ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2006.05.11 Thu
その1もそうだったけど、ちょっと今の自分には痛い。辛い。
私はどんな匂いがしてるんだろう。
とか、すごくそういうことを考えてしまう。
きっと嫌な匂いをして、変な顔色とオーラを出してるんだろうな。
ストレスを感じている人は、歩いているだけで害を発散する。
絶対、そうだと思う。その逆ももちろんあると思うし。
ピカソの独特の精神エネルギーで、周りの人に影響を及ぼしたと言われてるけど
それはピカソが物凄い人で、エネルギーも強くて、周りの人も意識的にそう思うし
結果も見つけ易いというだけで、人は誰でもそういうものなんだと思う。
例えば朝の満員電車とか、空気が淀んでいる。
人いきれとか溜息とか言い争いとか、そういうものでももちろん、
精神エネルギーっていうとなんか嘘っぽく感じるけど、そういうものでも
空気が濁っていると思う。
寂しさ、おかしさ。ひとりとか都会の生活のそういうところ。
その書き表し方のひとつひとつが、すごいなと思った。
どうして分かっているんだろう、どうして知ってるんだろう、っていう感じ。
人が帰った後の特有の寂しさとか、ぼんやりして境目がなくて
痛みも強くない代わりに喜びも強くない感じ。
感受性が自然の中にいるときの半分でも十分に生きていけてしまう世界。
特に一人暮らしをしていて、新しい生活の中でテレビにはまっちゃう感じと、
商店街の楽しさにすごく共感を覚えた。
私が一人暮らしをしだした頃は、丁度雫石みたいに仕事で忙しかった。
仕事が好きで入れ込んで、それを心配してくれてるのは分かるけどうるさく言われるのが嫌で、
それが一人暮らししたことで誰もそういうこという人がいなくなって解放されて、
泊り込みでも残業でもなんでもします!っていうテンションで、
しかも大好きな文房具や画材で大好きな接客で、オープニングスタッフで
もう大興奮だったから、楽しくて楽しくて仕方なかった。
最初のうちは本当に、テレビも持ってなかったし。パソコンも無かったし。
引越してからも仕事への情熱は失っていなかったし、楽しかった。
けど、いつでも傍にいて、結婚するか別れるかしかないと思っていた彼氏と別れて、
というか彼とほぼ同棲の生活から、一駅離れたところで生活することになった頃から既に
退屈でひとりの時間を持て余していた。
本当は暇じゃなくて、やることは一杯あるのになんだか足りない。
ぼよんとした、退屈な感じ。
それは新しい彼氏ができてもあんまり変わらなくて、まあ彼氏が遠距離だったからもあるけど
仕事へ行って、コンビニ弁当買って帰ってテレビをぼーっと見ながら食べて、
シャワーを浴びて寝る。そんな感じ。
『あなたが地球にいた頃』の綾ちゃんがやってた役の子が言ってた台詞じゃないけど、
「疲れ過ぎて、家に帰っても筑紫哲也を見て寝るだけ。こんな生活もう嫌なんです!」
みたいな、単調な、なにもないような、なにも未来につながってないような感覚。
退屈。
でもずーっとテレビを見ていた。休みの日も。見たい番組が無くてもずっとつけてた。
夜型の生活で、夜になって番組がどんどん終わっても、テレビショッピングとか
アニメの再放送とか、ついてたらなんでも良かった。
情報はたくさん得られる側面もあるんだけど、例えばこのお店いいなと思って
それが近くでも全然行こうとはしない。
活力とか行動力が、どんどん枯れていく感じがした。
ひとりでいることが怖くて、それはひとりでいるときより、
人ごみの中にいて幸せそうな家族やカップルを見ると余計に感じるから
だから外へ出たくなかった。
テレビ越しなら、箱の中での出来事だってひいて見られるから平気だった。
このままじゃいけないと思って、大嫌いな新宿や渋谷へひとりでショッピングにいったり
無意味にカメラを持って散歩に出て2時間とか歩いたり、
色々足掻いていた時期があった。
その時住んでいた町は東京都北区の東十条で、今思い返してもなかなか好きだった。
JRや地下鉄があって交通の便はいいし、図書館は神谷にも赤羽にもあるし、
ダイエーとか西友もあって、王子には飛鳥山公園もあるし。
一番好きだったのは、駅から続く商店街。
活気があって、ラーメンの屋台なんかが夜出てたり、焼鳥売ってたり
買わなくてもなんだか楽しくて、商店街を通って帰れるのがちょっと楽しかった。
だから、雫石の言ってる意味がすごくよく分かる気がする。
家から買物に行くと、商店街をずーっと奥まで行くと突き当たりは駅で、
階投を上って改札へ行く薄暗い感じ。
振り返ると、鮮やかな照明、古くからずっと、やっている感じ
地元に根ざしている感じ。が光っている。
私が人嫌いなのは、人が好きすぎて、もう裏切られたくないから立ち入りたくないんだなって思う。
だから怖くて、商店街で買物はほとんどしなかった。
スーパーで買う方が楽だったから。
でも今でも顔を覚えている店員さんとかお店とかは、やっぱりある。
毎日のようにディスプレイを替えていて、それがまたセンスのいい洋服屋さんとか
セールとかいろんな企画をしている洋菓子屋さんとか
おじいちゃんとおばあちゃんでやっていて、若い人が来てくれるなんて嬉しい
みたいな感じで色々教えてくれたり、お茶までくれた和菓子屋さんとか。
今ならちょっと心の余裕があるから、もう少し、雫石みたいに
毎日買物をしたりとか、できるかもしれないなと思う。
おばあちゃんの手紙、特に最後の方に載っていたメールはとても良かった。
「ごちやごちやと大人っぽく断っていた」という言い草もとても良かった。(笑)
じんときた。愛が溢れていて。
なんだか、サボテンが欲しくなってしまった。(笑)
小さく輝いて消えていくだけ 小さな物語をつくって
そういう命の、自分の、捉え方がとても素敵だと思った。ずきんときた。
だから、光を持って漕ぎ出していく。
そういう終わり方もとても好きだった。
心が温かくなった。
私はどんな匂いがしてるんだろう。
とか、すごくそういうことを考えてしまう。
きっと嫌な匂いをして、変な顔色とオーラを出してるんだろうな。
ストレスを感じている人は、歩いているだけで害を発散する。
絶対、そうだと思う。その逆ももちろんあると思うし。
ピカソの独特の精神エネルギーで、周りの人に影響を及ぼしたと言われてるけど
それはピカソが物凄い人で、エネルギーも強くて、周りの人も意識的にそう思うし
結果も見つけ易いというだけで、人は誰でもそういうものなんだと思う。
例えば朝の満員電車とか、空気が淀んでいる。
人いきれとか溜息とか言い争いとか、そういうものでももちろん、
精神エネルギーっていうとなんか嘘っぽく感じるけど、そういうものでも
空気が濁っていると思う。
寂しさ、おかしさ。ひとりとか都会の生活のそういうところ。
その書き表し方のひとつひとつが、すごいなと思った。
どうして分かっているんだろう、どうして知ってるんだろう、っていう感じ。
人が帰った後の特有の寂しさとか、ぼんやりして境目がなくて
痛みも強くない代わりに喜びも強くない感じ。
感受性が自然の中にいるときの半分でも十分に生きていけてしまう世界。
特に一人暮らしをしていて、新しい生活の中でテレビにはまっちゃう感じと、
商店街の楽しさにすごく共感を覚えた。
私が一人暮らしをしだした頃は、丁度雫石みたいに仕事で忙しかった。
仕事が好きで入れ込んで、それを心配してくれてるのは分かるけどうるさく言われるのが嫌で、
それが一人暮らししたことで誰もそういうこという人がいなくなって解放されて、
泊り込みでも残業でもなんでもします!っていうテンションで、
しかも大好きな文房具や画材で大好きな接客で、オープニングスタッフで
もう大興奮だったから、楽しくて楽しくて仕方なかった。
最初のうちは本当に、テレビも持ってなかったし。パソコンも無かったし。
引越してからも仕事への情熱は失っていなかったし、楽しかった。
けど、いつでも傍にいて、結婚するか別れるかしかないと思っていた彼氏と別れて、
というか彼とほぼ同棲の生活から、一駅離れたところで生活することになった頃から既に
退屈でひとりの時間を持て余していた。
本当は暇じゃなくて、やることは一杯あるのになんだか足りない。
ぼよんとした、退屈な感じ。
それは新しい彼氏ができてもあんまり変わらなくて、まあ彼氏が遠距離だったからもあるけど
仕事へ行って、コンビニ弁当買って帰ってテレビをぼーっと見ながら食べて、
シャワーを浴びて寝る。そんな感じ。
『あなたが地球にいた頃』の綾ちゃんがやってた役の子が言ってた台詞じゃないけど、
「疲れ過ぎて、家に帰っても筑紫哲也を見て寝るだけ。こんな生活もう嫌なんです!」
みたいな、単調な、なにもないような、なにも未来につながってないような感覚。
退屈。
でもずーっとテレビを見ていた。休みの日も。見たい番組が無くてもずっとつけてた。
夜型の生活で、夜になって番組がどんどん終わっても、テレビショッピングとか
アニメの再放送とか、ついてたらなんでも良かった。
情報はたくさん得られる側面もあるんだけど、例えばこのお店いいなと思って
それが近くでも全然行こうとはしない。
活力とか行動力が、どんどん枯れていく感じがした。
ひとりでいることが怖くて、それはひとりでいるときより、
人ごみの中にいて幸せそうな家族やカップルを見ると余計に感じるから
だから外へ出たくなかった。
テレビ越しなら、箱の中での出来事だってひいて見られるから平気だった。
このままじゃいけないと思って、大嫌いな新宿や渋谷へひとりでショッピングにいったり
無意味にカメラを持って散歩に出て2時間とか歩いたり、
色々足掻いていた時期があった。
その時住んでいた町は東京都北区の東十条で、今思い返してもなかなか好きだった。
JRや地下鉄があって交通の便はいいし、図書館は神谷にも赤羽にもあるし、
ダイエーとか西友もあって、王子には飛鳥山公園もあるし。
一番好きだったのは、駅から続く商店街。
活気があって、ラーメンの屋台なんかが夜出てたり、焼鳥売ってたり
買わなくてもなんだか楽しくて、商店街を通って帰れるのがちょっと楽しかった。
だから、雫石の言ってる意味がすごくよく分かる気がする。
家から買物に行くと、商店街をずーっと奥まで行くと突き当たりは駅で、
階投を上って改札へ行く薄暗い感じ。
振り返ると、鮮やかな照明、古くからずっと、やっている感じ
地元に根ざしている感じ。が光っている。
私が人嫌いなのは、人が好きすぎて、もう裏切られたくないから立ち入りたくないんだなって思う。
だから怖くて、商店街で買物はほとんどしなかった。
スーパーで買う方が楽だったから。
でも今でも顔を覚えている店員さんとかお店とかは、やっぱりある。
毎日のようにディスプレイを替えていて、それがまたセンスのいい洋服屋さんとか
セールとかいろんな企画をしている洋菓子屋さんとか
おじいちゃんとおばあちゃんでやっていて、若い人が来てくれるなんて嬉しい
みたいな感じで色々教えてくれたり、お茶までくれた和菓子屋さんとか。
今ならちょっと心の余裕があるから、もう少し、雫石みたいに
毎日買物をしたりとか、できるかもしれないなと思う。
おばあちゃんの手紙、特に最後の方に載っていたメールはとても良かった。
「ごちやごちやと大人っぽく断っていた」という言い草もとても良かった。(笑)
じんときた。愛が溢れていて。
なんだか、サボテンが欲しくなってしまった。(笑)
小さく輝いて消えていくだけ 小さな物語をつくって
そういう命の、自分の、捉え方がとても素敵だと思った。ずきんときた。
だから、光を持って漕ぎ出していく。
そういう終わり方もとても好きだった。
心が温かくなった。
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