ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2005.08.03 Wed
sunset
AIR
私は中学・高校とミッションスクールに通っていた。
だからと言って洗礼までには至らなかったけれど、神様はいるのかも、と思ったことは何度かある。
毎朝の礼拝で、丁度自分が迷っていることについてお説教がなされたことが何度もあった。
取り上げる聖句も説教内容も、宣教師やクリスチャンの先生の采配。
偶然かもしれない。
けれど不思議と、悩んでいることへの答えや励ましに聞こえる聖句が詠まれることというのがあった。
そんなの偶然。
そんなの気力が弱っているから、答えとして聞こうとしているだけ。
かもしれない。
だけど、人が何かを信じようとするきっかけというのは、こんな些細なものなのではないだろうか。
音楽を聴いていて、これは自分に問いかけられているのではないだろうか
と思ったこともある。
これは誰しも経験があるのではないだろうか?
今格別悩んでいるわけでも、この曲がその励ましの歌詞になっているわけでもないけれど、
自分なりに”これは自分に宛てて作られた曲なんじゃないか”と今感じながら聴いている。
もちろんそんなことないことはよく分かってる。
でも、ある意味では当たっているのだと思う。
柔らかいメロディ。滲み入る声。
語りかける詞(ことば)。
これはこういう意味なのでは?
くるちゃんはあのことを言っているんじゃないだろうか?
そんなことを考えながら、繰り返し聴いています。
次のライブでこの曲たちを聴けるのが今から楽しみです。
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