ばななさんのエッセイを読んでいて
幼かった時の自分の辛かった思い出があって、
つい最近それが報われた出来事があったので
あの頃の私に、「必ず報われるから頑張れ」って言ってあげたいと思った。
それとは逆に、未来の私が今の私にエールを送っていることがあるのかも。
というのがあって。
なんとなく、その考え方はいいなと思った。
私は時々、急に周りの空気がざわっと変わって澄んで
目が急に良くなったみたいに
寝ていたのが覚めたみたいに、急に景色が生々しく
はっきりと見える時がある。
そういうとき、
ここで確かにちゃんと生きてるんだからこの感覚を大事にして、
もっと丁寧に生きていかなくちゃいけないな
って再確認するのです。
(まぁ長続きはしないんだが。(-"-;))
別にオカルト趣味な訳じゃなくてさ。
そういう感覚になるときって
過去の自分とか未来の自分が、作家さんの言葉を借りるならエールを送ってくれているのかもな なんて思って。
自分じゃなくても、誰か大切な人が私を思いだしてくれたのが
なんとなくでも届いたのかもなって。
他人のイメージってちょっと無責任で
思い描いてたのと違うなんてけなされても
私は元からこうだし。なんてこともあるけれど
それはお互い様な部分もあるだろうし
他人のイメージのお蔭で自分が成長出来ることもあるし
何気ないたった一言で笑顔になれるし
超能力までいかなくても、人の念ってあると思う。
念ずれば通ずって言うしね。
そもそも記憶とかも電気信号なんだから
携帯なんかの電波と一緒で、人の気持ちが空を飛んで行っても
科学的にも可笑しくない気もする。
電波と伝播って同じ音だな。そう言えば。
いつかの私や、大事な誰かが送ってくれたエールが
どんな形であれ届くのだとしたら
やっぱりちょっと素敵かもしれない。
『歳を取るのは思い出を積み重ねること』って言葉もあって。
そう言い換えるなら、確かに歳を取ることは
そんなに悪いことじゃない。
どうしようもなく辛いことってあるし、この先もあるだろうけど
『最善ではないが、最悪でもない』。
悪くない。
***
些細な一言を
そっとを拾い集めて積み重ねていくように大事にして
幼い時に宝箱に入れた、小さくてくだらなくて
とても大切だった宝物たちを
度々取り出しては眺めてみるように
見るたびに、目が覚める。
頑張ろう。
生きているのだから。存在しているのだから。
頑張ろう。
今日は月曜日。
一週間また、頑張ろう。