ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2009.02.06 Fri
近頃思うんです。
意外と、思った以上に必要で、難しいことなんだなと。
たとえば、派遣先。
ああしたらいいのに、こうしたらいいのに
って、見ていてすごく思うけれど、いくら意見しても
社内の人たちにとっては普通のことばかりで、異常だと思ってないから
改善しなくちゃいけないと思ってない。
だから言うことは聞き流す。
なんとかしようと思ってる会社でも、外部のコンサルに何十万も払って
アドバイザー雇ってセミナー受けて…
でも殆ど改善しなかったりするのは、
コンサルタント会社で働いてたこともあるのでとても思う。
無駄だなぁ。自社の派遣に意見聞けば
ただで改善できるのに、本やネットに転がってる意見を聞くだけで
一回数万も払うなんて…とすごく思った。
たとえば、アニメ。
原作が結構好きだったんで見ているアニメがあるんだけど
確かにちゃんと作ってはあるけれど
どうも客観性に欠ける。
原作を知らない人には分からない作り。
視聴者が原作ファンであることを前提にするなら、なぜこう変更するのか意味不明。
だったりする。
人にもよるだろうけど、基本スタッフ・キャストは原作を読み込んで
読み込む余りに
この台詞は原作を知らない人に伝わるか?
っていう考えに至れないのかもしれない。
こういう初歩的な”ミス”は、メディアミックス作品にはよく見られる。
わざと視聴者に不親切な映画を作って、原作本への興味を惹かせる
という手法のものもあるにはあるけれど
全部が全部そういった意図なのだとは判断し難い。
自分は新しい派遣先へ行くと、引継ぎ受けながら
そのメモと兼ねて、自分がいつやめても良いように
馬鹿でも分かる丁寧なマニュアルを同時進行で作る。
それにはいろんな理由があるけれど、そのひとつは
時間がたってしまえば、
”この会社を知らない人にとって『わからないこと』はどこか”
ってことを、自分が忘れてしまうから。
慣れてしまって知ってしまうと、
自分では知らなかった場合を想定しているつもりでも
知らなかった頃に完全には戻れない。
どんなに丁寧に教えているつもりでも、そこを間違うと話進まない。
自分のしていることを
冷静に自分で何度も見直す。
時間を置いて見直す。状況を変えて見直す。
もしもこうだとしたら、という設定になりきって考え直す。
これはかなり大事。
でも、実は本当に客観的に見るのはかなり難しい。
厳密に言えば私は、一度たりともできたことがないかもしれない。
だから、他人の視点というのはとても大事。
私がやっていることへの評価も勿論だけれど
たとえば単純に、私が読んだある本に対する
いろんな人のレビューを読むというのも大事なこと。
人の見方を知ることで、見えてくることは沢山ある。
話が飛躍するようだけど、だから『アート』が必要なのだと思う。
本、映画、絵、写真、音楽、…
誰かの見方で何かを見る。
客観的に、新しい視点で。
だから、人との会話や人の日記を読むことも
勉強であり客観的に物を見る為の訓練。
だとも思う。
冷静に熱く生きている人はとても恰好良いけれど
未熟な自分にはとても難しい。
PR