ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2008.11.05 Wed
開戦3日もすれば、100m以遠の空爆に無関心になるほどの頻繁な空爆。
あまりに多すぎて空襲警報すら鳴らなくなるほどで
ホテルに飯も無くなる。
そんな状況、信じられるか。
ただの一度も戦争を経験したことのない自分には、
あまりに非日常に感じられて想像することすら難しい。
写真集とも言うべき大判の本で、写真がたくさん載っている。
テレビでは到底目にすることの出来なかった生々しい写真たち。
さっきまで自分がいた場所が空爆され破壊されたり
一瞬で知人が血の海に浮かぶ肉片に変わる。
あまりの『真実』がそこには映し出されていた。
きちんと写真を撮りたいけれど、三脚に起望遠を使うと
銃座に間違われるかもしれないからやらないという
そんな環境と経験。
市民の略奪や放火。官庁や図書館までが灰と化す。
宮嶋氏が書いておられる通り、当然国民性もあるのだろうが
それにしても自分には想像もつかない状況だ。
当時大手報道は軒並み社命に従い避難した。
安全圏から、アメリカが操作して流す情報だけど報道として流した。
その上現地に残っていた彼らフリーのカメラマンやジャーナリストたちを
「自己責任」などと非難した。
報道人として間違っているのは果たしてどちらなのだろう。
そんな「『報道』をするな」という社命を守るくらいなら
会社を辞めてバグダッドへ行く
ぐらいの気合の入ったやつはいないのか、という宮嶋氏の発言は尤もと思ったし
実際に信濃毎日の記者が辞表を書いた上で入ったというのは
この本で初めて知り、驚いた。
しかしそれが本来の『報道』というものなのではないだろうか。
カメラマンは現場で写真を残してこそ
この言葉は深く響いた。
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