ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2009.05.05 Tue
昨日・今日と、おやすみなので
まとめて図書館から借りてきた本を
黙々と読んでいます。
今三冊目。
前から読みたかった、真保裕一さんの『覇王の番人』
も読みました。
覇王というのは織田信長のことで、
番人とは明智光秀のこと。
本能寺の変について、私は常々疑問がありました。
本当に気が触れたり野心で裏切りをしたのだろうかと。
以前NHKだったかな? テレビでも、数々の不審点を並べていて
私にはどうしても、明智光秀が
主君を裏切り三日天下に心を酔わせた謀反人とは
思えなかったのです。
そんな私は、真保さんなら必ずや
そいういった疑念を消化し、人心に沿い
史実にも沿った上でロマン溢れるミステリーに仕立ててくれるだろう
と期待して読みました。
期待通りでした。
勿論、明智さんが最後には本能寺の変を起こし
信長を討ち取り、秀吉に討たれることは
史実として知っているので、読み進めることは辛くもありましたが
フィクションなので、それだけには終わっていません。
史実から考えて全く無理ではないフィクションぶりが
流石真保さんで
これが事実だったのではと半ば本気で思いました。
そこには救いがありました。
歴史は勝者が語るもの。
なればこそ、史実こそが作り話かもしれない。
後世の我々は、多くの知る手段も持ち合わせています。
まずは知り学ぶことが、とても大事だと改めて思いました。
たとえば
某SNSでもし読んでくれている人がいたなら
もう知っているかもしれませんけど
安政の大獄のイメージばかりがつきまとう井伊直弼が
昨今の政治家には到底なさそうな
先を見通す目と機転を持った賢く立派な人だったこと
人斬りと名高い岡田以蔵がどれだけ上司に尽くし
果てに見捨てられたかということ
まぁ南京やパールハーバーだってそうですよね。
事実だとされていることも、人が伝えたこと。
人は多くの場合、冷静に公平に見ることが出来ず
自分の立場や利益や感性に任せて伝えることもある。
にもかかわらず、浅はかな知識だけで
批判することで自分が偉いのだと勘違いする人は多い。
せめて批判するなら少しでも調べてからにすればいいと思うのですが。
簡単に調べられるのに、調べもしない。
印象だけで決めてかかり、人を貶める。
事実と真実は違う。
これもよく言われることです。
求める真実は。
***
今ラノベを読んでいます。
あまりのくだらなさに読む気がなくなり
本を閉じたところです。
別にラノベがくだらないのではありません。
この本がくだらないのです。
まぁ、覇王の番人の後じゃ仕方ないかもしれませんけど
この筆者は、フィクションを軽く考えている気がしたのです。
フィクションだから、自分の好きに適当に書けばいい。
ライトノベルだからとそれをするのでは
物書きとしては失格じゃないだろうかと。
必死で真実を得ようと事実とされるものを調べ
考えに考え抜き
悲しい事実に救いを与え
多くが知らないことを知らせ
それぞれが自ら調べ学ぼうとするきっかけとする。
プロになればこそ
好きだから書くだけではなく
商業的な話もからんでくるけれど
プロになった一番の理由は
たくさんの人に聴いてもらいたいから
聴いてもらえるだけの曲
興味をもたれるだけの詞
を作っていたくるの言葉を思い出します。
たくさんの人に読まれるのはただの自己満足か
利益のためか
それとも、伝えたい、伝えるべきことを伝えるためか。
その生き様が問われるのは
戦国時代の武士だけにあらず。
そう思う。
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