マイミクさんの日記にコメントした時のレスを見てね。
珍しく乱暴さんと言われて、あらそうかしら? と思いつつ。
非暴力(アヒンサー;अहिंसा)。
ガンジーが唱えたことで、よく無抵抗主義と混同されますが
そうではないのですよね。
私は彼を凄い人だとは思う。
でも、全てが正しいとは思わない。
非暴力で銃を持った人たちに立ち向かうってどういうことなのか。
それは、撃たれても逃げないこと。
仲間がどんどん撃たれて死んでいく。それでも逃げない。
銃口を向けられても目を背けない。
「私の仲間たちで、背中に銃創がある死体があるなら持ってきなさい」
とガンジーは言ったそうだ。
みんな、正面から撃たれて死んでいる。
それは、確かに非暴力で、戦いかもしれない。
でも、私はそんなのは嫌だ。
仲間が死んでいく。自分も死んでいく。
その後の戦いがどうなるか見届けることも出来ない。伝えることも出来ない。
それじゃ守れないと思うんだ。
せめて、誰かの盾になって死にたい。
相手の持っている銃を、撃たれながらでも取り上げて死にたい。
日本という国は、平和と唱えているけれど。
日本には、こういう『非暴力』は無理だと思うんだ。
折鶴を奉げて祈ったって、何も守れないよ。
勿論、その行為自体は否定しないけど。それで伝わる
こともあるかもしれないけど。
無抵抗主義を貫けるなら、それで守れるものはあると思うけど。
それが出来ない日本人の、世界平和への祈りは、とても偽善に見える。
私は嫌なんだ。
いざというとき、守る力はどうしたって必要だと思う。
それと戦争を推奨することとは違うはずなんだけど。
剣の道はさ。
多少流派によっても教えも違うと思うけど。
剣って、人を殺すものじゃない。でもそうじゃないんだよ。
人を守るものなの。
切りかかってくる敵を切ることで自分を守るっていうだけじゃなくてね。
簡単に言うと、自分に力があれば、相手を殺さずに打ち負かすことが出来るかもしれないし
かないっこないと思って戦いすら起きないかもしれない。
そうすることで命を活かすものなんだよ。
言うなれば、抑止力かな。ちょっと違うけど。
だから、力は必要だと思うんだ。
いろんな意味の力が。
力が無いと、命を捨てなければならない局面でも
ただ捨てるしかないかもしれないじゃない。
三島由紀夫は三島由紀夫だから世間を震撼させたわけで。
力があれば、命を捨てなくてもすむ方法が見つかるかもしれないじゃない。
でも、命懸けでやらないとそんな力は手に入らないんだとも思うんだ。
だから何が言いたいかって言うと…
ま、頑張ろうねってことで。