それぞれが真っ直ぐ歩いて行こうと必死で、苛々が溢れている。
肩がぶつかって、ごめんなさいじゃなく
舌打ちをしたり無視したりするのが、田舎者の私には不思議で仕方ない。
けれど、ここは都会だから事情が違うということはわかっている。
人が多すぎるのだ。いちいちかまっている暇がない。無意識に他人を消して生きている。
通行人だけじゃない、ビラ配りの人やホームレスの人、酔っぱらいの人
コンタクトを落として困っている人やなんかだ。
無視することに違和感のある田舎者な私だけれど
本当は東京者だって、みんな元はどこかの田舎者なはずなのに。
もし生粋の江戸っ子なら、逆にますます無視なんてしないだろうし。
もったいないなぁと感じる。
ちょっと立ち止まったり、数センチ良ければ
お互い快く歩けることなのに。
電車に乗ったり降りたりするときもそうだ。
降りる人が降りてから、と車掌さんが言っていても
その何十秒かが待ちきれなくて降りる人を押しのけて乗ってきてしまう。
座りたくてその席しか見えて無くて
ぶつかっても気にしないし、先着されるといらっとする。
きっと、とてももったいないことを私たちはしている。
こんなにたくさんの人がいるからこそ
ちょっとの工夫でもっといろんなすごいことが出来そうなものなのに
たくさんの人がいることがマイナスに出ているのが、こういう部分なんだろうなと思った。
ちょっとでも東京を居心地良くするために、ゆっくり歩いている。
という文言が、あるエッセイの中にあった。
私は東京という町が嫌いじゃないので
寧ろ好きな部分が多いので
やっぱり居心地をよくするために、ほんの少しゆっくり歩いてみようと思った。
ただし、本当に急いでる人の邪魔にならない程度に。
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