ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2006.02.09 Thu
結局一気に読んでしまった。
結論から簡単に言うと、面白い。
気分の良い話ではないし、やりきれなくて悲しいけれど、
どこか前を向いて歩いていけそうなラストなので、
後味が悪くない。
上巻では思ったほど活躍しなかった京極堂、下巻では大活躍です。
堤さんが好きな私としては、かなり映画が見てみたくなりました。
まあ原作に忠実にやっているとしたら、さぞかしものすごい画像になりそうですが…。
中学生の頃NIGHT HEADを読んで、人間の脳とか肉体について
物凄いセンセーショナルで凄く影響を受けたんだけど、
これもまた再びそういうことについて考えさせられる。
京極堂さんが相手によってお祓いの仕方を変えるというのも
凄いけれど実は理に叶った話で、呪いというのは結局はそういものなことが多いのだろう。
小学生の時、テレビで漆にかぶれる人の両腕に、「右は漆、左は水です」と言って
どっちにも水を塗りつけたら、右だけかぶれてしまうというのをやっていたけど
人間ってそういうものなんだと思う。
脳ってなんなんだろう。不思議だ。
いや、不思議じゃないんだろうな。すべては
面白かった。
ネタバレ。
想像妊娠という言葉は聞いたことがあったけれど、
妊娠妄想というのは初めて聞いた。
知らなかった。
うっかり私がここから連想するのは、マリア様だ。
自分の中に生命が宿ったと思い、それが自分に語りかけてくる。
いえいえ、マリア様はちゃんとイエス様を産んだわけで、
語りかけてきたのもイエス様じゃなくて神様なんですけども
だからキリスト教を否定しているわけではないので悪しからず。
ミッションスクール出身だけれど、生徒全員がキリスト教徒かと言ったら
全然そういうことはなくて、むしろそうじゃない人の方が多かったわけなんだけど
オウム真理教が『流行った』時期、うちらは高校生だったのね。
で、ちょっと友達同士で論議になったことがあって。
ある友達が、「キリスト教だってこうだったかもしれない」って言い出したのよ。
「当時こういうマスメディアが発達していなかったから伝わらなかっただけかも」
と。
いや、これもほんとキリスト教を否定してるわけじゃないんですよ?
ただ私はこの意見に、なんというか新しいなと感じたわけ。
今信じている『常識』というものの危うさとか、そういうことかな。
だから、昔に言われている崇りや奇跡も、やっぱりこうして京極堂さんの言うように
答えがあって解明できてしまうのかもしれないな、と思ったのです。
凄いような怖いような、分かりたくないような気もするし。
いやまあ兎に角、凄いなあ。
結論から簡単に言うと、面白い。
気分の良い話ではないし、やりきれなくて悲しいけれど、
どこか前を向いて歩いていけそうなラストなので、
後味が悪くない。
上巻では思ったほど活躍しなかった京極堂、下巻では大活躍です。
堤さんが好きな私としては、かなり映画が見てみたくなりました。
まあ原作に忠実にやっているとしたら、さぞかしものすごい画像になりそうですが…。
中学生の頃NIGHT HEADを読んで、人間の脳とか肉体について
物凄いセンセーショナルで凄く影響を受けたんだけど、
これもまた再びそういうことについて考えさせられる。
京極堂さんが相手によってお祓いの仕方を変えるというのも
凄いけれど実は理に叶った話で、呪いというのは結局はそういものなことが多いのだろう。
小学生の時、テレビで漆にかぶれる人の両腕に、「右は漆、左は水です」と言って
どっちにも水を塗りつけたら、右だけかぶれてしまうというのをやっていたけど
人間ってそういうものなんだと思う。
脳ってなんなんだろう。不思議だ。
いや、不思議じゃないんだろうな。すべては
面白かった。
ネタバレ。
想像妊娠という言葉は聞いたことがあったけれど、
妊娠妄想というのは初めて聞いた。
知らなかった。
うっかり私がここから連想するのは、マリア様だ。
自分の中に生命が宿ったと思い、それが自分に語りかけてくる。
いえいえ、マリア様はちゃんとイエス様を産んだわけで、
語りかけてきたのもイエス様じゃなくて神様なんですけども
だからキリスト教を否定しているわけではないので悪しからず。
ミッションスクール出身だけれど、生徒全員がキリスト教徒かと言ったら
全然そういうことはなくて、むしろそうじゃない人の方が多かったわけなんだけど
オウム真理教が『流行った』時期、うちらは高校生だったのね。
で、ちょっと友達同士で論議になったことがあって。
ある友達が、「キリスト教だってこうだったかもしれない」って言い出したのよ。
「当時こういうマスメディアが発達していなかったから伝わらなかっただけかも」
と。
いや、これもほんとキリスト教を否定してるわけじゃないんですよ?
ただ私はこの意見に、なんというか新しいなと感じたわけ。
今信じている『常識』というものの危うさとか、そういうことかな。
だから、昔に言われている崇りや奇跡も、やっぱりこうして京極堂さんの言うように
答えがあって解明できてしまうのかもしれないな、と思ったのです。
凄いような怖いような、分かりたくないような気もするし。
いやまあ兎に角、凄いなあ。
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