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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.11.21 Thu
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2006.08.17 Thu
子供向けファンタジーの金字塔というには血腥い事件が多すぎる。
血が流れること自体がファンタジーらしからぬ、と言うつもりはない。
『はてしない物語』ではバスチアンがアトレーユを刺したし、
『ゲド』でもテナーは血腥い儀式をしていた。
『指輪物語』でもフドロの指は食い千切られるし、
FFXだってシンに多くの人が殺される。
でも、例えば今上げた四つの物語は、それでもファンタジーだ、と思う。
幻界に現界のものを持ち込んではいけない、なんて言いつつ、
一番持ち込んでいるのはこのストーリーの組み立て方じゃないんだろうか。
まぁそこは、幻界と現界つながってて似て非なる物、なんて言い分けが設定としてあるわけだけども。
宗教戦争、殺人事件、汚職、差別…現実のことが、単純にファンタジーの形を借りて
違う形でただあるだけで、「どこもそんなもん」ってもっともらしくまとめているけど
幻界には幻界という世界があり、幻界の日常がある。そこに厚みを持たせてくれないと。
いや、設定はちゃんとしてあるっちゃしてあるんだけどねぇ…
例えばFFXのティーダなんて、ある意味旅人だったけど、
彼が語るザナルカンドはワタルやミツルの持ち出す現界ほど嫌味じゃなかった。
ああ、そう言えばってこれいろいろネタバレですけど。

そう言えばティーダも、旅をするうちスピラに魅せられて、スピラの仲間に魅せられて、
自分がザナルカンドへ帰ることよりスピラを守ることに傾いて、
それが自分がザナルカンドへ帰ることに結局はつながるんだよね。
まあ平和に穏当に「帰れた」わけじゃないけど。
旅と言ったら、はてしない物語のアトレーユの初期の旅だって、
バスチアンを連れてくるため=ファンタージェンを救うため の旅だったなぁ。

ところどころじんとくるところが無いわけじゃないんだけど、
それを忘れるほどにえ?と思うことがある。
父とその不倫相手にそっくりな人を殺してしまうとか、(幻覚らしいけど)
司教を殺してしまうとか(間接的にだけど)
小学生がだよ?それもワタルという所謂いい子が。
で、気に病んでる描写はあるもののそれだけだ。
更にミツルなんて…だし。いくら現代の子供が、人は死んでも生き返る
と思っているとしても、いくらなんでもこれはなあ…と思う私は性善説なのか?
真っ当な人間なら、人の大量な血を見ただけでもっと動揺してもいいと思うんだけど…。
コナンくんや少年探偵団が、毎回死体を見つけても冷静なのと同じか?(笑)
でもだとしたら、やっぱりファンタジーじゃなくミステリーじゃないのか。
いやそういう区分けにこだわるわけじゃないけど、ファンタジーというものに
自分が思い入れがあるせいか、宮部さんがというかこれを持ち上げてる周りに
不快感を感じるなあ。
ファンタジー要素は全て借り物で、現実世界のことを、ファンタジーの設定で
いろんなゲームとかお話の切り貼りで、出来ているような気がしてしまう。

それに、ミツルに先を越されそうだからってあっさり旅を諦めるってのが
は???って思って、あまりには?って呆れてしまったので
三人の落ち込みもカッツの語りにも感情移入が出来なかった。
先越されそうだからって、どっちが人柱か関係なく、宝玉捜さない?
探せばお母さんにまた会えるんだし。人柱になるなら尚更でしょう。

カッツを殺してロンメルさんが人柱なのも意外だったし、
(ロンメルのカッツが生まれ変わって云々って言い草は感動したけど)
ミツルもだし、なんで幻界にミツルの妹が迎えに来るんだろうって疑問。
それにワタルのお願いも、あれでよかったのかな…。

話が逸れるようだけど、私は宮沢賢治が大好きだ。
でも一点相容れないなと思うのは、「世界全体が幸福でないうちは…」ってやつ。
だって、すべての人がみんな幸せな状態って、理想だけれどありえないもの。
田中理香子と三谷明と、ワタルとワタルのお母さんの幸せは
両立しないよね?自分の幸せが誰かの不幸と表裏一山一体になってることってあるじゃない。
実はそんなのばっかりかもしれない。
そしたら、この四人が少なくとも同時に幸せになることはないよね。
少なくとも、平穏無事に家庭生活を、ということが四人の幸せなら。
お母さんか理香子と三谷明が諦める、譲歩する、ということが必要になってくる。
だから単純に女神様の前で、みんなの幸せを、僕に力を、とは確かに
ワタルは願えないのかもしれない。
だけど、未来を、というのも同じ位抽象的にも思える。

そして、この幻界で女神様が神のように、物語の世界では筆者が神だ。
その中で起こることは筆者の裁量で、過酷な運命も幸せな境遇も、筆者が与えるもの。
与えられる側からすれば、傍から見ている者からすれば、不必要だったり
不平等に感じることもあるものだ。
カッツの死は必要だったのだろうか。
ワタルは強くなった、でハッピーエンドなの?
偽物の涙の水、だっけ?あれで死ぬ人がでちゃう事件は?
ファンロンだってどうなったわけさ。
で、どれくらいの期間行方不明になっていたことにするんだか、と思ってたら
あっさりと目が覚めたらミツルに起こされる前と同じ時間。
誰も行方不明になっていない。
え?人柱は?旅人の。半身は?ミツルに決まって、で?ワタルたちの目の前から
いなくなったっていうだけの話なわけ?
現実は何も変わらないし、幻界の人とはもう会えないけど、旅をして
ワタルは強くなりました、でハッピーエンド??
まぁうまくやったら映画確かに感動的な仕上がりになってそうだけどさぁ。
これって宮部みゆきの看板があるからみんな持て嚇してるだけじゃない?
素人がこういう話書いて文学賞にでも出したら、賞はもらえるかもしれないけど
ぼろくそ言われそう。
人柱の話だって矛盾してるのに、矛盾してるけど現実世界にもそういうことって
あるよね?ってこと?

面白くなかったとはいいません。
感動もしたよ。
だけどファンタジーというには矛盾と残酷さが多すぎて、
しかもいろんなファンタジーといわれるゲームや本からの借り物の切り貼りで
設定ができている気がする。全部どっかで聞いた話だもん。
なんか違うよなあ…。

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