ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2008.04.09 Wed
AIRさんの『Only Just』という曲に
これから先はもう これ以上悲しみに溢れる
ことは一生ない それを既に経験すれば
っていう歌詞があったんですよね。
なんて後ろ向きに前向きな。と思ったんですけど。
この逆もあるんだなって思ったりもして。
『冬色ガール』の歌詞まんまじゃんって言ったらそれまでなんですけど
すごく幸せなことを経験してしまうと、それより幸せなことってもうないっていうか
幸せと感じる基準レベルが上がってしまって
まぁ目が肥えちゃうっていうか
そこに戻れないと凄く焦ったり、不幸な気がしてしまうっていうことも、あるんだろうなと。
ここだけはずれたくないなってところがずれちゃうと
全てが色褪せて見えて、特別不幸せでもないはずなのに
なんだかとてつもなく辛い気がしたり、先が見えないような気持ちになったり
多分ね、悔しいんですよ。
自分のこと、語彙力が無い方だとは思わないんだけど。
言葉を尽くしても伝えたい人に伝わらなかったら意味がないし
相手に届かなかったり、向こうが聞く気が無ければそれまでだし。
うまく伝えたかったことが伝えられなくて
できなかったことをこなしている人がいて
同じ人間なのにな。どうしたんだよ。やればできるだろ。
でも今はうまくやれる自信がないよ。 そんな感じ。
悔しいなって、思うことないですか?
そうは言っても、そのときの自分の選択肢が間違っていたとは思わない。
結果が自分の良しとするものとは違って、すごく悔しいんだけど
じゃああのときどうしたら良かったんだろうって思ったら、分からない。
分からないというより、やっぱり間違えてはなかったなって思うんだ。
だから、戻りたいと思う『時間』は無い、のかもしれない。
戻ってもきっと同じだから。自分の選ぶ道は変わらないのだと思う。
それでもいろんな何かの作用で、未来は変わるかもしれないけど。
この先一生このままなら、もう生きていかなくたっていいんじゃないかとか
変な意味じゃないですよ?
でもよく思う。
そうじゃない可能性があると思ってるからここにいるだけで
事実として変わらないって知ってしまったら、もういいかなって思う。
それが事実かどうか、実際に見ないと納得いかない性分だから
占いは嫌いだし、まだここにいるだけ。
ここかな探し、さ。
探しても探しても見つからないなら、あたしたちで作っちゃえばいいんじゃないの?
そんな夢物語を考えることもある。
年甲斐もなく夢見がちかな?
実際に現実にやりだしたら、うまくいかないことなんて
きっと山ほど出てくるだろうけどさ。
でも、探してる時間もったいないし、無いんなら作っちゃえばよくない?
私の創作意欲って、多分いつもこの辺りから出てくる気がする。
高校生のとき友達で、小説を書いている子がいて。
本当は一番好きなのは詩なんだって。
じゃあ詩を書けばいいじゃない?って言ったら、
彼女はランボーを病的に敬愛していて、詩はランボーがいるから
絶対にあの人を越えられるものは私には書けないし、書きたくもないから
だから小説を書くんだって言ってたの。
私には無い発想だったけど、面白いなって思った。
そういう考え方もあるんだなって。
私の場合は、絶対勝てない。
でもいつか、なんとかして勝ってやる!!
て感じかな。
くじけることもあるけどね。
信用しちゃうとぼろぼろ色んなこと話しちゃって
話し過ぎたかなとか
裏切られてへこんだり
いい加減多少学習してはきたけど
『誰にでもある 永遠に誰にも明かさないことも』
ってくるちゃんも言ってるけどね。
私にもあるし。
でも苦しいのじゃないかな。明かしたら楽になることもあるのじゃないかな。
とひとに対しては思うし。
気にしすぎちゃうし
素直になれないし
なりすぎてもまずいし
ホールで会った社員さんに昨日、
「今日もAIR聴いてるの?飽きない?」
って言われました。
AIRだけ聴いてるわけじゃないけど。好きなのはくるだけだから。
「飽きませんよ~☆」
って答えたけど。
ほんとは飽きるとか全然わかんない。
好きなものにはすごく執着するし、大事に思うし、好きな気持ちはやっぱり変わらないから
飽きるってなに?
質問の意味がほんとはわからない。
なんかそんなことをつらつらと。
考えている今日この頃。
桜はすっかり散っちゃったけど。
線路脇の菜の花がとても綺麗です。
そうそう。NEROにも菜の花って出てきましたよね。
あの歌はくるちゃん本人が、土砂降りの雨の中でギターを弾いてるイメージって言っていて
そのイメージばかりが残ってましたよ。
ふんわりした桜色も綺麗だけど
緑の中に鮮やかな黄色を放つ菜の花も綺麗。
たんぽぽもそろそろ咲きますね。
春なんだな。
これから先はもう これ以上悲しみに溢れる
ことは一生ない それを既に経験すれば
っていう歌詞があったんですよね。
なんて後ろ向きに前向きな。と思ったんですけど。
この逆もあるんだなって思ったりもして。
『冬色ガール』の歌詞まんまじゃんって言ったらそれまでなんですけど
すごく幸せなことを経験してしまうと、それより幸せなことってもうないっていうか
幸せと感じる基準レベルが上がってしまって
まぁ目が肥えちゃうっていうか
そこに戻れないと凄く焦ったり、不幸な気がしてしまうっていうことも、あるんだろうなと。
ここだけはずれたくないなってところがずれちゃうと
全てが色褪せて見えて、特別不幸せでもないはずなのに
なんだかとてつもなく辛い気がしたり、先が見えないような気持ちになったり
多分ね、悔しいんですよ。
自分のこと、語彙力が無い方だとは思わないんだけど。
言葉を尽くしても伝えたい人に伝わらなかったら意味がないし
相手に届かなかったり、向こうが聞く気が無ければそれまでだし。
うまく伝えたかったことが伝えられなくて
できなかったことをこなしている人がいて
同じ人間なのにな。どうしたんだよ。やればできるだろ。
でも今はうまくやれる自信がないよ。 そんな感じ。
悔しいなって、思うことないですか?
そうは言っても、そのときの自分の選択肢が間違っていたとは思わない。
結果が自分の良しとするものとは違って、すごく悔しいんだけど
じゃああのときどうしたら良かったんだろうって思ったら、分からない。
分からないというより、やっぱり間違えてはなかったなって思うんだ。
だから、戻りたいと思う『時間』は無い、のかもしれない。
戻ってもきっと同じだから。自分の選ぶ道は変わらないのだと思う。
それでもいろんな何かの作用で、未来は変わるかもしれないけど。
この先一生このままなら、もう生きていかなくたっていいんじゃないかとか
変な意味じゃないですよ?
でもよく思う。
そうじゃない可能性があると思ってるからここにいるだけで
事実として変わらないって知ってしまったら、もういいかなって思う。
それが事実かどうか、実際に見ないと納得いかない性分だから
占いは嫌いだし、まだここにいるだけ。
ここかな探し、さ。
探しても探しても見つからないなら、あたしたちで作っちゃえばいいんじゃないの?
そんな夢物語を考えることもある。
年甲斐もなく夢見がちかな?
実際に現実にやりだしたら、うまくいかないことなんて
きっと山ほど出てくるだろうけどさ。
でも、探してる時間もったいないし、無いんなら作っちゃえばよくない?
私の創作意欲って、多分いつもこの辺りから出てくる気がする。
高校生のとき友達で、小説を書いている子がいて。
本当は一番好きなのは詩なんだって。
じゃあ詩を書けばいいじゃない?って言ったら、
彼女はランボーを病的に敬愛していて、詩はランボーがいるから
絶対にあの人を越えられるものは私には書けないし、書きたくもないから
だから小説を書くんだって言ってたの。
私には無い発想だったけど、面白いなって思った。
そういう考え方もあるんだなって。
私の場合は、絶対勝てない。
でもいつか、なんとかして勝ってやる!!
て感じかな。
くじけることもあるけどね。
信用しちゃうとぼろぼろ色んなこと話しちゃって
話し過ぎたかなとか
裏切られてへこんだり
いい加減多少学習してはきたけど
『誰にでもある 永遠に誰にも明かさないことも』
ってくるちゃんも言ってるけどね。
私にもあるし。
でも苦しいのじゃないかな。明かしたら楽になることもあるのじゃないかな。
とひとに対しては思うし。
気にしすぎちゃうし
素直になれないし
なりすぎてもまずいし
ホールで会った社員さんに昨日、
「今日もAIR聴いてるの?飽きない?」
って言われました。
AIRだけ聴いてるわけじゃないけど。好きなのはくるだけだから。
「飽きませんよ~☆」
って答えたけど。
ほんとは飽きるとか全然わかんない。
好きなものにはすごく執着するし、大事に思うし、好きな気持ちはやっぱり変わらないから
飽きるってなに?
質問の意味がほんとはわからない。
なんかそんなことをつらつらと。
考えている今日この頃。
桜はすっかり散っちゃったけど。
線路脇の菜の花がとても綺麗です。
そうそう。NEROにも菜の花って出てきましたよね。
あの歌はくるちゃん本人が、土砂降りの雨の中でギターを弾いてるイメージって言っていて
そのイメージばかりが残ってましたよ。
ふんわりした桜色も綺麗だけど
緑の中に鮮やかな黄色を放つ菜の花も綺麗。
たんぽぽもそろそろ咲きますね。
春なんだな。
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