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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.11.22 Fri
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2005.12.01 Thu
繋がれた明日
繋がれた明日
真保 裕一

読んでいて、何度も涙が出そうになった。
なんてひどい、という涙と
なんて素晴らしい、という涙。
扱っているのは少年の殺人、主人公はその犯人の少年、
という小説だ。
以前酒鬼薔薇事件をモデルにして、犯人の家族を主人公にして
書かれた小説を読んだことがある。
(タイトルも筆者も失念しているのだが)
それはそれでもちろん良かったのだが、それに比べて人の温かみをより感じた。

以降ネタバレ。





被害者の親が最後まで主人公を許さないというのも
嘘っぽくなくて良かった。
最後に主人公が刺されるというのも、そのせいか可笑しく感じない。
主人公が抱く被害者や目撃者への思いも、正直納得のいくものだった。
もちろん、殺された側にしたらもう犯人を
何度も殺してやりたいと思うだろう。
が、逆にこの主人公のように、売られた喧嘩で弾みで殺してしまって、
自分が殺人犯として受刑し、家族まで白眼視されるというのはやはり辛い。
日野が言っていたことと同じだ。どちらも理解できる感情だ。
世間から爪弾きにされ、被害者の遺族から糾弾され、
ちょっと待て、被害者だって非はあったんだぞ!
と思うのも素直な気持ちだと思う。


ラストで、母娘は迎えにきているだろうと思ったが、
会社の人まで来てくれているとは思わず、つい泣けてきた。
隆太もそうだったろう。
加害者の家族も被害者なのだ、とはよく聞く。
が、これを読んで加害者も被害者たりうるということに気が付いた。
もちろん死刑に値する加害者もいる。
(私は死刑賛成派だ。場合によっては公開処刑も必要ではと思うこともあるくらいだ。
被害者の家族が、もういいですよ、と言ったら許してやるとかでいいのでは
と思っている)
ただ、やはり本当に反省してやり直す気のある人間を
邪魔するほど私たちは正しいのかととても思う。
聖書にある。人に石を投げている人間たちに向かってイエスが言う。
罪を犯したことの無い者がこの中にいるなら、その者だけ投げなさいと。
隆太や繁樹のような元受刑者を見て、被害者の関係者でもない自分は
本当に許せないものなのだろうか。怖がってしまうものなのだろうか?
そんな経験が無いのでなんとも言えないが。
デスノートのキラじやないが、殺された方が悪い、過失で殺してしまった、
という場合なら、そこまで怖いと思わないような気がするのだけれど、
甘いのだろうか。

しかしこの、本当に反省しているのかどうか、というのを
見極めるのが非常に難しいし、誰がどう見極めるのか問題である。
人が人を裁くというのは、やはり難しいことなのだ。

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