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ふと思いついては消えていく戯れ言の中にも大事なことや本気なことはあるよな、と思い極力書き留めよう、という、日々いろんなことに対する思いを綴っています。
2024.11.21 Thu
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2009.02.27 Fri
佐藤 彦五郎(さとう ひこごろう)

『多摩の米蔵』と呼ばれた日野の宿場を中心とした
日野本郷三千石を代々管理してきた佐藤家
第十一代かつ最後の問屋役名主です。
日野宿は多摩川の日野の渡しも管理していました。
※日野宿では『本陣』ではなく『問屋場』と呼び、
本陣の当主が名主と問屋を兼ねたので問屋役名主と呼ばれました。
京都へ行ったばかりの新選組の相談に乗ったり、資金援助をした人でもあります。
克己心が強く、義を大事にする人で人々から尊敬されていたそうです。

       ●

文政十(1827)年9月25日
武蔵国多摩郡日野宿(現在の東京都日野市日野本町)で
父 半次郎、母 まさの長男として生まれます。幼名庫太。

天保八年(1838)
父が急逝し、彦五郎は11歳で日野本郷名主、日野宿問屋役
日野組合村寄場名主を継ぎ、日野本郷三千石を管理することになります。

弘化二年(1845)
石田村の のぶ(土方歳三の姉)と結婚。

嘉永二年(1849)1月18日
佐藤家から道を隔てた一軒の農家から出火。
北風に煽られて佐藤家を含め十数軒が類焼してしまいました。
更に彦五郎の祖母を含む二人が斬り殺される通り魔事件も勃発。
この頃ペリー来航の混乱や攘夷の風潮で
押し込み強盗なども増えて治安は乱れていました。
彦五郎は、村の治安維持の必要を強く感じます。

嘉永三年(1849)
八王子千人同心の井上松五郎に紹介を頼み
天然理心流三代近藤周助邦武(近藤勇の養父)の門人となります。
自宅の一角に出稽古用の道場を設けます。

安政元年(1854)
武術に励み、天然理心流極意皆伝となります。
長屋門を改造して剣道場とし、天然理心流入門者は急増したようです。
月に数回?江戸試衛舘から近藤勇らが出稽古に来て教えていました。
また、幕府が品川沖に防衛の為砲台を造る際(現在のお台場)献金してます。
※近藤周助も献金しています。

安政二年(1855)9月20日
町田の小野路村組合の寄場名主小島鹿之助と近藤勇と義兄弟の杯を交わします。

安政五年(1858)8月
日野宿の近藤周助門人23名が八坂神社へ献額を奉納。

文久元年(1861)8月
大国魂神社で近藤勇天然理心流宗家四代目襲名披露試合。
紅白戦で、白の大将を彦五郎が務めました。

文久二年(1862)
コレラが蔓延し、死亡者が多数出てしまいます。
仏棺が街道に列を作るほどでした。
彦五郎は私財を投じて薬剤を施与し、幕府から白銀を賜っています。

文久三年(1863)
将軍警護浪士組募集に、試衛館の面々が参加します。
彦五郎も参加したかったのですが、名主の仕事がある為
義弟の土方歳三に託します。
自分は天然理心流の神文巻物を引継ぎ、宗家代行として
多摩地区各地への出稽古をしたり、門人の世話をしたりしました。
※上洛したばかりの頃の近藤たちは謂わばニートからのスタートで
給料も貰えない状況でした。
彦五郎は資金援助をしたり、相談に乗ったりしています。
近藤、土方、沖田らと、彦五郎、小島との間には
頻繁に年賀状や書簡のやりとりがありました。
土方が上田村の親戚に送った手紙には
『委細は彦五郎さんに聞いてくれ』と書かれたものがあります。
また、新選組となってからも色々な噂話を耳にしては
『君たちがいくらしっかりしていても、末端の隊士が風聞を落としては
新選組の印象が悪くなってしまう』
など心配して手紙を送っています。

元治元年(1864)7月19日 禁門の変
一週間ほどで噂が届き、近藤が戦死したという誤報もありました。
彦五郎は江戸の会津藩邸に問い合わせたり、京から戻った会津藩士から話を聞いたりして近藤の無事を確かめ、小島に伝えています。

多摩地方で農兵の取立てが行われ、日野宿組合を中心に日野農兵隊が組織されました。

慶応二年(1866)6月
天候不順による不作と、大雨による洪水で多摩川や浅川も
屡川止め(渡河不能)となり、物価が高騰します。
貧民救済のカンパを集めたり救援米が出されたりしましたが
武州吾野や名栗などで農民一揆が発生。(武州一揆)
村々の農民を巻き込んで一時は数千人にふくらみ、
飯能・所沢と豪商や豪農を打ち壊し
小宮村(現八王子市小宮町)に押し寄せようとした所を
八王子千人同心と農兵隊が出動。
多摩川の対岸で撃退し、日野宿と八王子宿は打ち毀しの難を逃れました。
長男の源之助も銃術と撃剣で鎮圧に参加したそうです。
※隊士募集に江戸へ戻った土方は、源之助の操銃を見て感嘆し、是非京都へ来て新選組の教授方になって欲しいと言ったほどだそうです。
彦五郎は行かせたかったのですが、のぶの大反対に遭い諦めています。

慶応三年(1867)3月
薩州浪人12人が軍用金調達と称して村々を脅迫して周ります。
退治せよという代官の命で、彦五郎は農兵隊6人を連れて彼らが泊まっている八王子壷伊勢屋へ。
短銃を持った相手を数人討ち取り、残りを捕縛します。
※後にこの話を聞いた近藤は、
「鉄砲とやりあうなんて危な過ぎる! 俺だってまだやったことはないよ」
と驚いたそうです。

慶応四年(1868)1月 鳥羽伏見の戦い
将軍に従い新選組も江戸へ戻ってきます。

3月 甲陽鎮撫隊編制
彦五郎は兵糧を手配。春日盛と称し、農兵隊(春日隊)を組織して参加します。
勝沼の戦で敗退。
※猿橋で、橋を焼いて敵軍を阻もうという意見に対し彦五郎は、
「橋は地元の人にとって大切な物だ。 特にこの難工事の猿橋を一度焼いてしまえば、地元の人たちがどんなに困ることか。この橋を焼くのは絶対に反対だ」
と、やめさせたそうです。

新政府軍2000人が八王子へ来て、横山町の柳瀬屋を参謀隊長板垣退助の本営として通行人を厳しく取り調べます。
新選組幹部と親しく、春日隊を出兵もさせた為
「日野の彦五郎は、草の根分けても見付けなければならぬ」
と捜索され、彦五郎一家は申し合わせる暇もなく散り散りに逃げます。
彦五郎はのぶと下女のあさ、末娘のともと小宮村北平の大蔵院へ。
尼僧に匿われて一安心かと思いきや、兵隊がやってきて間一髪で脱出。
西多摩郡ニ宮村の茂平氏宅に辿り着き、更に大久野村なる羽生家に着いた時は既に夜半の一時頃でした。
一方長男の源之助は病み上がりで室内をつかまって歩くほど衰弱しており、駕籠で、栗の須井上忠佐衛門宅へ向かいました。
同家の下男の鉄蔵に背負われ、隣家の兵蔵と井上錠之助と共に逃げますが捕まり、八王子の本営で訊問を受けます。
彼は本当に父の行き先を知らず、いくら問われても答えられません。
板垣がやってきて、
「子供が父の居場所を知らないとはおかしなことだが、
子供としてはたとえ知っていてもそれを白状しないのは親孝行だ」
と一同を釈放します。

彦五郎の屋敷は真先に捜索し、天井裏や床下まで探した上元込め銃を19挺が取り上げられました。
近藤は大久保一に、土方は勝海舟に密使をたて、彦五郎一家差構なしの達しが大本営詰め西郷からあったようです。

明治二年(1869)7月
土方の小姓、市村鉄之助が彦五郎宅へやってきて、土方の遺品を渡します。
http://senjouno-kizuna.so-netsns.jp/?m=pc&a=page_fh_diary...

明治五年(1872)
戸籍作成時に名を俊正と改めます。
多摩川築堤工事を行います。

明治六年(1873)
神奈川県第九大区(南多摩地区二宿六十三カ村)の区長に就任。
学校誘致に尽力します。

明治七年(1874)
1月17日 妻のぶ、47歳で死去。

明治政府から、朝敵となった戦死者の霊を祭る事を咎めないと布告が出ます。
彦五郎、は小島らと顕彰碑の建立が計画します。

明治十一年(1878)
郡区町村編制法により多摩郡が東西南北に分けられ、初代神奈川県南多摩郡長となります。

明治十四年(1881)
三男連太郎、22歳で死去。
彦五郎は初代南多摩郡長を辞職 し、佐官になりつつあった自由民権運動を支援します。

明治二十一年(1888)
高幡山金剛寺に、殉節両雄之碑が完成します。

明治三十五年(1902)9月17日
76歳で病没します。
菩提寺は大昌寺です。

       ●

彦五郎は俳句を趣味としており、春日庵盛車という雅号を持っていました。
土方の長兄土方為次郎(閑山亭石翠)とは、共通の趣味であった俳句で親交も深かったようです。

近藤勇への追悼句
鬼百合や 花なき夏を 散りいそく

土方歳三への追悼句
待つ甲斐も なくてきえけり 梅雨の月


参考
新選組関連書籍(詳細割愛)
その他、及びインターネット、テレビ等を参考にしました。
資料により異なる点は、各資料を照らし合わせて併記するか、
一番信憑性のあると判断したものに拠りました。

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